【はじらいサキュバス スピンオフ】日比月リリィの淫靡なる奇行

『日比月リリィの淫靡なる奇行』(1)上級サキュバスたちの集会


 サキュバス――七つの大罪が一柱、『淫奔の色欲』さまに仕える種族にして、太古より人間の社会に溶け込み、彼らと浅からぬ関係を築き上げる者たち。

 色欲さまを頂点として築かれたサキュバスたちの組織力は《サキュバス界闇の権力》として、深く現代社会にその牙を食いこませている。


 かく言う私――日比月リリィも、サキュバスである。

 それも並みのサキュバスではない。

 色欲さまから一定の力を認められた上級サキュバスだ


「ああ、緊張してきました……どうしましょう」


 そう言うのは、私の愛すべき同居人、夜美。

 恥ずかしがってすぐ赤くなる夜美だけど、いまは反対に顔を蒼白にしている。

 慣れない場所。慣れない空気。

 そう、今日は特別な日。

 夜美は普段着ないようなナイトドレスで、精一杯のおめかしをしている。

「こ、こんな服は着ませんから!」と言ってごねる夜美を説得するのは、とても骨が折れた。でも、その甲斐あったと思っている。夜美はいま、我慢強い私でさえつい劣情を催してしまいそうになるほど、とても可愛らしいから。

 私にとっては、眼福というやつ。

 でも、もちろん私欲のためだけに彼女にお洒落させたわけではない。

 何しろ、夜美は今日の主役なのだ。


「大丈夫よ。別に取って食われるわけじゃないんだから」


 優しくそう語りかけると、泣きそうな夜美の上目づかいが返ってくる。


「……リリィのときはどんな感じでした? 緊張しました?」


「別に? むしろ光栄に感じたわ。これから、もっと色欲さまに尽くそうって」


「でも、なんだか周りの視線が怖いんですけど……」


 いま、私たちの周りにいるのは、みんな上級サキュバスだった。

 今日は『色欲逆十字勲章』の受勲式。つまりは、新しく彼女たちの仲間に加わるサキュバスのお披露目会のようなものだ。

 上級サキュバスたちにとっては恒例のことだけれど、受勲者が決定されると、都内にある大きな会館を借り切って、こうして一連の式が開かれる。

 そして今回その対象として選ばれたサキュバスこそが、夜美というわけ。

 以前彼女の奉納した欲望が、大いに色欲さまの舌を唸らせたということで、夜美には上級サキュバスの位とともに、その勲章が授与される運びとなったのだ。


「堂々としていればいいのよ。もう夜美は、ここにいるサキュバスたちと同格なんだから」


「で、でも……」


「不安なときには、何か好きなものを思い浮かべるといいって聞いたことあるわね」


「……好きなもの?」


「たとえば、ヤスとか?」


 私がそう言うと、夜美はカアッと顔を赤くする。

 身をますます小さくした夜美に向けられる他の上級サキュバスたちの視線は、色々な感情に満ちていたように思えた。

 なにせ、夜美は少し前まで業界の落ちこぼれ。

 男性恐怖症ゆえに直接男から搾欲できず、サキュバスの力を込めたエッチなイラストをアップして、月の搾欲ノルマをギリギリ達成させるという日々を過ごしてきた。

 一人前になるためには、そんな男性恐怖症を克服しなければならないと、一念発起した夜美を変えるきっかけになったのが、ヤスという二次萌えクソ野郎との出会い。

 夜美のイラストの大ファンだったヤスは、二次元の女の子にしか欲情しないという異常性癖の持ち主であり、自分に欲望を向けられるのが怖い夜美にとって、唯一近づける男だった。

 夜美はヤスをイラストで釣って男性に慣れるための擬似恋愛レッスンを行い、その過程で色欲さまを唸らせるほどの欲望を集めることに成功したのである。

 いまだ夜美は、男性恐怖症を克服するには至っていない――しかしこの子の中に、別の強い感情が芽生えているのを私は確信していた。


「や、ヤスのことなんて、別に私は好きじゃありませんから……」


 夜美は、目を泳がせながらそんなことを言う。

 素直になれないのがこの子の欠点でもあり、可愛いところでもある。


「そしたら、いいおまじないを教えてあげる。手の平に『男』って三回書いて、呑み込むのよ」


「それって『人』じゃありませんでしたっけ?」


「そうだったかしら? でも男の方が呑みやすいでしょ?」


「このパッキンビッチ!」


「――ご機嫌はいかが、お嬢さん方?」


 そのとき、いきなり私たちの会話に入り込んでくる声があった。

 そちらに意識を向けると、二人のサキュバスが着物姿で立っているのがわかる。

 その片方を見て、夜美が「……うぅ」と小さく呻き声を上げた。

 名家、サキュバムート家の現当主ラクト・サキュバムート。妙齢の美女だ。

 そしてその隣にいるのが、彼女の娘パルム・サキュバムート。こちらはまだ、少女のあどけなさがある。

 パルムの方は私と夜美の先輩にあたり、ずっと夜美をいびりたおしていたいじめっ子だ。

 しかも最近夜美にちょっかいをかけてきた折、ひょんなことで恥をかかされ、それを根に持っているという厄介な相手でもある。


「これはこれは、サキュバムートさま。ご機嫌うるわしゅうございます……」


 私は複雑な内心を抑え、にっこりと笑顔を張りつけて一礼をした。

 慌てて夜美がそれにならう。


「ご、ご機嫌うるわしゅうございますです……」


「今日はすばらしい日ですわ」


 私たちが頭を上げたタイミングで、母親ラクトの方が悠然と微笑みながらそんなことを口にした。


「ええ、すばらしい日です。私の誇るべき友人が、色欲さまに認められるわけですから」


「聞くところによると、ずっと夜美さんはうちのパルムちゃんが目にかけてあげてい

たという話ではありませんか! そういう方が上級サキュバスへと昇格し、わたくしも鼻が高いというもの」


「そうですね。ことによれば、パルム先輩にいただいた教育の賜物でしょう」


「なんてことかしら! いけませんわね。わたくし、パルムちゃんには人の上に立つ者としての気位を身につけてもらいたいと思っておりますのよ。でもやっぱり、生まれ持った優しさというのはどうにも――」


