2-2 ヤスにはあなたの誘惑なんて効きませんから……

 見ると、先日の同人誌頒布会で見たあのコスプレ女が、高校の制服姿でそこに立っていた。

 金髪碧眼。無駄にでかい胸に、きゅっと引き締まったウエスト、すらりとした長い脚。

 確か夜美はこの前俺の部屋に現れたとき、こいつもサキュバスだとかなんとか言ってたと思うが……。


「あ、これはリリィです、ヤス」


 訝しげな俺をフォローするように、夜美が言う。

 すると、紹介されたリリィは不満そうに唇を尖らせた。


「随分ぞんざいな説明じゃない、それ……?」


「では、日比月リリィです。私と同じく、今日この学校に転校してきました。サキュバス組織のあらゆる権力を利用しても、同じクラスにすることはできませんでしたが」


 あれ、意外とサキュバスの組織力って大したことないんじゃね?

 とはいえ、とにかく。


「……確か、こいつもサキュバスってことでいいんだよな?」


 夜美に代わってその質問に答えたのは、リリィ本人だった。


「そうよ。夜美がこの学校に転校したいって言うから、私もせっかくだしね? ここ、制服可愛いし」


 そう言って、リリィはその場でくるりと回った。

 スカートがふわりと舞い、廊下を歩く男たちが一斉に足を止めて呆けた顔になる。

 そういえば、頒布会でも彼女の周りには男が群がっていた。なるほど、これが……。


「ふ、これがサキュバスの力ですよ、ヤス」


 なぜか、ドヤ顔でそう言うのは夜美。


「こういうのって、お前にもできるわけ?」


「もちろん、できますとも! ……あ……でも、やりませんから……え、えっちな気持ちを向けられたくないですからね……」


 ドヤ顔のまま、夜美は真っ赤になった。なんなん、こいつ? 照れるくらいなら、会話の主導権を握ろうとしなきゃいいやん?

 俺が改めてリリィの方に目を向けると、彼女はにっこりと笑って手を差し出してきた。


「この間の頒布会でも会ったわよね? 夜美から話は聞いてるわ。これからよろしくね、ヤス」


「かあっ!」


 と、いきなり夜美がリリィの手を叩き落とす。


「な、何するのよ、夜美!」


「誰にでも色目を使おうとするんじゃないのです! ヤスは、わ、私の彼氏なんですから!」


「色目なんて使ってないじゃない。普通に挨拶しただけでしょ?」


「うるさい、うるさい! ふ、ふふん、でも残念でしたね? ヤスにはあなたの誘惑なんて効きませんから……」


 夜美は自信満々なドヤ顔で、俺の方をちら見した。


「この異常者を発情させられるのは、私のイラストだけです!」


「はあ? あんた、いつか自分にも夢中にさせてやるって、昨日息巻いて――」


「わあ、この女は悪魔です! 言うことを信じてはいけませんよ、ヤス!」


 あわあわと顔を真っ赤にして、夜美はリリィの口を塞いだ。


「いや、お前も悪魔だろ? さっき自分で言ってたじゃねえか」


「そうですけど、リリィと私では悪魔的レベルが違いますから! 月とすっぽんです! またはエリートと雑草!」


 自分で言うかね、それ? しかも、どっちがエリートでどっちが雑草か、一瞬で判別つくところが悲しすぎる……。


「まあ、いいや。近くに三次元の肉塊が一人増えたところで、大勢たいせいに影響はない」


「あんた、ほんといい性格してるわね……」


 そう嘆息して、ジト目を向けてくるリリィ。


「一つ確認しておきたいんだけど、いいか?」


「なに?」


「夜美のサークルの一員と言っていたが、お前はイラスト描けないんだよな?」


「ペイントツールを一通り使うくらいならできるわ。夜美の手伝いをしてて、勝手に覚えちゃっただけだけど」


「夜美が描いたイラストに、お前の影響はどれくらいある?」


「それって、サキュバスとしてってこと?」


「違う。イラストのクオリティの話」


 リリィは肩をすくめた。


「それはノータッチよ。夜美が同人漫画を描くってなったときにベタを塗ったり、トーンを張ったりするのが私の担当」


「そいつはよかった。おい、夜美。つまりこいつは別に、俺にどうこう要求してくることはないってことだよな?」


「もちろん。その女の要求は、全て突っぱねていただいて結構です」


「あんたらね……」


 リリィは頭を押さえ、呻くように言った。


「……まあ、いいわ。ひとまず仲良くできてるみたいだし。ヤス、夜美のこと、くれぐれも頼んだからね?」


「気は乗らないけど」


「……くれぐれも頼んだわよ」


 一瞬、リリィの目が据わったように感じて、ぞくりと寒気を覚えた。しかし次の瞬間には、彼女はにこにこと微笑んでいた。


「……なあ、お前たちってどういう関係なの?」


「俗にいう幼馴染というやつですね。別名、腐れ縁」


「一番の友だちよね」


 リリィがそう言うと、夜美は照れ臭そうに顔を赤くする。


「は、恥ずかしいことを言いますね。ま、そう言ってあげてもいいかもしれませんが……リリィが、私の優れた才能を見抜いている数少ないサキュバスであることは確かですし……?」


