2-4 ……ふーん、これがヤスの私服姿ですか

 ラブラブストロー刑を受刑者に課す法律を作れば、きっと日本の犯罪率は低下すると思う。

 そんな拷問のような時間を何とか乗り切ったあと、ようやく始まったデートプランの話し合いも、これまた長くかかった。

 夜美がアイデアを出し、俺が不可解に思っていると、彼女はタブレットを出して自分のアイデアを二次元語に変換する。それでようやく俺も彼女の言わんとするところを理解できる。

 たとえばデートの最初に夜美は服を買いに行くと言いだし、俺に好きな服装を選ぶように要求してきた。


「こ、こう見えて、私はスタイルいい方です……何だって似合うんですからね? ヤスの好きなようにコーディネートしてくれたらいいですから……」


「服なんてどれ着ても同じだろ」


「はあ!? これとこれで、女の子の魅力は変わってくるでしょうが!」


 タブレットには、タンクトップとホットパンツの活発そうなボーイッシュ少女と、ふんわり系のワンピースを着たおっとり少女の二次イラストが描かれている。


「これを○イッターに上げたと仮定して! ボーイッシュがいいならリツイート! ふんわり系がいいならいいねをよろしく!」


「――俺はどっちもするぞ!」


「このいやしんぼめえ! それぞれに違った良さがあるでしょうが!」


「わかる」


「……ちなみに、ヤスはどっちかっていうとどっちが好きですか?」


「こっちのふんわり系かな」


「なるほど、ふんわり系と。私にぴったりですね」


 俺はハハハと笑った。

 それから何も言わなかった。


「――せめて何か言え!」


 こんな感じで、なかなか話題が先に進まないのだ。

 その日、週末デートの最終工程である『私の手料理を食べてもらう』の料理に使う塩分の量を議論し終わったころには、もう日は暮れかかっていたほどだった。


 そうして悪夢のような週末がやってきた。

 その日、朝から何度も体調が優れない旨をメッセージで夜美に送りつけていたが、彼女からの返信はなかった。

 都合の悪いことには耳を塞ぎ、強行採決に踏み切るらしい。

 途端に馬鹿らしくなった俺は、ベッドに横になると、スマホからイラストサイトにアクセスした。しかしお気に入り登録しているユーザーさんたちのイラストを見ていても、一向に心が満たされない……。


「行かなきゃ……」


 俺は身を起こした。俺にとって夜美の描くイラストは、メロスにとってのセリヌンティウスも同然であり、暴君ディオニスたる夜美の手中に収まっている。

 かの邪智暴虐の王に放置プレイは効かぬ。必ず、そのしわ寄せはこっちにくる。

 ああ、サバトたそ~。スケアクロウちゃ~ん。

 そうして、俺がなけなしのやる気を振り絞り、待ち合わせ場所である駅前の時計台についたのは、約束の三十分前――。

 近くの本屋で時間をつぶせばいいと思って早めに来たのだが、もうそこに夜美はやってきていた。

 柔らかい印象のカーディガンを羽織り、下はブーツが見えるくらいの丈のスカート。そしてふちの赤い眼鏡をかけ、こじゃれたベレー帽を被っていた。馬子にも衣装とはよく言ったもので、見た目だけならいつもの頭のおかしい女には見えない。


「……早くね?」


 腕時計を見ながらそう話しかけると、夜美はにっこりと笑った。


「私も、いま来たところです」


「あ、そう」


「――これ、言ってみたかったんですよ! 本当は約束の二時間前からここにいましたけどね? でも、彼女に会いたくてつい早く来ちゃった彼氏より、もっと早く来てた彼女! そして彼女はいまの台詞を言うわけですよ! 彼氏の方は、絶対心が通じ合った気がするでしょう!」


