2-6 一枚えっちなイラストを描くくらい別にいいですけど

 夜美が言っていたとおり、デートプランはまったく想定していたように進行せず、最初の服選びからして予定を大幅にオーバーしてしまった。


「三十分で選ばせてみせますよ! ヤスの趣味なんて熟知していますからね!」


 と、ドヤ顔で息巻いていた夜美は、二時間以上かかってゴスロリメイド服風ワンピを購入した。

 まず、めぼしい服があったにもかかわらず、他の服を見るために取ったあの小一時間が無駄だった。女の買い物は長いと聞いていたが、それが本当だったと実感する。

 ギャルゲの買い物イベントとかでは(――一時間後)とかのコメントで片がつくあの合間に、主人公たちがどれだけ苦労していたかを思い知らされた。

 次は映画の予定だったけれども、それはキャンセルせざるを得ず、俺たちは一緒に食材の買い物を手近なスーパーで済ませると、夜美の住処……つまりはリリィの家へと向かった。


「引っ越ししたんです。ここの方が便利だからって」


 リリィの家は、いつも一緒にそこまでと言って下校する学校の最寄り駅から、歩いて五分ほどのところにあった。


「え、結構でかい家だけど……あいつってそんなに気軽に引っ越しできる財力があるの?」


 いま俺たちの目の前には、立派な庭つきの一戸建てがある。


「だから言ったじゃないですか。私が使うお金なんて、リリィからすれば鼻くそみたいなものです。リリィはサキュバス界のエリートホープですから、色欲さまからこんなにいい待遇を与えられているってわけです」


「色欲さま? え、誰?」


「私たちの主ですよ。七つの大罪神が一柱、淫奔の色欲さま。私たちが集めた欲望は、全て色欲さまのもとに送られてから、質と量を勘案されて個人評価に変わるわけです。で、それに応じた魔力とかお金をいただけるという按配でして」


「なんてこった。お前たち、労働者だったのか」


「そうですよ。私たちはこの世知辛い世の中を、毎日一生懸命生き抜いているんです」


「ちなみに、お前は先月その上役から、いくら貰ったの?」


 夜美は、さっと目を逸らす。


「……三万円」


「生活できるレベルじゃないなあ」


「重要なのはお金じゃないんです! 生きるための魔力をもらうのがどれだけ大変か! それを確保した余剰分が三万円ですから! これ、すごいことですから!」


「サキュバスたちの平均手取りは?」


「サキュンワークでは四~五十万と書いてありました」


「じゃあダメじゃねえか!」


 あとその求人情報誌みたいな名前の概念は何だ!?


「上が貰い過ぎなんですよお! ヤスはサキュバスカーストの怖さを知らないんですよお!」


 知らないし、知りたくもない。

 俺の憐憫の目をどう思ったのか、すぐに夜美は胸を張った。


「でも、いまに逆転してみせますから! 今日ヤスとも……て、手を繋ぎましたし? もう男の人なんて克服したようなものです!」


 そう言って、真っ赤なドヤ顔になる。それを見る限り、先は長そうだと思った。

 それから夜美は、俺を家の中に案内した。

 どうやら同居人のリリィは留守らしい。

 リビングで待っているように言ってから、夜美はしばらく別室に立てこもってしまった。

 次に登場したとき、彼女はさっきの店で買ったメイド服風ワンピ姿だった。

 今度は、さっきまで身につけていなかったヘッドドレスとガーターベルトを装着している。


「これで完璧なメイドさんの出来上がりです! 私がメイドキャラを描くときに一番気を使っているのは、スカートとストッキングの間にできる絶対領域ですから! そこを走る一筋のガーターベルトがないと始まりませんよ!」


