『日比月リリィの淫靡なる奇行』(9)デート大作戦


 私はパルムがヤスと会う週末まで、毎日、彼女が絵の練習をするために必要となるモデルをかってでた。

 それだけではなく、デート・ロールプレイを行い、彼女のために擬似的なヤス役を務めたりもした。

 もちろんこれはパルムのためだったけれども、俗に言う吊り橋効果の応用で、彼女に「自分はこの子にドキドキしている」という感覚を埋め込むためでもあった。

 ――計画に抜かりはない。

 パルムがこちらを見て頬を染めるのを観察しながら、私は自分の手腕を褒め称えてやりたい気持ちになった。


 ……そんなこんなで週末。

 パルムと先に合流してから、私は決戦の地へと向かった。

 道中では、案の定パルムがぐずついたものの、必死の思いでアキバまで連れて行く。


「や、やっぱ無理……帰る……」


「大丈夫だってば。私はずっと今日、あんたを見守っていてあげるから。困ったときは、私の言う通りに喋ったらいいのよ」

 パルムには超小型のイヤフォンとマイクを渡してある。私は二人を尾行しながら、その場その場に応じて指示を出す予定なのである。サキュバスの力を使って姿を隠してもいいけれど、そうするとパルムにも気づかれなくなってしまうので、本末転倒というやつだろう。


「自信を持つのよ。あんたはヤスの好きなものをちゃんと押さえてるから、よっぽど下手なことをしない限り嫌われることはないわ」


「う、うん……」


「ヤスと最初に会ったら、何をするの?」


「まずしっかりと謝る……」


 今日のための準備はばっちりだ。

 ここは絶対に失敗できないため、出会ってから謝罪するまでのパートは、ありとあらゆるパターンを練習した。

 パルムを一人にしてから、私は少しだけその場を離れてウィッグとサングラスで変装した。

 ヤスが来たのは、それから十分ほどが過ぎてから。

 ちなみに、ヤスには今日の相手の特徴すら教えていない。ヤスの特徴を教えておくから、こちらから探す、とだけ。

 アキバに姿を現したヤスは、いつも通り夜美の描いたイラストがプリントされた萌えシャツの上に、チェックのジャケットを羽織っている。背中にはリュック。

 こんな格好でよく電車に乗れるなと思うけれど、この場所についてしまったいまとなっては、その装いはまったくの不自然さを感じさせないどころか、逆にこの空間になじんでいるような気がする。

