039 少年は耐え忍ぶ

「データが手に入れば契約は履行だからな、ギリギリまでは待ってやるよ」

「……その方がお前たちにとって都合がいいってだけだろう」

「まあな。だがアタシは正味どっちだって構わねえよ。好きにさせるさ」


 俺は内心舌打ちをした。

 だがその口ぶりからすると、ハニービー自身には刹那をどうこうするつもりはないらしい。


 俺はもう目が見える。AWBもこちらの手にある。相手は親父一人。

 それならいける。


 親父はゆっくり立ち上がると、まっすぐに俺の目を見た。

 あれからお互い二年しか歳を取っていないはずなのに、親父の顔は十年以上の月日が経過しているように見えた。老けたというより、すり減ったというような……。

 どんな毎日だったのだろう。

 遠い異邦の地でただ一人、世界中から追われる日常とは。

 ハニービーのような連中と渡り合わなくてはならない復讐者の日々とは。


 親父は何も言わず、ただじっと俺の目を見ている。


「親父」

 気付くと俺の方から語りかけていた。

「俺、好きな子ができたよ」


 隣の刹那が「へっ?」と間の抜けた声を出す。

 いや、間抜けは俺か。このシチュエーションで何をカミングアウトをしてるんだよ、しかも父親相手に。他に積もる話もあるだろうに、本当に“間”が抜けている。

 しかし親父も笑って訊き返してきた。


「そうか。どんな子だ?」

「変な子だよ。でもめちゃくちゃカッコいいんだ。頼りになるし、それに俺と違っていつも正しい。憧れるよ」

「へえ、それだけ聞くと母さんに似てるかもな。お前もある意味母さん似だけどな。体力馬鹿なところとか」


 そうだっけ。言われてみればそうかもしれない。

 でもその体力馬鹿の母さんも、病気には勝てなかった。


「それで、お前は親よりもその子を取るってわけか? この親不孝者め」

「当たり前だろ? こっちは高校生の男子だぞ」

「それもそうだな」


 ハニービーがいったい何の話をしてるんだ、という目で俺たちを見ている。

 俺もよくわからない。わからないけど、二人とも笑っていた。

 ふと、視界が滲んでいることに気付く。

 ……勘違いだ。

 機械の目に変えてからの二年間、一度も涙なんか流してない。


「教えてくれよ親父。なんでAWBを作った? なんで刹那をAWBのモデルにしたんだ?」


 親父の顔から笑みが消えた。


「科学者ならば、自分の発明で世の中を良くしたいと誰でも思っているさ。モデルは十代の子供なら誰でも良かった。色々と都合がいいから身内を選んだだけさ。刹那は頭が良いし、思想的な偏向もなかったしな」


 嘘だ。


「……刹那の病気だろ?」


 親父の顔色が変わる。

 ずっと、俺はそのことを親父に訊けずにいた。その話題はずっと、それこそ今に至るまで、下村家ではタブーだったのだ。


「刹那は二十歳まで生きられるかもわからないと医者から言われてた。だから親父は刹那をAWBにして残そうとしたんじゃないのか。刹那が、その先の未来を生きられるように」


 俺もまだ小さかったが、よく覚えている。病院で泣き崩れる母さんと、肩を震わせて母さんの肩を抱く親父の姿を。

 娘の余生のために命を尽くした母さんが亡くなったのはその五年後だった。

 親父の絶望はどれほどだったろう。

 しかし親父が刹那に向ける無窮の愛情に、そして刹那の命を燃やすような明るさに、俺は疎外感を抱いてしまった。

 限られた時間を、寄り添って生きることができなかった。

 そんな自分が嫌で、ただ拗ねてひねくれるだけのガキだった。

 誰も帰ってこない家を掃除して、誰も食べないご飯を作った。母さんの遺言を、家を守ることで果たしているつもりになっていた。

 その間、親父はずっと戦っていたのだ。せめてこれ以上失われないようにと。

 それがAWBだった。


「それは違う。AWBが意識を持つかどうかはわからなかった。たまたまだよ。それにAWBと刹那を一緒くたにするのはエゴだ」

「どっちにしてもエゴだよ。刹那のために作ったAWBが、結果的に刹那の死期を早めることになった。それが許せなかったんだろ? フィンチや和田以上に、自分のことが許せなかったんじゃないのかよ」

「だったらなんだ。今さら過去のことを言ってどうなる。それに、だとしたら俺はますます父親失格だよ。娘を二度も殺すんだからな」


 吐き捨てるように言うと、親父は刹那の方を見た。


「お前はどうなんだ、刹那。お前は世界の勢力図を書き変えるほどの存在だ。これからも狙われ続けるだろう。そんな危険に身を置きながら、争いの種として永遠に生きていく。そんな未来をお前は望むのか?」

