『日比月リリィの淫靡なる奇行』(10)進行する謎の病


 尾行する二人が喫茶店に入ったのを見て、私はカメラを取りだした。

 パルムには、こういう事態が生じた際、なるべく外から見えるような場所に座るように伝えてある。その言いつけをしっかり守り、パルムは窓際のテーブルまでヤスを誘導してきた。

 カメラを構え、二人の写真を撮る。

 これはもちろん、夜美に渡す「ヤスの浮気現場」。

 もともと、私の本来の目的はこっちなのだ。なかなか進展しない夜美とヤスのために、外から刺激を与えてやること。


 ――しかしそのとき、私はまた例の「息苦しさ」に襲われた。


 この間、ラブホテルでパルムと一緒にいたときと、同じ感覚。

 相変わらずこの感情がよくわからない……なぜこんなにも胸が締め付けられるのか……。


 しばらくそうしていると、ようやく気持ちが落ち着いてくる。

 私は呼吸を整えると、撮った写真を精査しながら、店内で行われている会話にも耳をすました。


『……リリィには、お前が絵を描いて来るよう言ってたって聞いたんだけど』


『そうだな。自慢じゃないが、俺は絵描きの絵を見ただけで、その人の伸びしろを測ることのできる能力もちなんだ』


 初耳だった。多分――というか、確実に嘘だった。

 なんでこいつは、こんなどうでもいいところでどうでもいい見栄を張ろうとするのか。

 イラッとしながら見ていると、パルムがノートを渡すのがわかった。


『ま、二次元崇拝者にとっては、基本スキルみたいなもんだな。あんたに絵の才能があるって思えれば、このペンタブを――!?』


 案の定、ノートを開いた途端にヤスの目が見開かれる。

 せいぜい驚くがいい。私だって、本当にびっくりしたんだから……。

 ヤスは即座に頭を下げ、王に捧げものをする家臣の如き態度で、パルムに向かってペンタブを掲げた。


『こ、これをお受け取りください……! 卑しいわたくしめの卑しいペンタブですが、あなた様のほんのお力になれれば幸いでございます……!』


 すでにキャラも変わっている。能力持ちの厨二設定はやめたらしい。


『ま、待てよ! そんなに早く話を進めるなってば! だいたい、これがアタシの描いたイラストだって証拠がないじゃん!』


『へ?』


『他のやつに描かせただけかもしれないだろ……』


 そう言って、パルムは目を逸らしてもじもじする。


『え、じゃあ他のやつに描かせたイラストを持ってきたのか?』


『違うってば! ああ、もう! アタシがいま、この場で何か描いてやるって言ってんだ!』


 これはあらかじめ、私が提案していたことだった。

 ヤスはきっと最初にそのイラストが本物かどうか疑ってくるに違いない、と思っての提案。けれども、パルムはそのことに強く興味を示していた。

 ……というのも、彼女はヤスをモデルにして絵を描きたかったからだ。


『何を描こうかなあ……そ、そうだ、そしたらお前を描いてやるよ……』


 さもいま思いついたように言うパルム可愛い。

 しかし。


『俺なんて描いてもしょうがないだろ。そんなくだらないもんに労力を割く時間があるんだったら、何かもっと別の可愛いキャラを描いてくれ』


『え』


『なんだったら、俺のいま着ているシャツの二人でもいいぞ』


 言いながら、ヤスはチェックのジャケットの前を開く。

 するとそこに、サバトたそとスケアクロウちゃんの姿が露わになる。


『そ、それアタシをモデルにしたキャラじゃん……自分を描くみたいで嫌だな』


『そうだろ。自分を描かれるのは嫌だ』


『お前はいいんだよ! アタシが描きたいんだから!』


『はあ? 描きたい?』


 失言に気づいたパルムが、顔を真っ赤にする。

 それを見て、私は慌てて指示を出した。


「ここは我を出さずに、おとなしくスケアクロウちゃんを描くのよ! ヤスをモデルにする機会なんて、これからいくらでもあるんだから!」


『し、しょうがねえな……そしたら間を取って、そっちのクロをモデルにしたやつを描いてやる……』


 パルムはごにょごにょと言ってから、気まずそうにさっとノートに目を下ろした。

 それから、ガシガシと手を動かしていく。

 しばらくすると、ヤスが堪え性のない犬のような態度で身を乗りだし、パルムの作業を覗き込んだ。


『おお、やっぱすごいな! スケアクロウちゃん、まじ天使!』


『お、お前さ……』


『うん?』


『……ロリコンってやつなの?』