 いつものテンション。いつもの出で立ち。

 ヤスの準備は万全だった。


「……目標が到着したわ。見える?」


『見える……ああ、どうしよう……』


 マイクに囁くと、泣きそうなパルムの声が返ってくる。


「落ち着きなさい。大丈夫、今日までやってきたことを思いだすのよ……」


 そのとき、ヤスの方に動きがあった。

 ヤスはおろおろと動くパルムを視界の端に捉えたのか、ふいとそちらに目をやったのだ。

 それから怪訝そうな顔をして動きだすと、ためらいなくズンズンとパルムの方に向かって行く。


『……夜美のパイセンじゃん。何してんだ、こんなとこで』


『ふ、ふわあ……!?』


 マイクが、警戒するようなヤスと、慌てふためくパルムの声を拾い上げた。


『あ、アタシは、お、おま! あのとき!』


『はあ?』


「落ち着いて! 落ち着くのよ、パルム! パターン24だわ! 『ヤスから接近してきたパターン』……全て練習でやったことでしょ!」


 私はひそひそと囁いた。


『パターン24……』


「そうよ、いけそう?」


『パターン? あんた何言ってんだ?』


『こ、こっちの話だ、馬鹿!』


 真っ赤な顔をしたパルムが、ヤスに向かって怒鳴る。彼女はそれから、胸に手をやって大きく深呼吸する。


『……り、リリィから聞いてるだろ? ペンタブは持ってきたのか?』


『ペンタブ……? え、てことは、あんたが今日の?』


『そうだよ。何か文句あるか?』


 パルムは上目づかいで、ジロリとヤスを睨む。

 ヤスは怪訝そうな目でパルムを見つめ返した。


『……どういうつもりだよ? あんた、確かイラストを描いてる夜美のこと馬鹿にしてたろ?』


『……あの件に関しては、悪かったと思ってるって』


『え』


『何だよ、「え」って! アタシも考えを改めたんだ! あ、あのときは……その……勝手なこと言ってごめんなさい』


 急にしおらしくなって、パルムはぺこりと頭を下げた。

 正直、やってきた練習とは大分違う。

 最初から下手に出るのが私たちの作戦だったけれども、パルムはやはりプライドが邪魔したのか、あるいは素直になれなかったのか、いつも通り居丈高な態度から入ってしまった。

 それでもヤスの受けた印象というのは、そう悪いものではなかったらしい。


『べ、別に謝るようなことじゃないだろ? 俺もあのときは、ちょっと言い過ぎたかなって思ったし……』


 ヤスはおろおろしてそんなことを言う。

 基本的にこいつは押しに強く、引きに弱いのだ。

 夜美の相手をしているときもそうだが、あの子が弱みを見せると途端に態度を軟化させたりする。性格は、まさしくツンデレのそれ。


『……ほんと? 許してくれる?』


 そう言いながら、パルムがおずおずと顔を上げた。


『だから、許すも許さないもないだろ……ってか、あんたは俺のこと怒ってないのかよ?』


『怒る? なんで?』


『だってこないだなんか、「快楽地獄に突き落とす!」とか言って帰って行ったからさ……』


『――そんなことしねえよ! 何考えてんだ!』


 パルムはぶんぶんと首を振ってから、ぎこちなく笑みを浮かべた。

 恋する女の子の笑み……上目遣いと、口元からちらりと覗く八重歯。

 ああ、やばい……遠目でもクラッとくる。

 私がふらふらしながら見守っていると、パルムははにかみながらヤスのシャツを指差した。


『そのシャツ……アタシとクロのキャラのやつだよな?』


『ん……? ああ、そう言えばそうだな。確かあんたって、リアルサバトたそだったけ?』


 一時期、毎晩のように夢の中でパルムと会っていたくせに、ヤスはそんなことを言う。

とはいえ、あいつはそれを夢の不合理さパワーのせいで愛しの「サバトたそ」だと思い込んでいるから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。

ヤスは真剣な目をして続けた。


『……リリィから聞いてるかもしれないけど、俺は二次元キャラが好きだ。将来的に、そっちの永住権を手に入れるつもりでいる』


『そ、そうなのか』


『ああ、世界には技術革新が必要なんだ。そして、それを起こすきっかけになる存在――よき二次元クリエイターこそが俺の導き手なんだよ』


 言いながら、ヤスは背負っているリュックを下ろすと、中をごそごそやって、ペンタブ一式が入っているのであろう箱を取りだした。


『約束のブツだ。確認してくれ』


「……なんで外でそんなことしてるのよ。どこか喫茶店にでも入りなさい」


 私はマイクに囁いた。

 せっかくのデートだというのに、情緒もへったくれもないではないか。

 すると、パルムは慌てて指示に従う。


『ど、どこか店に入らねえか? 外で立ち話もなんだし……』


『そうか、そうだな』


 ヤスの返事を聞いてから、パルムは自分の手の中に視線を落とした。そこには、ヤスから渡されたペンタブの箱がある。


『……これはアタシが運んでやるよ。しまい直すのも手間だろ?』


『いや、それくらい俺が持つって』


『……いいから。大丈夫、取って逃げたりしねえし』


 パルムはそれを、大事そうにぎゅっと胸に抱きしめた。

 はあん、可愛い……そんな二次萌えクソ野郎の中古品で喜ぶなんて、ほんとにウブなんだから……。

 とはいえ私も、パルムのハンカチを手に入れて喜んでいるくらいだから、人のことは言えないけれども。

 そんなことを考えている間に二人が移動し始め、私は慌ててその後を追った。

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