1-4 自分で直接『搾欲』できるようにならないといけないと思っていたんです。
夜美の話によると、こういうことらしい。
サキュバスは男の煩悩を刺激し、そこに生じた欲望を吸い上げる。
特に夢の中に入り込んで男を誘惑し、喚起した欲望を吸うのは、彼女たちの業界用語で『搾欲』と言われ、普通のサキュバスなら食事をするようにできる当たり前の行為なのだという。
ただ、夜美はサキュバスであるにもかかわらず、その『搾欲』行為を行うことができない。
なぜなら現実はもちろん、夢の中でも男そのものに近づくことができないから。
どうやら、欲望を自分に向けられるのが無理らしい。
サキュバスとしてそれってどうなの? と言いたくなるが、実際にそれを指摘すると「だから悩んでるんでしょうが!」と逆ギレされた。
そこで夜美はその代替手段として、エロイラストを描いてネットにアップすることによって男の欲望を喚起し、かすめ取っていたというのだ。
「くっくっく……これが、私が業界で『置きボム』使いとして恐れられている所以です」
「それ、恐れられてるっていうか、馬鹿にされてない?」
夜美は、俺を無視して話を続ける。
「とはいえ、イラストから搾り取れる欲望も微々たるものですからね。いつか、自分で直接『搾欲』できるようにならないといけないと思っていたんです。両親にも最近、『そんな絵を描いてる暇があったら、男の夢に出てきなさい!』って追い出されちゃって……」
そう言えば、さっきそれっぽいことを言っていたような気もする。
「じゃあ、お前やっぱり落ちこぼれなんだ」
「い、いまはそうかもしれませんが? あなたという練習台を見つけたことで、すぐに一人前のサキュバスになりますから! ……男慣れするために、あなたの力が必要なんです。私が今日ここにきたのはそのためです」
「はあ」
「何ですかその反応は? ここを突き止めるのに、こっちはめちゃくちゃ苦労したんですよ?」
夜美はむっとした様子だった。
「そういや、どうやってここを知ったんだよ? 俺の名前も知ってたし」
「さっき、○イッターのダイレクトメッセージでやりとりしたじゃないですか」
「うん。でも、あのアカウントに俺は、名前も住所も載せてないけど?」
「いえ、あのときヤスは『グッズを全部三つずつ買ってる』って言ったでしょう? そこでファンサイトの顧客リストを見て、条件に該当する人の住所を探して回りました。で、五軒目にヒットしたってわけです」
「わけです、じゃねえよ! てめえ、あのファンサイトには『グッズの送付目的以外に個人情報を使いません』って書いてたろ!」
すると彼女は、懐から見知らぬグッズを取り出し、そっと床に置く。
イラストのついたマグカップだった。
「代金、送料、ともに無料です」
「……頼んでない」
「いらないんですか?」
「いらないとは言ってない!」
謹んで取り上げる。
良い出来だった。明日から、朝のコーヒーはこのマグカップで飲もう!
「個人情報保護の問題など、克服するにはあまりに容易い。そう……サキュバスならね」
「言っとくけど、俺だから可能だった方法だからな。あと、それサキュバス関係ない」
「サキュバスに不可能はないんですよ」
「嘘こけ」
「事情は以上です。私が男に慣れる練習、手伝ってくれますよね?」
夜美はにっこりと笑って言った。
「もちろん断るとも」
「は? え、嘘でしょ……引くわ……な、なぜ……?」
「いや、なんでそんなに驚いてんの? 普通に考えたら断ると思うけど」
「だって私は、ヤスが大ファンを公言してやまない大人気絵師なんですよ! ヤスがクラスの掲示板に、私のイラストをプリントアウトして張りまくってるの知ってるんですから!」
「て、適当なことを言うな! 精々、漫研の部室の掲示板くらいだ!」
「それは些細な違いです! そんなにファンなのにどうして!?」
俺は大きく息を吐いた。
「……俺はお前のイラストが好きだ。でも、お前自身はどうでもいい。極端な話、お前がバラバラになって利き腕だけの姿になったとしても、その腕がイラストさえ描いてくれてばそれでいい」
「サキュバスにそんな真似ができるかあ! このサイコパスの人でなし!」
さっそく、「サキュバスにできないことなどない説」を否定し、夜美は喚き散らす。
「淫魔に人でなしなんて言われるとはな! 大体お前、俺で練習して男に慣れたら、イラストを描かなくなるんだろうが! 『近々、筆を折るかも』ってそういうことだろ!」
「当たり前でしょう! あれは私が男に近づけなくて、しょーがなくやってた方法なんですから!」
俺たちがギャーギャーと騒いでいたそのとき、廊下で誰かがドスドスと動く気配がした。
もちろん思い当たる存在など、一人しかいない。
「ちょっと康史! さっきから何を騒いでるの!」
ドアがドンドンと叩かれ、怒気を孕んだ声が飛ぶ。
おかんが襲来したのだ。
「や、やべえ……とりあえず、お前どっかに隠れろ……!」
深夜に女の子と二人きり。
こんな光景を、おかんに見られたら俺は終わりだ!
