1-3 そう! その変態性こそ、私がずっと探し求めていたもの!

 なんでここにヨミさんがいる!? さっきのは夢で――え、まさかこれも夢の続きか!?

 混乱した俺は、ヨミさんの頬をつついてみた。柔らかい肉塊の感触が返ってくる。

 スカートをめくってみた。そこにあったのは、先ほどまでのスク水ではなく、レース模様の入ったピンク色のパンツだった。


「は、え、なんで……はあ!?」


 慌てて彼女から距離を取る。

 だって夢ではスク水だったじゃん! パンツじゃなかったじゃん!


「――ってことは、これは現実なのか!?」


「――ハッ! いけない! ま、まさか私まで眠ってしまっていたとは!」


 そう言って、ヨミさんはバッと身を起こす。ものすごいよだれが枕から伸びていた。


「き、きたねえ! てか、そんなことじゃなく――」


「――うるさいわよ、康史! いま何時だと思ってんの!」


 隣はおかんの部屋であった。


「すいません!」


 ゴンッと壁が叩かれ、咄嗟に謝ってしまう。それで少し冷静になった。

 目を覚ましたヨミさんがやはり本物の人間であることを確認して、俺は壁に背をつけたままゆっくり立ち上がった。冷や汗をかきながら、照明をつける。


「な、なんだよこれ……け、警察を呼ぶからな……? 不法侵入だよな、これ?」


「まあ、落ち着いてください。少し手違いが生じてしまいましたが、結局早いか遅いかの違いしかありません。私にまず説明させてくださいよ」


 なぜかドヤ顔の彼女を見て、俺はさっと血の気が引く思いを味わっていた。


「何言ってんのかわからないけど、それ、あんたの都合じゃねえか……」


「まあまあ、ここはこれで一つ」


 ヨミさんは俺の机に近づくと、そこにあるプリントにさらさらと絵を描いた。


「――おお、可愛い! 新キャラ?」


「……ちょろすぎわろた」


「何か言った?」


「いえ、いえ、何も!」


 ヨミさんはわざとらしいことこの上なく、ニコニコと笑っている。

 そのときになって、俺はさっきの夢の延長のまま、彼女にタメ口で接してしまっていることに気づいた。というよりも、ようやくこれが現実だと理解し始めたと言うべきか……。


「……き、急にやってきて何なんです? っていうかあなた、ヨミさんですよね?」


「あなたこそ何ですか。さっきまであんなに偉そうに話していたくせに」


「はあ?」


「いいから普通に話してください。。ですから、それと同じような態度で接してもらって結構ですよ、


 彼女が俺のあだ名を口にして、ハッとなる。


「え、ど、どういうこと?」


「あなたが冬服と夏服の私を見ても反応せず、ついにはこの私に、す、スクール水着を着させたことも知っています……」


「あれはお前が勝手に着たんだろうが! ――って、え?」


 ヨミさん――いや、夜美は顔を真っ赤にしたまま、ドヤ顔になる。しかし、口元がひくひくと痙攣していた。


「ふっ……ご理解いただけましたか?」


 どうやら、こいつは本当に俺の見ていた夢を知っているようだ。しかもさっき、それを自分が見せていたとかなんとか……。


「夢を見せるって……いや、なんでそんなことができんの?」


「あ、それ聞く? このタイミングで聞いちゃいます?」


 イラッとする。


「お前、何なんだよマジで……」


「ふっふっふ……実は私、サキュバスなんですよ、ヤス」


 言いながら、夜美はニヤリと笑った。


「はあ?」


「男に、え、えっちな夢を見せて、欲望を吸い取るという悪魔を聞いたことがあるでしょう」


「えっちな夢って?」


「いや、それは……だから……と、とにかくえっちな夢ですよ! 説明したら、ヤスが鼻血を出すくらいの、えっちなやつ、です!」


「なんでそんなどもってんの?」


「う、うるさいですね。いま話してるのは私です……」