「馬鹿げた理不尽さに耐え続け、夜美はとても逞しくなりました」


 母親ラクトの言葉を遮って、私はピシャリと言い放った。

 すると、彼女は何を言われたのかわからないという表情で固まる。


「……馬鹿げた? 理不尽? どういう意味かしら、リリィさん……?」


「言葉どおりの意味です。これからは、何人たりとも夜美に手出しすることは許されませんよ。それが色欲さまの意志なのですから」


「手出しする? それでは、まるでパルムちゃんが嫌がらせをしていたようではありませんこと? ずっとこの子は、あなたたちと仲良くしてあげていたというのに……」


 仲良くして「あげていた」と来た!

 ムカムカしたけれど、冷静さを失ってはいけない。こういうのは、キレた方が負けだから。

 ラクトは今度、直接夜美に話しかける。


「夜美さん? あなたがイラストを使って人々から『搾欲』する方法を考案したとき、そのやり方を認めて、保守的で旧時代的な他のサキュバスたちの魔の手から保護して差し上げたのは、サキュバムート家なのですよ。なぜ、わざわざそんなことをしたと思います?」


「え、いや、その……」


「あなたがパルムちゃんのお友だちと知っていたからですわ!」


「その結果、パルムは甘い汁を吸うことになりましたけどね。夜美に自分をモデルにしたキャラクターを描かせて、取り分を搾取する。あなたの言う『お友だち』とやらには、友だち料を払わないといけないのですか?」


 私は、しどろもどろの夜美に代わって応えた。


「イラストのモデルになったサキュバスが、その権利を主張するのは当たり前のことですわ! 世の男どもは、パルムちゃんを見て淫らな気持ちになっているのですから!」


「見解の相違ですかね。それは夜美の技術によるものが大きいと、私はいまだに思っていますけど」


「あなたでは話になりませんわ、リリィさん! わたくしは夜美さんに話しておりますのよ!」


「それならパルムと夜美の問題に、あなたが出張ってくるのもおかしいですね。パルムが直接言えばいいのでは?」


 そう言って、私は母親ラクトの横で小さくなっているパルムに目をやった。

 すると、彼女は気まずそうに顔を赤くする。

 この少女の一番の急所が、母親なのだということは知っていた。

 いつものような居丈高な態度も、母親の前で取ることはできない、と。

 母親の目の届く場所では、『素直で、どこに出しても恥ずかしくないパルムちゃん』を演じなければならないのだ。


「うう……」


 パルムは、涙目で私を睨む。


 ……あ、やばい。ちょっとグッときた。


 いまさらこんなことを言うのもおかしな話だけれども、私は女の子が好きだ。

 正確には女の子も好き、と言った方がいいかもしれない。

 ただ、ここ最近はあんまり男に興味を持つことができない。その証拠に、ここ最近の『搾欲』ノルマは、ずっと女の子の欲望で満たしている。

 私はいま、いつも威張り散らしているパルムが、居づらそうにもじもじしている様を見て強い興奮を覚えていた。

 ああ、可愛い……生意気パルムのもじもじ尊い……。


「ママ……その、もういいから……」


 パルムはついに根負けして、母親の着物の袖を引っ張った。


「いい? 何がいいのかしら!? この子たちは、とんだ恩知らずと思いませんこと!? 今回の夜美さんの昇格だって、パルムちゃんはとっても喜んでいたっていうのに! ああ、恩を仇で返すとは、まさにこのことね!」


「仇で返す? 報いを受けるの間違いでは?」


「キイイイイイイイ! 日比月リリィ、なんて生意気な小娘! サキュバムート家のサキュバスに向かって、よくもそんな偉そうなことを言えたものね! 覚えてらっしゃい!」


 母親ラクトはヒステリックに叫ぶと、「行きますよ、パルムちゃん!」と、娘の手を引いて行ってしまう。


「ふ、何とかなったようですね……早くも私の上級サキュバスオーラが、周りに示威的な効果をもたらしているようです……」


 サキュバムート親子がいなくなった途端、夜美がドヤ顔でそんなことを言った。


「あれ? リリィ、どうしたんです? めっちゃキモい顔してますよ?」


「……キモい顔なんてしてないわ」


「いえ、十分キモいですよ。ほら、涎が垂れてますし」


 夜美はハンカチを取り出すと、それで私の口元を拭った。


「ははーん、さてはパイセンとパイセンのお母さんにビビってたんでしょう? ふふん、まだまだですね……」


「そうだわ……ああ、そうよね……」


 私は、ハンカチごと夜美の手を握り締めた。

 どんなことになっても……たとえどんなに可愛い子が現れても、私の一番は夜美……。

 危ないところだった。あのままでは、ついパルムに手を出してしまうところだった。


「あ、もう時間のようですね……それじゃ、私は行ってきます。リリィ、私がいないからと言って、他の上級サキュバスたちに失礼なことをしてはいけませんからね」


 私の手を振り払って、夜美が駆けていく。

 彼女のために私が選んだドレスは、大胆に背中が露わになっているセクシーなやつだった。

 むしゃぶりつきたくなるようなその後ろ姿を見て、目を細める。

 ――私は日比月リリィ。

 欲望に忠実で、模範的な上級サキュバスである。

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