1-2 ……ふふふ、どうやらまだその本性を隠すようですね?

 その夜、俺はなかなか眠ることができなかった。

 というのも、あれから、さらなる大事件があったから。

 まず、昼間の出来事からようやく立ち直ってきたとき、ヨミさんがSNSでこう呟いているのを見つけてしまった。


『近々、筆を折るかもしれません』


 ひょっとすると、その原因は俺たちにあるのだろうか?

 あまりに熱狂的になり過ぎて、彼女は恐怖を感じてしまったのかもしれない。

 何とか彼女に思いとどまってもらおうと思って、こうリプを送った。


『グッズを勝手に作ってしまったことが悪かったでしょうか? もう二度としないので、考え直してください……ヨミさんの絵を楽しみにしている人はたくさんいると思います……』


 彼女はそれからずっと呟かなかったけれども、俺のアカウントにフォローを返し、他の誰にも見えないダイレクトメッセージで『原因はあなたにあります』と送ってきた。

 やはり、と震え上がった俺は、彼女にひたすら平謝りするメッセージを送った。


『謝ってもらわなくても構いません。そんなことより、あなたはひょっとして私のファンサイトに登録していたりしますか?』


『もちろんです』


『そこで物販を買ったことは?』


『全部三つずつ買ってます』


 それきり、彼女からの返信はなかった。

 俺は改めて、ヨミさんのことを思った。彼女がスケブにエロエロなキャラを描く様子は、慈愛に満ちた創造主が、あたかも生き物を作り出す過程のようにすら感じた。

 本当に、あの崇高な営みが失われてしまうのか? しかも俺のせいで……?

 悶々と悩んでいるうちに、俺はようやくうとうとし始めた。



 ……・……・……



 ……ハッと気づいたとき、なぜか俺の目の前にヨミさんが立っていた。

 中学二年時代の教室で、時刻は夕暮れ。

 くしくもそれは、あのトラウマの日の情景とまったく同じだった。

 違っているのは、ただ目の前にいる少女だけ……。


「私は知ってるんですからね、『くも康史やすし』……」


 厚手のコートを羽織ったヨミさんは、イベント会場でしていたようなマスクをしていなかった。多分、年齢は俺と同じくらいだろうか。整った顔立ちで、クリッとした大きな瞳が印象的だった。

 なぜ彼女が俺の名前を知っているんだろう、とぼんやり考えているとき、


「あ! みんな俺のことはヤスって呼ぶんです、ヨミさん!」


 俺は咄嗟に、自分のあだ名を彼女に伝えた。

 他の散々な蔑称が、この教室のこの夕暮れから始まってしまったことを思い出したからだった。そこには、期先を制する意味合いがあった。


「そうですか、ヤス。では私のことも夜美と呼んでください」


「はあ」


「――私は知ってるんですからね、ヤス」


 もう一度、ヨミさん――いや、夜美は同じ言葉を繰り返した。


「え、何をですか?」


「ヤスが適当なこと言ってるってことをですよ! 二次元にしか興味がないと言って、私を期待させるとはいい度胸ではないですか!」


 急にわけのわからないことを叫ぶと、夜美は真っ赤な顔をしてコートのボタンを一つ一つ外していく。


「で、でもここでは誤魔化せないですからね? これは私の見せる夢。いわば、私のホームグラウンドなんですから! あなたが普通に、女子に欲情することなんて丸わかりですから!」


 そう言うが早いか、夜美はコートの前をバッと開いた。

 そこには、普通に制服を着た彼女の姿があった。

 夜美はますます真っ赤になると、すぐにコートでその姿を隠す。


「――は?」


 意味不明だった。

 彼女の様子を見て俺がまず連想したのは、露出癖とか逆痴漢とか、そういうシチュエーションだった。コートの下は下着姿とか、もっと言うと素っ裸で、痴態をあえて晒して快感を得るとかいうあれ。

 とはいえ、いま夜美は普通に制服を着ていたわけだけれども。

 何がしたいんだ、この人……?

 俺がさっぱり状況を理解できずにいると、夜美はちらちらと俺の方を覗ってくる。


「……ふふふ、どうやらまだその本性を隠すようですね?」


「え、いや」


「でも、これならどうですか!」


 また夜美はコートを開く。そこには今度、夏服姿の彼女がいた。

 なんとブレザーを身につけず、ブラウスは半袖。

 彼女は「うおお……」とか呻き声を上げながら、ずっと夏服を晒している。


「くっ、これでもまだ本性を現しませんか……」


「……いや、さっきから何やってんの?」


 思わず敬語を引っ込めてしまう。戸惑う俺を前に、夜美は怒りの形相だった。


「だから、あなたの虚言を引っぺがしてやろうとしてるんですよ! 二次元にしか興味がないとか言って! 本当は生身の女をどうこうしてやりたいと思ってるんでしょう! エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」


「みたいにってなんだ。エロ同人は最高だろ。それで満足できるのに、なんで惨事にまでランクを落とさにゃならんのだ?」


 すると夜美は真っ赤な顔のまま、ニヤリと笑った。


「そ、そこまで言うなら仕方ありませんね……? これを見ればどうせ、あなただって欲情するに決まってるんです。わ、私だって、夢の中以外でこんな痴女じみた格好は、絶対にしないんですからね……?」