「で、お前がそのサキュバス?」


「むはは、そのとおり! 《夜月花堂》のサークル主『ヨミ』は世を忍ぶ仮の姿……しかしてその実態は! サキュバス界の置きボム使い! 天谷あまがい!」


「なあ、どうでもいいけど、もうちょっと声を小さくしてくれる? 隣の部屋で母さんが寝てるんだよ……」


 夜美はハッとした表情で口を押さえ、隣室と俺の部屋を隔てる壁をまじまじと見やった。


「……お前がサキュバスだっていう証拠ある?」


 気まずそうに黙っている夜美に助け船を出すつもりで、俺はそう訊ねた。すると、すぐに夜美は表情を変え、得意げになる。何というか、表情がコロコロと変わるやつだ。


「私がここにいること自体が証拠ですよ」


「どういうこっちゃ」


「夜のサキュバスは無敵ですから、壁だってなんだってすり抜けます。侵入に煙突を必要とするサンタクロースなんて、鼻息で吹き飛ばせるレベル」


 見ると、窓の鍵は閉まっていた。ドアの鍵も閉まっている。

 確かにこの部屋はいま、誰かが入り込めるほどあけっぴろげではない。しかし、どうにか侵入した後で、入り口の鍵を締め直したとも考えられる。


「じゃあ、いまちょっとやってみろよ。その壁すり抜けってやつを」


「観測されているとできませんよ」


「ええ……お前、量子か何か?」


「リョーシ……? 何ですか、それ? とにかく、すり抜けをやってもいいですが、ちょっと向こうを見ていてください」


 夜美は顔を赤らめながら、窓と反対の方を指で示す。見ちゃいや、とでも言い出しそうな表情だ。

 とりあえず俺は、その指示通りに彼女から目を逸らした。

 少しした後、窓をコンコンと叩く音が聞こえる。

 そちらを見ると、夜美が外から窓をノックしていた。

 ドヤ顔で。

 我が世の春と言わんばかりの得意面で。

 俺は驚愕した。

 いま、窓が開けられた形跡はなかった……。

 音もしなかったし、風が吹き込むようなこともなかった……。


「うわ、じゃあマジなのかよ……」


 窓には鍵がちゃんとかかっている。俺は呆気に取られたまま、しばらくそのまま窓越しに彼女を眺めていた。

 そして。


「……あれ、観測されるとすり抜けられないってことは、こいついま入れないんじゃね?」


 俺がそう思いついたとき、窓の向こう側で夜美もまったく同じことを思ったようだった。

 彼女は途端に焦った顔つきになり、窓を叩く力を強める。


「……開けてえ、開けてえ……」


 と、ガラス越しに小さな声が聞こえてきた。

 しばらくその様子をじっと観察してから。

 流石に可哀想になってきた俺は、ガラガラと窓を開けて彼女を部屋に迎え入れた。


「ど、どうして早く開けないんです!?」


「いや、身の危険と良心を秤にかけてて」


「リョーシ!? 何かさっきも似たようなこと言ってましたね!?」


「それは量子。今度は良心」


「な、なんでいま両親の話をするんですか! あれですか? 私が実家を勘当された落ちこぼれだって馬鹿にしてるんですか?」


「知らねえよ、そんなこと。てか、ここ二階なんだけど」


 俺は窓から少し身を乗り出し、下の庭を見た。


「だから何だって言うんです? ふっふん、夜のサキュバスは飛べますよ」


「……じゃあ最初から飛べばよかったんじゃね? それで流石に信じたと思うけど」


 俺が言ってから、しばらく気まずい沈黙があった。


「……や、ヤスが壁のすり抜けを見たいなんて言うからあ!」


「人のせいにするんじゃねえよ!」


「人の精を吸うんですって!」


「うるせえ、馬鹿野郎!」


 イライラした俺が詰め寄ろうとすると、夜美は顔を真っ赤にして距離を取る。


「く……くっくっく、あまり調子に乗らない方がいいですよ? もう私がサキュバスだとわかったはずです。人間など、夜のサキュバスにとっては三時のおやつも同然ですからね……」


