2-3 デートには念入りな準備が必要です。

 それから、俺と夜美の偽装恋愛的な関係がスタートした。

 クラスメートたちからの煩わしい目は、意外とすんなり解決することができた。というのも、俺の鉄のハートには、すでになかなかの定評があったから。


「てめえには幻滅したぜ、ヤス……いつもてめえが、蛍ちゃんみたいな可愛い子と一緒にいるだけで、俺たちはぐらぐらと煮え立ってたってのに……」


「あいつとは同じ部活ってだけだろ」


「黙れ! それが今度は何だ!? 夜美ちゃんとは完全につき合ってるじゃねえか! とんだ裏切り行為だぜ。二次元にしか興味がないとか言ってたくせに、あんなに可愛い子と……」


 詰め寄ってくるクラスメートを、俺はやんわりと手で制止した。


「……狼狽えるな。やつはいい絵を描く。それだけだ」


「はあ?」


「人間は家畜を育てて、肉にして出荷する。そのために家畜と一緒にいる。違うか?」


「どういう意味だよ?」


「つまり夜美は、俺にいいイラストを提供する家畜に過ぎない」


「夜美ちゃんがかわいそうだよお……不憫だよお……」


 途端に手の平を返すと、そのクラスメートは夜美に同情的になった。


「なんであんな子が、こんな二次萌えクソ野郎とつき合おうと思ったんだよお……」


「いや、お前たちはあいつの本性を知らないからそんなことが言えるんだ」


「なんか可愛い子ほど駄目な人間に夢中になるよな。ほっとけないのかな」


「まず、あいつは可愛くないからな」


 俺が言うと、そのクラスメートはおかんを彷彿とさせるノーモーションの張り手を見舞ってきた。


「――いったあ!」


「夜美ちゃんを泣かせたら殺す! あんな奥ゆかしい子、いまのJKでいるかよ!」


 あいつって、こいつらにはそんなによく見えるわけ? それこそ、妙な催淫でもされてるんじゃねえの……?

 俺には、そのクラスメートがとんでもない誤解をしているように思えた。

 夜美は他のやつの前では、真っ赤になって小さくなっているだけ。だから、みんな夜美の本当の顔を知らず、俺があいつをいいように扱っているだけだと思い込んでいる。

 しかし事実はまったくの逆。夜美は卑劣にも二次イラストを餌にしてくるため、俺の方こそ彼女に逆らえずにいた。

 毎朝公園で待ち合わせて、一緒に登校する。お昼も一緒に食べる。

 放課後は、俺が所属している漫研の部活があるときを除いて、また一緒に下校する。

 こんなことをしていて意味があるのかと悲しくなったが、もっと悲しいのは夜美に一向の進歩が見られないことだった。

 相変わらず彼女は男を怖がっているし、もっと言うと、練習台に過ぎない俺の手を触ることさえできない。

 何度か「手を繋ぐから目を瞑ってください」と言われたことがあるものの、結局何も起こらないまま時間が経過して、目を開けてみると真っ赤になって固まる夜美がそこにいる、というのがいつものパターンだった。


