『日比月リリィの淫靡なる奇行』(11)パルム作戦、最終段階へ移行


 二人のデートはつつがなく終了し、ヤスは惜しげもなくペンタブをパルムに譲り渡した。

 こういうところは器が大きいというか、己の信念に忠実というか……。

 とにかくパルムはその日の目的を果たし、しかも、ちゃっかりまたヤスと会う約束も取りつけることに成功していた。

 これも私と一緒に考えていた作戦の一つ。

 せっかくこのペンタブでイラストを描くのだから、出来上がったら見て欲しいと言えば、きっとヤスは乗ってくるだろうと。

 事実、ヤスはまったく嫌そうなそぶりも見せずにその提案を了承した。

 ……というか、こいつは夜美以外には妙に優しいような気がする。

 ヤスが夜美のことを好きなのは間違いないので、これはおそらく普通の人間なら誰しも一度は罹患するという、例の「好きな子の前では素直になれない症候群」が影響を及ぼしているのかもしれない。


 ※


 私は、ヤスと別れてからずっとぽーとしていたパルムを彼女の自宅近くまで送り届けたあと、即座に夜美のもとへと向かった。

 今日、夜美はどこにも出かけていないはず。SNSをチェックしてもコンスタントに搾欲用のイラストが上がっているので、ずっと家で作業をしていたのだろう。

 玄関に辿り着くと、私はわざとらしく息を荒げてからドアを開いた。


「……夜美、大変よ!」


 部屋に向かって大声で叫ぶ。

 すると奥のリビングでバタバタと物音がして、少し遅れて夜美がひょっこりと顔を覗かせた。


「ど、どうしたんですリリィ? 帰ってきていきなり……」


「ヤスのやつが、浮気を……」


「浮気……?」


「そう! あいつ、夜美というものがありながら、絶対に許せないわ!」


 夜美はしばらくきょとんとした顔で目を瞬かせていたけれども、言葉の意味が理解できた途端、いつものドヤ顔を浮かべた。


「何を言ってるんです。ヤスは二次元にしか興味を抱けない特異体質なんですよ? さ、最近は私にだけ、ちょっぴりそういう気持ちになってるようですけど? それは私が特別なだけであって、他の人には絶対に無理ですから……」


 言葉の途中で赤くなり、もじもじし始めるのはいつものこと。

 私は夜美ののろけを無視し、カバンからカメラを取りだす。


「証拠写真も撮ったのよ。ああ、驚かないでね……?」


 おろおろする演技をしながら、カメラの画面にそれらの写真を表示し、夜美に見せる。

 刹那、夜美はクワッと目を見開いた。


「――こ、これは!」


「そう、その相手っていうのが、パルムなのよ! ああ、きっと彼女、この間のことを恨んでるに違いないわ……夜美には手出しできないからって、夜美が大切に思っているヤスに目をつけたのよ」


「わ、私はヤスのことを大切に思ったりしてませんから!」


 案の定、素直になれずにそんなことを言いだす夜美に向かって、私は露骨に驚いたふりをする。


「え、そうなの!? てっきり、夜美ってヤスのことが好きだとばっかり……」


「ちっがいますよお! ヤスが私のことを好きなだけで、わ、私は別にヤスのことどうとも思ってませんし!? ヤスが一緒にいたいって思ってるから、一緒にいてあげてるだけです!」


「ああ、それなら別に、今日のことは何の問題もなかったってわけ」


「……へ?」


「安心したわ、夜美がそういう気持ちなら。ヤスが他の女の子に心を傾けても、誰も悲しまないってことだもの。よかった、よかった……」


「ちょっと待って! 勝手に話を進めないでください!」


 夜美が、必死の形相で言い募ってくる。


「なーに? 夜美には関係のないことでしょ? ヤスは夜美以外に、一緒にいて欲しい相手ができたってだけなんだし。ほら、見てヤスのこの表情。夜美と一緒にいるとき、あいつがこんなに楽しそうに笑うことってあった?」


「そんな……そんな、ばかな……」


 改めてカメラに表示されるヤスとパルムのツーショットを見て、わなわなと震えだす夜美。

 私は内心でほくそ笑みながら、夜美の耳元でひそひそと囁いた。


「きっとヤスってば、夜美が振り向いてくれないと思ったんじゃないかしら……? 好きになってくれない相手とずっと一緒にいても、つまらないもの……」


「そんなことありません! いつ私がヤスを好きにならないと言いました!」


「たったいま言ったじゃない。好きじゃないって」


「い、いまは好きじゃありませんけど!? もうちょっとしたら、好きになるかもしれないじゃないですか! あと一回ガチャを回せばSレアが出るのに、そこで引き返したら課金した全てが無駄ですよ! わかります言ってること!?」


「よくわからないわ」


「何でわからないんです! ヤスはずっと私を見ていればいいんです! 私だけを見てないといけないんですから……」


 夜美は勢いを失い、じんわりと目に涙を浮かべる。


「……夜美、素直になることは大事よ? ヤスを失いたくないなら、いまこそ一歩を踏み出すときじゃない? このぬるい関係に終止符を打つべきよ」


「……ど、どういうことです?」


「ちゃんとヤスに自分の気持ちを伝えるのよ。夜美から言えば、きっとヤスも素直になるわ。いままでのような恋人の真似事じゃなくて、ちゃんとした恋人同士になるの。そっちの方が、素敵だと思わない?」