「それを刹那に聞くのは卑怯だって言ってんだよ!」


 刹那が何か答える前に俺は叫ぶ。刹那にそんな質問は許さない。


「今さらなんなんだよ。関係ない人たちを巻き込んでまで、そんなことが親父のしたかったことなのか? 確かに世界はいつも俺たちに優しくなかったし、今のこの状況だって救いようがないけど、でもこの先も変わらないなんて何で言えるんだよ。刹那が不幸になるなんてどうして言い切れる!?」

「わかるさ。科学者は皆、口にしないだけで知っているんだよ。科学がどれだけ世界のためを思って発展しても、世界は期待を下回り続けてきた。今まで一度だってマシになったことなんてないんだ」

「そんなこと……」

「複合完了だ」


 ハニービーが冷たいひと言を放った。


「ぼちぼちホームドラマの時間は終わりだ。消すなら消すで見届けなきゃならねぇ、早く決めな」


 俺は親父を睨みつける。

 諦めろ。撤退しろ。

 俺は抵抗するぞ。死ぬほど面倒くさいし、手がかかるぞ。

 だから俺に、息子に免じて諦めてくれ。

 ……だけど親父は言った。


「刹那、自殺しろ」


 視界の隅で、刹那が身体を震わせた。


「わかってくれとは言わない。だがこのままでは必ず、死ぬより酷いことになる。お前が救われるにはそれしかない」

「聞くな刹那!」

「嫌だと言うなら俺が破壊してやる。それが最後に俺が果たすべき父親としての役目だ。どちらか選べ」

「何が父親だ! 俺と刹那を捨てて逃げ出した奴が、今さら父親面するんじゃ——」

「もういいよ兄ちゃん!」


 刹那が叫んだ。

 何がもういいんだ。一つもよくない。


「やっぱり、たぶんあたし、消えた方がいいんだよ」

「いいわけあるかよ! 俺やつばめちゃんがいるだろ!」

「だからだよ。私のせいで、大事な人が巻き込まれるのはもう嫌だよ。それに、苦しい思いしてまで生きたくもないしさ。大丈夫、消えるのは怖くないし、それにデータだから痛みだってないし。眠るのと一緒だってば」


 とつとつと話す刹那の言葉を聞きながら、俺は、ACTの廊下のベンチで話した内容を思い出していた。


「……知ってるか刹那? 機械と人間の違いを」

「え?」

「籠目さんが言ってたんだ。他人のために嘘をつくのが人間なんだって。だから、やっぱりお前は人間だよ。『生きたい』って言ってただろ? 苦しくても生きていたいって。俺たちがいれば大丈夫だって。生きたくないなんて、死ぬのが怖くないなんて、そんな嘘を信じるほど間抜けじゃない」


 そんな優しいだけの噓は、いかにも刹那らしいから――俺には通用しない。

 刹那は俯いていた。


「親父。刹那はあんたに会いたいとも言ってたよ。そのあんたが、刹那の想いを全部否定して、無かったことにするのか?」


 親父は何も言わず、黙って刹那を見つめていた。


「やれやれ、泣かせるねぇ」

 ハニービーが欠伸をしながら銃口を親父に向ける。

「いい加減タイムアップだ。あと十秒で決めな」

「……仕方ない」


 親父がスマホを取り出した。


「これで俺は地獄の最下層行きが確定だ」


 直感した。

 あれは——強制的に刹那を終わらせるものだ。


「やめろ親父!」

「動くな!」


 ハニービーがこちらに銃口を向ける。

 俺は構わず踏み出した。

 撃てよ。殺すなら俺ごと殺せばいい。

 親父。俺が自暴自棄で無鉄砲なのは、きっとあんたに似たんだ。

 息子と父親が似た者同士で、反発し合うなんてのは、珍しくもなんともない、普通の家族の姿だろ。


「やめて兄ちゃん! 止まって!」


 目の前で妹が殺されようとしているのに、止まる兄貴がいるか。


「鉄砲相手に無鉄砲か――このバカが」


 ハニービーが引き金を引いた。

 銃声が二つ。心臓に衝撃が走る。


 ……しかし痛みはやってこない。血が噴き出る様子もない。

 当然だった。

 銃弾が命中したのは俺の心臓ではなく、ハニービーの銃に、だったから。


「柊さん! 刹那さん!」


 待ちに待った瞬間がついに到来したと知ったことを知って……懐かしいとさえ感じるその声に少しだけこみ上げるものを感じつつ、俺は振り返った。


 つばめちゃんと、銃を構えた赤間さんが立っていた。

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