「俺から握るのは駄目なのか?」


 いい加減、埒が明かないと思い始めていた俺は、またいつもどおり夜実と一緒に駅まで下校している際、そう提案してみた。


「に、握るって、ヤスが私の手をですか……?」


「他に誰が誰の手を握るってんだよ」


「そんなに私の手を握りたいんですか……?」


「あのねえ、君ィ……」


 俺は高圧的なパワハラ上司よろしく、夜美を睥睨した。


「俺は練習台なわけ。練習してもらうのが仕事なわけよ。お前、仕事でやってるキャバ嬢が、握りたくておっさん客の手を握ってると思ってんのか?」


「自分の役割を水商売にたとえるなんて……ヤスはただれてますね」


「……くそっ……たとえを変えよう。俺はお前にとっての跳び箱なわけ。で、こっちからお前の股の下をくぐってやるって言ってるんだ」


「ま、股の下をくぐるって……」


「だあああ! やりにくいなあああ!」


 顔を赤くして制服のスカートを押さえる夜美を見て、俺は頭をかきむしった。


「まあまあ、ヤス。落ち着いてくださいよ」


「どの口が言うんだよ……」


「今日は秘密兵器がありますから。これを使えば、は、肌を触れ合わせなくても、すぐに親密になれちゃいますから」


「別に親密になりたいわけじゃないだろ?」


「いいから、ここはひとまず私に任せてください。大船に乗ったつもりでね」


 そう言う夜美は相変わらずのドヤ顔だったが、すでにその信用度はゼロだ。


 俺は怪訝に思って、彼女の顔をまじまじと眺めた。


「泥船の間違いだろ……とかいう定番の返しをしたいところなんだけど、まだ海原に漕ぎ出してない感すらあるからなあ」


「航海しなければ、船は沈みません。不沈艦というわけですね!」


「それはもう船じゃねえんだよ!」


「さあ、ヤス。ここに入りましょう」


 俺の突っ込みを華麗にスルーし、夜美は道の脇にあるおしゃれなカフェを指差している。


「実は、登下校中にいいなと思っていたんです。私たち、お茶しに行くのはいつも駅前のチェーン店じゃないですか? でもそれ、流石にもう飽きましたよね?」


「どうでもいいけど、わりと玄人感だすよな、お前。何も始まってないくせに……」


 渋々店に入ると、店員が「いらっしゃいませ。お好きなところにおかけくださーい」と声をかけてくる。

 夜美はきょろきょろと周りを見回してから、一番窓から離れた奥の席に陣取った。


「トロピカルミックスジュースを二つ」


 近づいてきた店員にブイサインをしながらそう言うと、夜美はカバンをごそごそやって、中からA4用紙の束を取り出す。


「なあ、俺はコーヒーがよかったんだけど」


「コーヒーは、毎朝私のあげたマグカップで飲んでるんだからいいじゃないですか」


「……なんで知ってるんだよ」


「ヤスのことは何だって知ってますとも。か、彼女ですからね……」


 目を逸らして自信なさげに言う台詞じゃないけどね、それ。

 夜美は誤魔化すようにコホンと咳払いしてから、A4用紙の束をテーブルに置き、すっとこちらに寄せてきた。


「……あなたの意見はこっちで聞きます。はい、これに目を通してください」


「なにこれ? イラスト集?」


「いえ、企画書です」


「企画書お? 何の?」


「週末デートの」


 ふと視線を上げた俺の目の前にあるのは、頭のおかしい少女の大真面目な表情だった。


「今度の週末を使って初デートを行います。絶対に成功させましょう」


「ええ……」


「何を引いてるんですか。デートですよ?」


「いや、初耳ですけど」


「そりゃあ、初めて言いましたからね」


 夜美は自信満々な様子で胸を張る。


「デートには念入りな準備が必要です。それはもう、『……え、もはやこれやらなくてもいいんじゃね……?』って思えるくらい綿密な計画がね」


「じゃあ今日めっちゃ頑張るから、当日はやらない方向でお願いできる?」


「大丈夫です。絶対、計画通りになんていきませんから! 当日は当日で、その不測の事態を楽しめます!」


 何が大丈夫なのかわからなかったけれども、とにかくこいつの頭が大丈夫でないことだけはわかった。


「じゃあいまから、思い通りにならないとわかってる計画を練ろうってわけか……」


「確実な成果を得られないとやる気になれないという、現代人の悪いところが出てますねえ。そういった態度が社会を停滞させるんですよ?」


「わかったような口を利くんじゃない!」


「おまたせいたしました。トロピカルミックスジュースでございまーす」


 そのとき店員さんが、テーブルにグラスを二つ持ってくる。

 そのトロピカルなんとかは結構なボリュームだった。白黄色のどろりとしたやつだ。


「よし」


 と言うと、夜美は企画書をひとまずテーブルの脇によけ、グラスを二つとも自分側に寄せる。


「え? どっちもお前が飲むの? じゃあ俺、他のやつ注文していい?」


「いえ、ヤスにもちゃんとこれを飲んでもらいます」


 カバンをごそごやり、夜美はその中からビニールに包まれた何かを取り出す。

 それは、先が二股にわかれたストローだった。映画とか漫画とかで、カップルが一つの飲み物に差して一緒に飲んでいるあれ。

 夜美は無表情のまま二股ストローからビニールを剥ぎ取ると、トロピカルミックスジュースの生え抜きストローを放出し、代わりにそれを投入した。


「お、おい、お前まさか……」


「くっくっく……これこそが今日用意した秘密兵器……触れ合うことなく、それ以上に心理的距離を詰められる必殺アイテムです! 人呼んで『ラブラブストロー』!」


「やらねえぞ!? 俺は絶対、こんな恥ずかしいことやらねえからな!?」


「安心してください! ジュースは二つあります!」


 夜美は両の手を二つのグラスに添え、ドヤ顔を浮かべた。


「――恥ずかしさを恥ずかしさで上塗りしていくスタイル!」


「ふっざけんじゃねえ! てめえ、二回もさせる気か!」


 恥ずかしさは単純な足し算であって、二つ目で一つ目を隠せたりしない。

 しかし夜美はすでにテーブルに身を乗り出し、二股ストローの片一方を咥えていた。


「ほらほら、これって一人だけでやっても飲めない仕様らしいんですよ。ヤスがもう片方を吸ってくれないと」


「言っとくけど、これ手を繋ぐよりも普通に恥ずかしい行為だからな……?」


「め、目を瞑りますから大丈夫……」


 言いながら、ぎゅっと目を瞑る夜美。

 目を閉じて唇をすぼめる夜美は、何だかキスをせがんでいるようにも見える。

 恥ずかしさをこらえているせいか、ずっと彼女の唇はぷるぷると震えていた。そこばかり見ていると妙な居づらさを感じてしまい、思わず姿勢を正してしまう。

 ちゅうううと一方的にむなしい音が響き続けるのも何だか可哀想だったので、俺は周りを見回し、誰もこっちを見ていないことを確認してから、そっとストローの片方に口をつけた。

 両方の出口をふさがれ、透明なストローの内部に液体が満たされていく……。

 そして、夜美の口元にトロピカルミックスジュースが到達したとき……、


「――わああああ! な、何かいきなり入ってきたあああ!」


 彼女はクワッと目を見開き、顔を真っ赤にして慌て出した。

 大きく咳き込んだあと、夜美の口の端から白黄色のドロリとした液体が垂れてくる……。


「こ、これはそういう仕様だろうが! さっき自分で言ってたろ!」


 目の前の馬鹿を見ていると、流石の俺も自分の顔に血が上ってくるのを感じた。

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