「夜美は昔からあぶなっかしいのよ。誰かが見ていてあげなきゃ」


「そんなに心配されるほど私も落ちぶれていませんよ! まあ、見ていてください! すぐに男を克服してみせますから!」


「そう? 頑張ってね、夜美」


 そう言って夜美を見つめるリリィの瞳は、慈愛に満ち溢れているように見えた。


 ――が、同時に何か違和感を覚えた。その正体が何なのかはわからないが……。


「じゃあ、さっそくだけどいい?」


 俺が釈然としないうちに、リリィが話を切り出す。


「今日の放課後は、二人でどこかに行くのかしら?」


「行くわけないだろ」


「カフェにお茶しに行きます。ま、初日ですからね」


 意見の不一致があり、俺と夜美は睨み合った。


「お昼は一緒に食べるんでしょ?」


「いや、いつも友だちと食べてるし」


「今日からは私とですね。当然、恋人同士ですから」


「――あのさあ、お嬢ちゃん?」


 俺はチンピラ風のテンションで夜美に牙を剥いた。


「俺って、あんまり拘束とかされたくないわけ? ギャルゲとかソシャゲくらいでしか女の子とは接してないから、そういう価値観しかないわけ? つまりは選択肢をこっちに委ねて欲しいわけ?」


「なに情けない台詞を得意そうに言ってるんです。それは都合のいい二次元キャラとの恋愛でしょう」


「それで満足してるんだよ、こっちはあ!」


「はあああ、情けな! はあああ!」


 夜美は特大の溜息とともに、俺に侮蔑的な目を向けてくる。


「お前、二次元キャラはこっちの都合を一切乱してこねえからな! 『きちゃった❤』とか言わないし! いや仮に言っても、それはソシャゲのガチャから出てきたときくらいだろうだから、むしろウェルカムだし!」


「ええい、黙れ、黙れ! こんな男しか見つけられなかったのかと、こっちが恥ずかしくなってくる!」


「お前は恥ずかしいやつなんだよ! 自覚しろ!」


「ヤスにだけは言われたくないですよ! リリィ、タブレット!」


「はい」


 どこから取り出したのか、リリィが液晶タブレットを夜美に渡す。薄型のいいやつだ。


 夜美は制服のポケットからタッチペンを取り出し、さらさらとそこに何かを描き始めた。


「あなたがどれだけもったいない機会を損失しようとしているか、私が説明してあげます! ――二次イラストでね!」


「二次イラストで?」


「翻訳行為です! 二次元語しか話せない二次元星人に、こちらの話を理解してもらうにはこれしかないでしょう!」


「お前がまず日本語をしゃべれ」


「はい、もうできました!」


 タブレットを覗き込むと、見目麗しい美少年美少女が楽しそうに寄り添っている絵のラフが描かれている。美少女が箸でつまんだ何かを、美少年が口を開いて迎え入れようとしていた。


「ほら、恋人たちのお弁当風景と言えばこれです! あーん、口を開けて……ぱくっ……美味しいな、君の料理は最高だぜ……ふ……ふっふっふ……」


「いいじゃん! すごくいいじゃん! 微笑ましいじゃん!」


 俺は夜美の手からタブレットをひったくると、おもむろに画面をスクリーンショットで保存した。


「……これでよし」


「……何してるんです?」


「種の保存だ」


 放っておくと、何かはすぐ絶滅する。


「あとはこれをメールに添付して、俺のアドレスに送るだけだな……」


「そんなことより、このシチュエーションの素晴らしさがわかりましたよね?」


 夜美は俺の手からタブレットを奪い返した。それから、おずおずと、


「……お弁当、一緒に食べますよね? あ、でも……あーんとかはしませんからね! 初日からそんなことできないし……こ、この絵はあくまでイメージですから!」


「いや、盛り上がってるとこ悪いけど、一緒に食べないから。その絵は確かにすばらしい。でも、リアルと二次元を一緒にするもんじゃない」


 夜美はきゅっと眉を吊り上げた――が、すぐに余裕のある表情に戻る。


「……そうだ、こうしましょう。この絵はいまラフ状態ですが、お昼までに色塗りまで完成させておきます。一緒にお弁当を食べたら、そのあとヤスのアドレスに添付して送る、と」


「おい、卑怯だぞ!」


「むはは、卑怯は悪魔の褒め言葉! ……しかし私とて、そこまで血も涙もないわけではありません。イラストの細部に要望があれば、受けつけてあげますよ?」


「――あ、じゃあ、こっちの男消して女の子にしてくれる? で、食べさせてるのは白い棒状のアイスに変更して、溶けて垂れた白い液体が二人の胸元にかかってんの。食べさせてる方は嗜虐的な表情で、食べさせられてる方は嫌々食べてる感じ。で、どっちも水着ね」


「それ、もう完全描き下ろしの新規イラストじゃないですか……」


 夜美はそう言って眉間を押さえていたが、しばらくして、ふっと吹っ切れた表情になる。


「――やってやろうじゃねえかあ!」


「よし、じゃあ昼休みまでに頼む」


「……あんたたち、本当に大丈夫なの?」


 リリィが何か言ったものの、俺は敢えて無視することにした。

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