――せっかく「俺は二次元しか愛さない」と声高に宣言しているというのに、自分の言葉も守れない中途半端野郎と思われてしまう!
「その娘は誰だ!」とか、「人さまの娘を傷物にして!」とか、おかんはそういうことを言うタイプではない。おかんの性格は、十六年息子をやっている俺が一番理解している。
「やっぱり何だかんだ言って、あんたも年頃の男なんだねえ……」と、わかったような目を向けてくるおかんの姿が容易に想像できた俺は、隠蔽工作に必死になった。
夜美をベッドに押し倒すと、掛布団でぐるぐる巻きにする。
そしてノックの続くドアを急いで開け、イライラ顔のおかんに向かって言い放った。
「――悪いな、母さん。俺が三次元の女なんて愛することはない。孫は諦めてくれ!」
「はあ?」
「話すことは何もないんだ! 許してくれ!」
「ちょ、ちょっと待ちなさい、康史!」
奇襲攻撃ののち、速攻の講和条約。これが力のないものの勝ち筋だ。
しかしドアを閉めようとしている俺の手を、おかんがむんず掴んだ。
「い、いつにもまして様子がおかしいけど……あんた寝ぼけてんの?」
「変な夢を見たんだ。うるさくして悪かった」
決め顔でそう言ったところ、ノーモーションの張り手が飛んできた。
「――いったあ!」
「とにかくもう静かにしなさいよ!」
鍵を閉め、熱を帯びた頬を押さえてベッドに向かう。
盛り上がった布団はぴくりとも動かない。
こいつ、まさか寝てるんじゃねえだろうな……。
「いい度胸だ。このKY淫魔め……あ……?」
布団をどかすと、その下にいた夜美とばっちり目が合った。
顔をますます真っ赤にした彼女は、そこで微動だにしない。
「あれ、起きてるじゃん?」
「……こ、この布団……」
「はあ?」
「……ヤスの、匂いがしますね……」
「そりゃ、俺の布団だからな。ていうか、俺ってそんな特徴的な匂いする?」
何かショックだった。別に汚らしい格好をしているつもりはないんだけど。
風呂だってちゃんと毎日入っているし、部屋だってきちんと掃除している。グッズに埃がつくの嫌だし。
「い、いえ、その……決して悪い匂いというわけではなくてですね……」
「そう? それならよかったけど」
「お、おとこのひと……の匂いです……」
言いながら、夜美は息も絶え絶えといった様子で立ち上がり、よろよろと窓に近づいていく。
「はあ……はあ……う、うぅんっ……」
妙な声を出し、もどかしそうな赤面顔で小刻みに震えながら……。
「おい、大丈夫か? なんかお前、発情した猫みたいになってるぞ」
「は、発情なんてしていません……失礼な……」
「『みたい』って言っただろ。いまのどこに発情する要素があったよ?」
「も、もう今日は帰ります……こ、こんな辱めをいきなり受けるなんて……ヤスは意外と強引なんですね……ベッドに押し倒したりして……」
何言ってんだ、こいつ。
「わ、私は……諦めませんからね……く……くっくっく、ではまた会いましょう、ヤス」
夜美は半泣きの目で俺を睨むと、窓ガラスに頭をガンとぶつけてうずくまり――数秒後、何事もなかったかのようにすっくと立ち上がり――無言でガラガラと窓を開けた。
「今度はあなたが吠え面をかく番です……では、おやすみなさい……いい夢を」
「二度と来るなよ。あ、でも絵は毎日ちゃんとアップしてくれ」
俺の言葉を無視し、夜美は窓から夜の闇に身を投げ出した。
マントとスカートが大きくはためき、彼女は空高く上昇していく。
ピンク色のパンツが丸見えだった。
「こういうの見る限り、あいつ、本当にサキュバスなんだなあ……」
何だか急にその実感が沸いてきたけれども、俺は特に気にせずベッドにもぐり込んだ。
夢の中にまたあの変な少女が出てくるかもしれない。一瞬身構えたものの、特にそういうこともなく、俺は翌日爽やかな朝を迎えたのだった。
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