「俺は別にお前に会いたくて早く来たわけじゃないけど」


「またまた、照れちゃって」


「てかお前、約束の二時間も前に来てたの?」


「そうですよ?」


「じゃあ、とりあえず約束の時間まであと三十分あるから、もうちょっとそこで待っててくれる? 本屋でラノベ買ってくるから」


「ま、待ってえ! もう合流したんだから一緒に行ったらいいじゃないですか!」


「ええ……」


「引くのはおかしいでしょう! むしろ、いまみたいな鬼畜発言をされたこちら側にこそ引く権利がある!」


 鬼気迫る勢いでそう言ってから、夜美はじろじろと俺の全身を眺め回した。


「どうかした?」


「……ふーん、これがヤスの私服姿ですか……」


「いや、頒布会でも私服だったろ?」


「あのときは萌えTを着てたじゃないですか。今日もそれで来るんじゃないかってヒヤヒヤしてたんですよ……?」


 それから夜美は頬を朱に染めて、もじもじし始めた。


「で、でも流石に今日はちゃんとおしゃれしてきたんですね? ふーん、そう……」


「おしゃれって言っても、ありあわせの○ニクロだぞ?」


「それでも嬉しいです。デートの日に、TPOをわきまえて来てくれたわけですから……」


 おずおずと上目づかいで見てくる夜美に一瞬だけ面食らったが、俺はすぐに正当な主張を展開した。


「俺は萌えTって、お前のイラストを印刷したやつしか持ってないんだよね。そんなもん、イラストの作者の横を歩くときに着ていたら、なんとなく負けた気がするだろうが。『ぼくはこの女の犬です!』って声高に宣言してる気になる」


「……え、そういう理由?」


 強く頷いてから、夜美を睨みつける。


「今日はアウェイ感半端ない。お前のせいで、いつもの萌えTが着られないからだ」


「私のせいって……そもそも、その萌えTがあるのは私のおかげじゃないですか」


 言われてみるとそのとおりだった。

 しかしそれを認めるのが嫌だったので、誤魔化すようにくるりと踵を返すと、近くの本屋へと足を向けた。


「何を買うんです?」


 当然、夜美もついてくる。

 俺はラノベコーナーに行き、絵師買いから始まったラノベシリーズの五巻目を手に取った。昨日がこの文庫の発売日だったのだ。表紙は、メインヒロインを押しのけて人気になりつつあるサブヒロインの立ち絵だった。


「あ、このラノベのイラストレーター、しろみんさんじゃないですか」


「え、知り合い?」


「ネットでちょっとしたやりとりをしたことはありますよ」


 いいなあ、絵師さんには絵師さん同士のつながりがあって。


「……そう言えばさ、何で夜美ってイラストの仕事受けないの? ラノベとかソシャゲとかあるじゃん」


「依頼は来ます。そりゃあ、私くらいの神絵師になればね!」


 そう言う夜美は、またいつものドヤ顔だった。自分で言うなと言いたくなるが、俺にはこいつのイラストを否定することだけはできない。


「でも、お金に困ってませんからね。全部、断っています。同人活動も、別にお金のためにやってるわけではありません。私は男性のえっちな気持ちを集められればそれでいいんです」


「金に困ってない? お前、両親に家から追い出されたとか言ってなかったっけ?」


「サキュバスは日本に圧力をかける闇のサキュバス組織から、貢献度に応じたお金がもらえるんです。私くらいのサキュバスになると、それはすごい待遇なわけですよ!」


「でもお前、落ちこぼれなんだろ?」


「ふ、持つべきものは友です」


 夜美は眼鏡をくいっと上げた。よくよく見ると、その眼鏡にはレンズが入っていない。伊達なのだろう。


「リリィはエリートですからね。いま私は、彼女の家に居候しています。そしてリリィがとても使いきれないお金を、普段から率先して使ってあげているわけです」


「ただのクズじゃねえか!」


「リリィがそうしたいって言うんだからいいんです」


 クズが、むっとした顔で俺を睨む。


「私だってもちろん最初は遠慮していましたよ。でも、リリィが媚びへつらって生活する私を見て嘆くわけです。『そんなのは夜美じゃない。ありのままになって。レリゴーレリゴー』と、すがりついてむせび泣くわけです。なんて可哀想なリリィ……」


 夜美はレンズの入っていない眼鏡の上から、わざとらしく目を押さえた。しばらくして露わになった彼女の瞳には、強い決意が満ち満ちている。


「――そんなのもう……私は豪遊するしかないじゃないですかあ!」


「いや、もっと他に選択肢があったはずだ!」


 叫びながら、俺は金髪碧眼のエリートサキュバス、リリィのことを思い出していた。

 慈愛の表情で、できの悪い夜美を見つめていたリリィ……。彼女は夜美のサークル活動を手伝うためにコスプレして売り子までやり、必要からペイントソフトの使い方を覚えたとも言っていた。

 なんてよくできた人格者なんだろうか。いや、度の過ぎたお人よしというべきか。

 将来、悪い男にでも捕まるんじゃないかと不安になってくる。

 俺は思わず顔を覆い、呻くように呟いた。


「俺……リリィにちょっときつく当たってたよな。これからは優しくしよ……」


「う、浮気は許しませんよ! ヤスは私の恋人なんですから!」


 それから俺はラノベをレジに持って行ったが、「代わりに私が払いましょうか」と言って財布から金を取り出そうとする夜美を、必死になって止める羽目になった。

 やめろ! それはお前の金じゃないだろ!

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