 そう言って、夜美は夏服のスカートに手をやった。


「パンツじゃないから恥ずかしくない……パンツじゃないから恥ずかしくない……」


 何やらぶつぶつ言いながら、ゆっくりとスカートをめくり上げる。

 その下には、紺色のインナーがあった。よくよく見ると、それはスクール水着である。

 着替えるのが面倒臭いから、下に着てきちゃった~とかいうあれだろうか。

 紺色のスク水と白いふとももが、くっきりとしたコントラストを作り上げていた。

 俺は真顔のまま、しばらくスカートをめくり上げ続ける夜美を眺めていた。


「――な、なんでピクリとも反応しないんです!」


「いや、なんでって言われても」


「こうなったら最終手段! むおおっ!」


 気合いとともに夏服がパージされ、彼女は完全なスク水姿になる。


「こ、これでも反応しない!? 男失格だあ!!」


「黙れ、三次元風情が! さっきからわけのわからねえことをやりやがって!」


 ついに俺は怒った。


「俺はな、あんたの絵が好きなんだよ! 俺を欲情させたいってか? なら、イラストでも同人誌でいいから、それを持ってきやがれってんだ!」


「ドリームズ・カム・トゥル~」


 夜美が意味不明な呪文を呟くと、彼女の手に《夜月花堂》の完全初見イラスト本が現れる。

 それを見て、俺はハッとなった。


「――そいつをよこせえええ!」


「は、反応している……」

 夜美は汚物でも見るような目で俺を見る。


「へ、変態だ! 異常者だ!」


「やかましい! 教室でスク水を着ているようなやつに言われたくない!」


 その言葉でコートの前を開けっ放しにしている自分の格好を思い出したのか、夜美は絶望とはこういうものと言わんばかりの顔になって、さっと身体を隠した。


「こ、このすけべえめ!」


「いや、お前ちょっと自意識過剰だぞ」


「くそっ、本当にまるで反応していないのが腹立つ!」


 夜美は、いまにもこちらに噛みついてやろうとばかりの顔をしている。


「――ではこれならどうだあ!」


 その咆哮とともに、夕暮れの教室に、巨大な十字架が二つ現れた。

 一つには夜美自身が磔にされ、もう一つには《夜月花堂》のイラスト本が磔になる。

 次の瞬間、十字架の根元から炎が上がり、俺は驚愕に目を剥いた。


「――な!?」


「むはは! さあ、この恐ろしい悪魔的二択の前に、その本性を現すがよい!」


 俺は迷わずイラスト本の救出に向かった。


「こ、このサイコパスぅ! あっち! あついあつい! ちょ、助けて!」


「やったぞお! イラスト本は無事だ!」


「お前には人間の赤い血が流れていないのかあ! もはや性癖どうこうの問題じゃないぞ、これは!」


 夜美が絶叫すると、十字架が消え、俺の手から大切なイラスト本も消失する。


「ああ! お、俺のイラスト本は!?」


「く……くっくっく……ここは私の見せる夢だと言ったでしょう? もちろん、しまっちゃいました! 残念でしたねえ、ヤス。ここでは、すべてが私の思い通りなんですからね……」


 勝ち誇ってそう言う少女は、身体からプスプスと黒い煙を上げている。


「……いや、炎に焼かれてるじゃん」


「動揺したんですよ! 目の前で起こったことが信じられなくて!」


 夜美は詰問口調で詰め寄ってきたが、お互いの顔と顔が近くにあることに気づくと、またボンッと音でも出そうな勢いで赤面して距離を取る。


「ま、まあいいでしょう……最初から計画通りです。あなたは本当に二次元にしか興味がない異常者でした! 合格です!」


「はあ?」


「くっくっく、またきっと近いうちに会うはずですよ、ヤス。今度はこんな夢の中ではなく、リアルの世界でね……では、ごきげんよう!」


 夜美は高笑いしながら、教室の窓から外に飛び出した。

 彼女の背中からコウモリのような翼が生え、空を赤く焼く太陽に向かって飛んでいく。

 その後ろ姿が見えなくなったとき、俺はハッと目を覚ました。


「……夢か」


 当たり前だった。


 いまの意味不明な出来事が、夢でなくて何なのだ。


「……くっくっく、首を洗って待っていることです、ヤス、むにゃむにゃ……」


「――え?」


 と、思って横を見た俺は、そこに夜美の寝顔があることに気づいて固まった。

 あれえ? 確かにこの顔は、いまのいままで、夢の中でわけのわからないことをほざき続けていた少女のものだ……。

 俺はベッドから身を起こし、黒いマントを纏ったまま、すやすやと寝息を立てる彼女の姿をしばらく眺めていた。

 それから、その少女が抱き枕に描かれたイラストではないということを確かめ。

 そこが俺の部屋であるらしいことを確かめ。

 頬をつねって痛みがあることを確かめ。


「――う、うわああああああああああああああああああああああああ!」


 絶叫した。

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