1-5 私と、ヤスは――恋人同士なんですから!

 変なサキュバスが現れてから、一週間ほどが過ぎた。

 あの出来事自体が夢ではないかと思ったりもしたけれど、夜美が俺の部屋に残して行ったマグカップはあるので、そういうわけでもないらしい。

 俺はそれよりも、あの夜以降、あいつがネットにイラストをアップしなくなったことに対して気を揉んでいた。

 彼女のSNSも、例の『断筆宣言』から新しい呟きがない。

 ファンたちは彼女のアカウントに心配するリプを飛ばしていたものの、彼女から特定の誰かに返信が返ってきている様子もない。


「ヤスくんの好きなレイターさん、活動休止しちゃったみたいだね……」


 朝礼が始まる前の教室で俺にそう話しかけてくるのは、白波蛍というクラスメートだった。

 柔和な顔つきでいつものほほんとしている、ゆるふわパーマの脱力系女子。

 一年前の高校入学時点から、俺と彼女は同じ漫研に所属していて、ある程度お互いの人となりや偏った趣味のことも話し合っている気が置けない友人同士だった。


「……俺も今朝、まとめサイトでその記事見たよ」


 蛍に答えて言いながら、スマホを取り出してネットにつなぐと、


『【悲報】人気○イッター絵師さん、断筆宣言のあと失踪wwwwww』


 という記事を見つけることができた。

 冷や汗をかく。

 俺のせい? これってやっぱり俺のせいなの?


「……いやあ、ヨミさんに何かあったのかなあ。不思議だなあ……」


「確か同人誌頒布会の日からだよね? その日に何かあったのかも」


 蛍はたまに鋭い。


「ヤスくんって確か、そのイベント行ってたよね? ヨミさんってどんな人だったの?」


「変なやつだった」


「変な?」


「とにかく変なやつだった。これ以上は話せない」


「まさか、ヤスくんが何かやったとかじゃないよね? 無許可でグッズ作って行ったり、騒ぎを起こしたり……」


 こいつ、あの場にいたんじゃねえだろうな。頭のおかしいサキュバスなんかよりも、よっぽど怖いんですけど。


「ヤスくんってたまに暴走するからねえ。憧れの人に会えて、舞い上がっちゃったんじゃないかなあって心配したんだよ」


「憧れて(笑)……俺はあいつのイラストが好きなだけであって、その人格まで肯定する気はない。何があってもだ!」


「作品と作者は別ってやつ?」


「そうさ! 確かにイラストはすばらしい! でも俺が思うに、あいつの人格はきっと最悪だ……わかっちまったんだよ、こう、一目見ただけでさ……」


「サインもらう! とか意気込んでなかった?」


「そう――それだ! 俺はサインもらえなかったんだよ! 色紙も用意してたし、新刊を三冊も買ったのにだぞ! ここからでも、あいつのクズっぷりが透けて見えるというもの!」


 俺は、夜美をこき下ろすのに必死になっていた。

 俺がサインをもらえなかったのは、冷静に考えると周囲を煽った自分自身のせいだったが、この際そんなことはどうでもいい。

 すべての責任をあいつに押しつけ、自己正当化をはかることによって、精神の安定を保とうという狙いだ。


「……大体、身勝手だと思わないか? ファンは応援してくれてるのに、いきなり筆を折るなんてさあ」


「でも行き過ぎたファンに、怒るクリエイターさんもいるって話だからねえ……」


「そのとおりだよな。打たれ弱いやつは最初から創作活動なんてするべきじゃないよな……」


「何がそのとおり? 真逆のこと言ってるよね?」


「蛍、信じてくれ。俺は何もやってない」


「それ、何かやった人の台詞だよ。少なくとも、いまの唐突なタイミングは」


 蛍は、いかにも呆れたという表情をしている。


「色んなことが………あった」


 俺は顔を両手で押さえ、観念したように切り出した。刑事ドラマでいう、ラスト十分くらいの犯人のノリだ。


「あ、内容は別に話さなくてもいいよ」


「あいつがいきなり俺の家に――て、ええええ!?」


「わ、びっくりするじゃない、何?」


「こっちの台詞だろ! 完全に俺、話す流れだったじゃん! お前、聞く流れだったじゃん!」


「だって、もう朝礼始まっちゃうし」


 そう言われて前を見ると、担任を務める体育教師が教室にやってきているのがわかった。


「……あれ、転校生かな? こんな時期に珍しいね」


 そして、体育教師のたくましい身体から大きく距離を取り、あからさまにビクビクした態度で、教壇の端に立つ少女の姿があった。

 俺はそいつを見て、思わず目を剥いた。


「転校生だ。今日から君たちの仲間になる。はい、天谷さん、自己紹介して」


「あ、天谷あまがいです……絵を描くのが得意です……」


 そこに立っていたのは、一週間前の夜、俺の部屋に現れたサキュバス少女だった。


「――な、なんでだよお前ぇ! なんでここにいる!?」


 俺は我を忘れて立ち上がり、その女にビシリと指を突きつけた。

 すると夜美はこれ以上ないというくらい顔を赤らめたまま、ニヤリと口の端を上げた。

 ドヤ顔である。

 しかし羞恥心のせいか、あるいは緊張のせいか、彼女の頬はぴくぴくと痙攣している。


「お、どうした? 津雲は天谷さんと知り合いなのか?」


「や、ヤスとは、知り合いなんてものじゃありませんよ、先生!」


 そして夜美は、大股で五歩以上は離れた体育教師に向け、居丈高に言い放った。


「私と、ヤスは――なんですから!」


 瞬間、教室が揺れたような感じがした。

 のちのちになって聞くと、大きなどよめきが起こったらしい。

 まあ、それは当然だろう。見るからに頭のおかしい女が、いきなり頭のおかしいことを言ったのだから。

 とはいえ、そのとき真っ白になっていた俺には、周囲の音がまったく聞こえなかった。

 ……というよりも、何も聞きたくなかったのだと思う。

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