「でも、ヤスが断ったら……それでヤスと、もう会えなくなっちゃったら……」


 二人を客観的立場から見た私の見立てでは、そんなことは百パーセントあり得ない。

 しかし物事の当事者からすると、周りが見えなくなるなんてのはよくあること。


「このままだったら、何もしなくてもヤスとはもう会えなくなっちゃうかもしれないでしょ? やらずに後悔するくらいだったら、やるだけやって後悔した方がいいんじゃない?」


「うう……」


 夜美は頭を抱えると、その場にペタンとへたれこんだ。

 私もその場に腰を下ろし、夜美と視線の高さを合せる。


「練習が必要なら、私が付き合ってあげるから。ほら、私のことをヤスだと思って言ってみるのよ」


「……なんて言うんです……?」


「好きですって」


 夜美は顔を真っ赤にして、ぶんぶんと腕を振り回す。


「む、無理ですよ!」


「無理じゃないわ。ヤスをパルムに取られちゃってもいいの?」


「パイセンなんかに、ヤスを渡すわけにはいきません!」


「だったら、ほら。練習」


 私が促しても、夜美はまたもじもじしながらいつもの言い訳を始める。


「でも、こういうのはリアリティが大事ですから……? 私ってば、どっちかっていうと本番に強い方っていうか? 今度ヤスと会ったときに、ちゃんと言いますから……」


 そう言って逃げようとする夜美の腕を、がしりと捕まえる。


「ダメよ。練習でできないことが、本番でできるわけないでしょ」


「はなせえ! リリース、プリーズ! キャッチ&リリース、プリーズ!」


「落ち着きなさいよ。私相手なら、どれだけみっともない姿をさらしても恥ずかしくないわ。そうでしょ?」


「そしたらヤスぬいぐるみで練習します! 一人っきりのときに!」


 夜美は普段からその卓越した芸術センスを活かし、ヤスのぬいぐるみをいくつか作っていた。そんな無駄なものに貴重な時間を使うなとも思うけれど。

 ちなみに名目上はいつもの如く、「男の偶像を利用することで、男に慣れるため」だが、その本意とするところはバレバレである。

 私は首を横に振り、少し語気を強めて夜美に語りかけた。


「……あんたと何年一緒にいると思ってるのよ。夜美は一人のとき絶対そんなことしないわ。易きに流れるのがあんたというサキュバスなんだから」


「失礼な! 結構やってますけど!?」


「え」


 私は驚いた。

 するとすぐに自分の失言に気づいた夜美が、わたわたと慌て始める。


「わあ! いまのは違うんですよ! 言葉のあやってやつです! ノーカンですよ! ノーカン!」


 いや、何がどう違うと言うのか。

 私は夜美の新たな秘密を知り、興奮で絶頂しそうになっていた。

 そうなんだ……夜美は一人のとき、ヤスぬいぐるみに愛を囁いている、と。

 今度隠しカメラか何かを仕掛けて、是非ともその光景を収めなければならない……。

 私がそんなことを考えている間にも、夜美はずっと「ノーカン、ノーカン!」と騒いでいる。それでゴリ押せるとでも思っているらしい。

 私はそれを無視し、強引に話を戻した。


「常日頃から愛を囁く練習してたってわけね。偉いわ……で、いつもどんなシチュエーションを想定してやってるわけ?」


「ですからやってませんって!」


「どうせ、自分に都合のいいヤスを用意しているんでしょ?」


 途端に、夜美の顔がピシリと固まる。

 図星らしい。

 溜息を吐き、また諭すように言う。


「ヤスの方から告白してくるとか、そういうパターンじゃないの? 『そのあとで』夜美も『仕方なく』好きって伝えるとか?」


「むわあ、リリィ! 私を監視していましたね!? プライバシーの保護! 健康で文化的な最低限度の生活!」


 答え合わせありがとう。やりやすくて、本当に助かる。


「あのね、受け身はダメよ。特に、ヤスみたいな素直じゃないやつとの恋愛においてはね。パルムを見なさい。積極的に攻めてるからこそ、ヤスもこういう表情をしているのよ」


「そうだ。先輩に土下座して、ヤスから手を引いてもらうのはどうでしょう?」


「どうして搦め手で物事をいなそうとするのよ! ちゃんと戦いなさい!」


 夜美の説得には、想像していたよりも遥かに時間がかかった。

 しかし私はその日、ぬるぬる動いて手の中から逃げようとするウナギを思わせる夜美を追い詰め、ついに彼女の口から「……好きです」という言葉を引きだすことに成功した。

 これは恥ずかしがり屋の夜美にとって、大きな一歩。

 あとはこれを繰り返していくだけでいい。

 そうすることで、夜美もちゃんと自分の気持ちを理解でき、ひいてはヤスが自分の中でどれだけ大きい存在か気づくことだろう。決して失ってはならない存在だということも。

 私はそのとき、ようやく機が熟したことを悟った。


 ……そして同時に、またズキリと胸に例の痛みを覚えた。


 いよいよ、作戦を最終段階に進行させるとき。

 せっかくここまでやってきたというのに、何をこんなわけのわからない気持ちになる必要があるっていうの?

 夜美とヤスをくっつけ、パルムを失恋させてフィニッシュ……これこそが、私が最初から望んでいた未来のはずなのだから。


 ※


 ……そのときの私は、どうしようもなく愚か者だった。

 もっと早く気づくべきだったのだ。

 パルムの素直さ。そして視野が狭くなり、周りの出来事が見えなくなっていたのは、この私だったということを。

 ずっと私の胸を襲っていた重苦しさの正体は、罪の意識……。


 それは悪魔から、もっとも遠いところにあるとされる感情だったのである。

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