『日比月リリィの淫靡なる奇行』(2)パルムの襲撃?


 夜美の受勲式は、つつがなく終わった。

 スピーチを求められた演台で、カチコチに固まってしまうことを「つつがなく」と表現していいのなら、だけれど。

 これまで夜美を虐げていたサキュバムート家のような者たちは、夜美を苦々しそうな目で見つめ、反対にあまり関わってこなかった者たちは、ここぞとばかりに夜美に好奇や期待のこもった熱視線を送った。どうすれば夜美が作り出した欲望の味を再現できるか考えたり、あるいはどうすれば色欲さまのお気に入りと新しいコネを作れるか考えているのだろう。

 夜美が這う這うの体で演台から降りてくるやいなや、ワッと歓声を上げて周りのサキュバスたちが彼女に群がった。


「どいて! ちょっとどきなさい! 私は夜美のマネージャー! 夜美に話があるなら、まずは私を通しなさい!」


 必死に叫びながら、サキュバスたちの波をかきわけて夜美に近づく。

 夜美と一番親しいサキュバスとして、彼女にわけのわからない虫が寄りついてくるのを妨げなければならなかった。


「ねえ、天谷さん。あなたのやっている『イラスト搾欲法』について、本を出す気はないかしら? 私の奴隷に出版社の編集をやっている男がいて、私の言うことならどんなことでも聞いてくれるんだから……」


「夜美ちゃん、私のこと覚えてる? 小等部時代のサキュバス地区対抗運動会で、徒競走を一緒に走ったんだけどさ! 私、わざと転んで夜美ちゃんにハンデをあげたのよ? 手も早ければ足も速いが私の信条だから、本気でやってもつまらないしね……」


「夜美さまさえよければ、私の奴隷を紹介して差し上げますよ。頭は空っぽですけど、体力だけなら並みの男五人分はありますから。一日貸してあげるから、是非楽しんでみて……」


 夜美初心者の多くは、すぐにこうした間違いを犯す。

 夜美と仲良くしたいのならば、いわゆる「サキュバスらしさ」を前面に出すのはやめておいた方がいいと言うのに。

 というのも夜美は重度の男性恐怖症であり、悪いときなど男の話を聞いただけで赤面したりするから。

 私はその後、場がお開きになるまで、サキュバスたちの猛攻から夜美を守る防波堤となりながら、困って赤面する彼女の顔を見て過ごすという役得に恵まれた。


 ※


 翌日、私は朝の日課となっている夜美の尾行をしているとき、異変に気がついた。

 サキュバスの気配……。

 まさか、まだ昨夜の続きをやりたがる馬鹿なサキュバスがいるのだろうか?

 夜美は幸せそうな顔で、ヤスの隣を歩いている。表情はまさに、恋する乙女のそれ。

 一方のヤスはと言えば、いつもながらぶすっとした不平面を浮かべたままだったけれど、ちらちらと隙を見つけて夜美の横顔を眺めていた。

 二人はこうやって、いつも一緒に登校している。名目はいまだに、「夜美の男性恐怖症を克服させる」というもの。

 明らかに好き同士なのだから、お互いにもっと素直になったらいいのにと思う。ややこしい名目を掲げなくても、「一緒にいたいから一緒にいる」でいいではないか。

 いつまでも二人が煮え切らない関係のままでいることに苛立つけれど、もっと重要なのは、私が夜美の幸せそうな顔を見るのが好きということ。

 そう――何者であろうとも、この時間を邪魔させるわけにはいかない。

 それは、私の幸福を奪うことを意味する。

 私は意識を集中させて謎のサキュバスの気配を手繰り寄せると、すぐに隠れている場所に検討をつけた。

 二軒先のパン屋の角!