 ちらりと目を上げて、訊ねるパルム。

 意中の男の性癖を確かめたいのだろう。

 ほどよく成長したパルムは、しっかり出るとこも出て引っ込むところは引っ込んだ、いわゆる男好きされる体形だけれど、それもロリコン相手では意味がない。


『別に? 可愛いと思ったキャラがたまたまロリだっただけで、ロリばっかりを好きになるわけじゃない。その証拠に、あんたをモデルにしたキャラにも萌えてたろ』


『そ、そうか』


 ヤスの言葉を聞き、パルムはむずむずと八重歯をのぞかせた。

 ヤスのやつ、また同じ失敗を繰り返して……。

 嬉しそうにはにかむパルムを見ながら、私はそんなことを考えていた。

 ヤスは以前、夜美が彼女自分をモデルにして描いた「夜夢ちゃん」というキャラを可愛い可愛いと言い続けて、夜美を勘違いさせた前科がある。

 ヤスの中には二次元と三次元の明確な線引きがあり、たとえ好みの二次キャラのモデルがリアルにいたとしても、それらはまったく別個のものとして扱われるらしい。でもモデルになった当人からすれば、そんなに割り切って考えることなどできないだろう……。


『ちなみに、スケアクロウとこの……サバトだったら、どっちが好き……?』


『甲乙つけがたいけど、どっちかを絶対に選べって言われたらサバトたそかなあ』


『そうなんだ……ふーん、そう……』


 パルムはもう火が出るのではないかと思えるほど、顔を真っ赤にしている。

 あの子の真ん前に座っていて、ヤスのやつは自分の発言がいま、どういう受け取られ方をされているかとか考えないのだろうか?

 その疑問は無駄であった。

 というのも、ヤスの目は片時もパルムのノートから離れていないから。イラストが出来上がりつつある状況を前に、他のことに意識を向ける余裕がないに違いない。


『はい、できた……』


『おお、こりゃあすげえ!』


 パルムの言葉とともに、ノートを引っ手繰るようにして受け取るヤス。

 ここからではイラストの出来栄えまでは確認できなかったものの、ヤスの反応を見ればそのクオリティの高さがうかがえるというものだった。


『そ、そのキャラは結構描きやすかったかも……』


『そうなの? まあ、スケアクロウちゃんは可愛いからな!』


『いや、そういう体形の子、最近よく練習してたから……』


 パルムはそこで今日のとっておきを取りだした。ヤスのお気に入りラノベ「遠江とおとうみ十美とおみと尊みのなる木」である。

 案の定、ヤスの目の色が変わる。


『そ、それは……』


『リリィに聞いたんだ。お前がこの本好きだって。それで、ちょっとアタシも読んでみようかなって思って……』


 その説明はよくない、と私は肝を冷やした。

 どうしてパルムが、ヤスの好きなものに興味を持つのか考えられるとまずいではないか……。

しかし、いまの二人にはそんなことまで頭を巡らせる余裕がないようだった。

 パルムは最初からいっぱいいっぱいだし、一方のヤスは同志を見つけた歓喜で前のめりになっている。


『それ読んだんだ? どうだった?』


『うん、まあ面白かったよ』


『そうだろ? それ、かなり人気もあるからな。イラストレーターさんもすごい有名な人だし。ちなみに、どのキャラがお気に入りとかある?』


『あまみ』


『あまみかあ』


 ヤスは「そうきたか!」と言いたげな態度で腕を組み、背もたれに身体を預けた。


『いや、いいところをついたな。あまみは通にこそ人気がある。これまでのテンプレな妹像とは全く違ったタイプの新しい妹で、この作品を独特なものに仕上げてる大きな要因の一つでもあるわけだから』


『ああ、アタシにもこんな妹がいればな~』


 そう言って、パルムはまたうっとりとラノベの表紙を見つめる。

 よく見えないけれど、多分それは「あまみ」が表紙になっている例の巻なのだろう。

 二人のオタトークは、それから大いに盛り上がった。

 ペンタブを渡す渡さないの話はどこかに行ってしまっているような気がしたものの、いまそんな軌道修正をするほど私も野暮ではない。

 初めての顔合わせにしては上出来も上出来。はっきり言って、大成功の部類に入るだろう。

 そして、私自身の成果もあった。

 もう一度カメラに目を移すと、ヤスとパルムが楽しそうに会話する様がバッチリと撮れている。

 ……それを見て、私はなぜか胸がまたズキリと痛むのを感じた。

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