「お前の頭は終わってんな」


「この間描いた新キャラが、この衣装を着たところを想像してください」


「――ひゅう、最高じゃねえか!」


 俺は飛び上がり、全身で喜びを表現した。


「そう言えば、あの新キャラの名前、何にしましょうか。サバトたそとスケアクロウちゃんたちみたいに、固有名をあげようと思ってるんですけど」


「あれ、お前がモデルなんだろ? じゃあお前の名前をもじってつけたら?」


 俺がそう言うと、夜美は酸性を感知したリトマス紙めいた勢いで、一気に真っ赤になった。


「だ、だからあれは私がモデルじゃ……」


「はあ?」


「い、いえ……何でも……な、何でもありませんから……」


 夜美はあたふたと誤魔化すように言って、コホンと咳払いした。


「……そうだ、あのキャラの正装はメイド服にしましょう……残虐なご主人さまに虐げられながら、ご奉仕を求められる不憫かつ健気な、めちゃかわガールです」


「おい! 男の存在を匂わすな!」


「ご主人さまは女ですから」


「ならいい!」


 俺が強く頷いていると、夜美はちらりと俺の方を見つめた。


「そ、それはともかくとして、今日はヤスを私のご主人さまにしてあげます。ご飯もこの格好で作ってあげますからね……」


「……マジで? じゃあご飯はあとでいいから、まずはおかずを作ってくれよ。最近お前がイラストをアップしないせいで、俺は飢餓状態に陥ってるんだ」


「おかず? どういう意味です?」


「エロイラストを描いてくれって言ってるんだよお! この暴君ディオニスめ!」


「ええ……?」


 夜美は何を言っているのかわからない、という顔だった。


「とぼけるんじゃねえ! お前はイラストを人質にして俺の時間を奪ってるだろ! そろそろイラストを解放しろって話だ!」


「はあ? ちょくちょく描いて見せてあげてるじゃないですか」


「そういうのは健全なシチュエーション絵じゃねえかっ……俺が求めているのは、もっとエロエロなやつなんだよっ……!!」


 すると夜美はゴミでも見るような目を俺に向けてから、壁にかかった時計に目をやった。


「……まあ晩御飯を用意する前に、一枚えっちなイラストを描くくらい別にいいですけど」


「よし。話は決まったな」


 夜美は、もう一度自分の部屋に向かう。

 俺は何の気なしに彼女のあとについて行っていたが、いざ部屋に入ろうと言うところで、


「そ、そう言えば男の人を部屋に入れるのは初めてですね……」


 と、夜美がいきなり言い出して面食らった。


「別に気にすることじゃなくね? お前、この間は普通に俺の部屋に入ってきたし」


「そ、そうですよね? 私なにを言ってるんでしょうか、あはは……」


「そもそも、いまリリィはいないんだろ? どの道、この家で俺たちは二人っきりなわけだしさ……」


 俺がそう言ってから、しばらく沈黙があった。


「――ま、まあ、とりあえず入ってください! ははは!」


「わ、わかった! ははは!」


 俺たちは誤魔化すように大声で笑い合いながら、夜美の部屋に入った。

 気のせいだろうが、そこは何だか妙に甘ったるい匂いが満ちている気がした……。

 夜美は四脚の折り畳み机を開いて、その上にタブレットを置くと、絨毯の上に腰を下ろした。それから俺の方を見ずに、自分の横をポンポンと叩く。


「……座ってください」


「う、うん」


 俺はぎくしゃくと動き、夜美の横に腰を下ろした。

 ちらりと横目で夜美を見ると、夜美も同じように横目で俺の方を見ていた。

 ばっちりと目が合う。


「さ、さあ、どのキャラを描いてもらおうかなあ!」


「そ、そそそれはもちろん、あの新キャラちゃんに決まってますからあ!」


 夜美は顔を真っ赤にしたまま、恐ろしい勢いで手を動かし始める。

 ぼうっとしながら、その様を見守っていた俺は、タブレットの画面にキャラの身体のラインが浮き彫りになってきたあたりで、思わずストップをかけた。


「――ま、待て! ちょっとタイム! チェンジ! キャラチェンジで!」


「え? どうしてです?」


「いや、だって……」


 このキャラのモデル、お前じゃん……。

 その言葉は、咄嗟に呑み込んだ。そんなことを口に出したら、この馬鹿を意識していると思われてしまうではないか! そこで即座に方向転換し、


「俺は他のキャラが見たいんだよなあ! やっぱりサバトたそがいいよ、サバトたそが!」


「ダメですよ! ヤスはもう、このキャラのイラストしか見ちゃいけないんですから!」


「はあ?」


「だって他のキャラでヤスがそういう気分になったら、浮気になっちゃうし……」


 夜美はメイド服姿でもじもじしながら、わけのわからないことを言う。

 そんな彼女の素振りを見ているうちに、俺は自分の顔が熱くなるのを感じた。


「……よ、よく考えたら、俺は完成イラストだけ見せてもらえればいい気がしてきた! リビングで待っててもいい?」

「……いいですよ。わ、わたしも作業を邪魔されたらいいイラストが描けませんから……」


 夜美はどこかほっとした様子で、すっと目を泳がせる。

 ――そのとき、部屋のドアがガチャリと開いた。

 いきなりの衝撃に、俺と夜美は一緒になって慌てふためいた。

 そこに現れたのは、もちろんこの家の主であるリリィ。


 「……どうしたの? そんなにあたふたして」


 彼女は俺たちの方を見て、きょとんとしている様子だった。

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