 私は上空に飛び上がると、ヤスと夜美――加えて、二人の時間を邪魔しようと企む不届き者にも気づかれないように細心の注意を払いながら、パン屋の向こうへと降り立った。

 視界が、即座に下手人の後姿を捉える。

 音もなく忍び寄り、背後からそっと手を伸ばして彼女の口を押さえた。


「……動かないで。抵抗は無駄よ」


「――ひゃあっ、む、むぐっ!?」


 そのサキュバスは、くぐもった呻き声を上げた。

「静かにするのよ。あなたがあの二人の邪魔をしないと約束できるのなら、危害を加えたりしないわ」


「て、てめえ、リリィ……」


 そう言って、下手人が振り向いた。

 そこにあったのは、目を驚愕に見開いたパルムの顔。


「……あれ、パルム?」


「は、放しやがれ!」


 もがくパルムを見て、私は不意に昨日の劣情を思いだした。

 もじもじしているパルムは、本当に可愛かった……。抱きしめたくなるくらい……。

 気づいたとき、私はわさわさと手を動かし、彼女の身体をまさぐっていた。ほどよく発育したパルムの身体は、触っていてとてもここちよい。


「ひゃあんっ! ど、どこ触ってやがる!?」


「あんたが悪いのよ……夜美の時間を邪魔しようとするなんて、本当にいけないサキュバスだわ……ハア、ハア……これは私がきっちりとお灸を据えてあげないと……」


「くすぐったい、くすぐったいって!」


「抵抗は無駄よ! 暴れるのをやめなさい!」


「て、てめえがくすぐるからだろうが! いいから放せってば!」


 パルムは必死に暴れて私の手を逃れる。


「な、なんなんだ、お前リリィ! いきなり襲いかかってきやがって!」


「こっちの台詞よ。そんなに悔しかったの? 昨日の今日で、もう夜美に仕返ししようと戻ってくるなんて」


 するとパルムは、それで昨日のことを思いだしたのか、さっと顔を赤らめた。


「……ママをあんなに怒らせて、知らないからな。きっと痛い目に遭うから」


「私が頭を垂れるのは、色欲さまと自分の欲望だけよ。くだらない派閥争いに加わるつもりはないわ」


 結局大きな目で見ると、昨日の一件は、サキュバムート派への勧誘を断ったということに過ぎない。

 サキュバス界闇の権力も、一枚岩ではないのである。その中には余多あまたの勢力があり、水面下で権力闘争を続けている。


「それで?」


「あん?」


「あんた、夜美に何をしようとしていたの? ことによると、無事に帰してあげられなくなるけど」


「アタシとやるってのか?」


「あんたがその気ならね。悪いけど、この前とは違って本気でいくわよ? 親の七光りで上級サキュバスの仲間入りできただけの相手に後れを取ったら、他ならぬ色欲さまに不敬を働くことになるもの」


 私がそう言うと、辺りの空気がひりついた。


「生意気だぜ、てめえ……年下の癖に……」


「私はとっくに親離れしてるけどね。いつまでも母親の顔色をうかがってる甘えん坊さんよりは、よっぽど成熟してると思うけど?」


「――言わしておけば! 許せねえ!」


 パルムが構えを取り、臨戦態勢に入ったとき――


「……なんだ、喧嘩か? 朝っぱらから騒がしいな」


「こ、こういうのはスルーするに限ります。触らぬ神に祟りなしと言いますからね……」


 道の向こうから登校中の二人の声が聞こえ、私はハッと息を呑んだ。

 夜美たちに気づかれてはならない!

 というのも、実はいつもこうして私がいちゃつく夜美とヤスの姿を見て楽しんでいたことがばれてしまうと、これから二人に警戒される恐れがあるから。

 それは私にとって本意ではない。あくまでも私は、無警戒で自然な夜美の姿を見たいのであるからして。

 即座にこの場からの撤退を決断したのと、何者かに腕を掴まれたのはほとんど同時だった。


「リ、リリィ! 一時休戦だ! ちょっと、こっち来い!」


 視線を戻すと、私の腕を掴んでいたのは他ならぬパルム。

 どういうわけか、彼女の顔は真っ赤に染まっている。

 つい先ほどまで私に向けられていた敵意は綺麗さっぱりと消え去り、いまはおろおろしながら夜美たちの声がした方向を見つめていた。

 何が何やらわからず、私はパルムと一緒にこの場から離れることになった。

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