「俺は二次のイラストの方が好きだけど」


「うるせえ、馬鹿野郎!」


 勝負はまったくの互角であった。

 手を出せばやられる。そんな嫌な雰囲気が漂う膠着状態を破ったのは、俺の方だった。


「まさか、サキュバスなんてもんが、本当にいるとは思わなかったよ……」


「ふふん、浅はかなり人間……サキュバスの牙は、現代社会に深く食い込んでいます。それはもう――サーベルタイガーばりの長い牙がね!」


 そいつ絶滅してんじゃねえか。


「……で、そのサキュバスが俺に何の用?」


「昼、頒布会で会ったじゃん?」


 急にくだけた口調で言われて戸惑ってしまう。自分たちのノリを押しつけてくるパリピに通じるウザさがあった。


「……会ったけどさ」


 あのときの崇拝、尊敬、その他諸々の感情を返せよ、マジで。


「あれこそ淫魔の目が、獲物を捕らえた瞬間だったのですよ。あなたはあのとき、私が一緒にいたリリィに何の反応も示しませんでしたよね?」


「ああ、あのコスプレ女のことか。そりゃあ興味ない」


「そうです。実はあの女もサキュバスで、普段よりもちょっと人のえっちな気持ちを喚起させる力を強めていました。でも、ヤスはそれをものともしませんでした」


「あんな肉塊に欲情しろとかいわれてもねえ……」


「そう! その変態性こそ、私がずっと探し求めていたもの! こちらに薄汚い欲望を放ってこない男! すばらしい!」


「褒めてんの? 貶してんの?」


「もちろん、褒めています。私はあなたがいれば、もうイラストを描かなくてよくなるかもしれません。私が○イッターで、『筆を折る』って呟いたの見ましたよね?」


「見たよ! そうだ、考え直してくれ!」


 そのことを思い出した俺が土下座しながらにじりよると、夜美は尻餅をついたまま、足蹴りの弾幕を張った。

 彼女はスカート姿だったので、パンツが丸見えだった。さっきも見たレース模様が入ったピンク色のやつだ。だから何だ、という話だけれど。


「ち、近づくなあ! その場で話を聞けえ!」


「何をそんなに焦ってるんだよ……」


「わ、私は男の人が苦手なんですよ!」


「はあ?」


「ああ、違う! 苦手じゃなくって、あれですよ、ほら、こっちから願い下げっていうか? キモいっていうか? 下半身に第二の脳を持つ怪獣がいたじゃないですか? あれなんですよ」


 こいつが何を言っているのか、さっぱりわからない。


「ね? これでわかったでしょう?」


 ドヤ顔を浮かべられても、さっぱりわからない。


「いや、あの……依然として意味不明なんだけど」


「にぶちんですねえ。サキュバスとして、男に近づけないのはまずいじゃないですか。だから私は、あなたで練習したいんです。あなたは私を見ても変な気を起こさない。それを確かめようと思ってやってきて、改めてテストをしましたが、やはりあなたは二次元にしか欲情しない変態でした! とんだサイコ野郎です!」


「やっぱ、貶してるだろ」


「いえ、最高な野郎だと褒めているんです!」


 なんて調子のいいやつだ。


「テストって、お前がさっき見せたあのわけわからん夢のことか」


「そうですよ。あの夢の中で、私のような美少女よりもたかがイラスト本を選び取ったあなたは本物です」


 俺と夜美が鼻で笑ったのは同時だった。


「――『私のような美少女』だって?」


「――『たかが』イラスト本をね?」


 空気がひりつく。お互いが、許しがたい発言をしたからだろう。


「……二次元になって出直せ、この肉塊」


「……遺伝的欠陥生物」


「……大☆惨☆事」


「……永久自家発電機」


「……顔面常時炎上淫魔」


「……萌えT野郎」


 それは別に悪口じゃなくね? 萌えTはただのファッションだし。

 早くもレスバトルに勝利した俺は、途端に気を大きくした。


「ま、いいから話を続けろよ。聞くだけ聞いてやるからさ」


「なんで勝ったみたいな雰囲気醸し出してるんですか? いまのは七三くらいで私の判定勝ちでしたよね?」


「いいから、いいから! もう、そういうの大丈夫なんで!」


「は、腹立つ!」

 夜美はまた顔を赤くして、俺をキッと睨みつけた。

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