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038 物語は復旧する

「パピコ、起動しろ!!」

 叫ぶと同時に、俺はこう思った。

 青天の霹靂とはこのことだ。

 確かに俺は気を失っていたはずだ。目を瞑って気絶している人間は普通、何も見えていないし、急に何かが見えることもないはずだ。

 だからこれはたぶん、人類史上初だろう。

 真っ暗だった俺の視界に突如として映ったのは、見知った場所と、見知った人たちだった。

 籠目さん、倉井さん、満太。

 彼らはブリーフィングルームの中央で、文字の書かれた紙を持って立っていた。


『★パピコを起動しろ!★』

『いま助けが向かってます』

『ふんばれ兄貴!!』


 それだけじゃない。

 叫び終わった時、視界がブリーフィングルームの映像からまた切り替わり、俺の目はもう一つ奇跡を捉えていた。

 視界が戻っていたのだ。

 人工視覚をハッキングされる前に、という意味ではない。

 事故で両目を失う前の、俺が諦めたはずの色彩のある世界だった。

 まばゆい光が辺りを照らしている。その中に、親父がいた。知らない女がいた。刹那もいた。

 そして背景のプラントには、オレンジ、黄色、緑、青……

 圧倒的な数の光の奔流。

 “色”が、見えていた。

 身をよじって起き上がる。親父もハニービーも刹那も、突然叫んだ俺を驚いた顔で見ていた。

「翼斗、お前まさか」

 親父が言い終わる前に、俺の身体は親父の懐に潜り込んでいた。

 手加減一切なしのタックルが決まる。

 親父の身体は記憶の中より小さく骨ばっていて、わずかに懐かしい煙草の匂いがした。

 すかさず脇にいたハニービーが動く。俺の目が見えないと思っているのだろう、ゆっくりと俺の襟元に手を伸ばしてくる。

 ええっと……

 その場でジャンプしてドロップキック。

「どあっ!」

 ハニービーの華奢な身体は、親父の倍以上は吹っ飛んでいった。

 お次は——

 目をまん丸くしている刹那の顔が目に入る。

「悪い刹那!」

「ひゃあっ!?」

 AWBの本体である球を、思い切り蹴り飛ばす。

 それなりの重さがある金属球はサッカーボールのようには飛ばないものの、十メートルほど飛んで転がっていく。レーザー照射の役割を担う輪っかは常に水平を保つようにできているので、刹那が急加速で水平移動したように見えて少し面白い。

 ……蹴った足はめちゃくちゃ痛いけど。折れたかな。

 それほどのダメージは与えられていないだろうハニービーを警戒しながら、刹那の元に走り寄る。これでAWBは取り戻せた。

「兄ちゃん!? ちょっ、いきなり蹴らないでよ……ってあれ?」

 刹那はわかりやすく混乱していて、それを見た俺は笑いそうになる。

「お前、本当にただの刹那だな」

「意味わかんないってば!」

 何が起きたのか、俺自身まだ整理できているわけではない。

 さっきだって身体が勝手に動いただけだ。

 籠目さんたちのメッセージに、ただ従っただけだ。

「おい、ここはどこだ?」

 突然、男の声がバッグの中から聞こえる。

「あっ、パピヨンくん!」

 中から顔を出したパピコを見て刹那が驚く。

 そうだろう。俺も驚いた。

「なんだ貴様? 俺の名はパピコだ」

 目を細めて言うパピコは、またキャラが変わっていた。

 それにしてもパピコが俺のバッグにいたとは……いや、少し冷静に考えを巡らせていればわかったことかもしれない。

 ACTからこっそり抜け出す時、自分のスマホも持って行こうとして、籠目さんに預けた際に入れられたビニール袋ごとバッグの中に突っ込んだのだ。その袋には、一緒に預けたパピコも入っていた。

 ハニービーが俺のカバンの中を見て気味悪がったのは、スマホケースのせいではなく、パピコを見たからかもしれない。大きなヤモリの死体をカバンに入れてる子供なんていたらそりゃあ盛大に引くだろう。

 もっと早くに気付いていたら。

 GPS発信機能を備えているパピコを起動させれば、俺の居場所はすぐにわかったはずだ。

 それでも、彼らが俺に気付かせてくれた。

 信じられないことだけど、皆が親父から人工視覚を取り戻してくれたんだ。

「いてくれて助かったよパピコ」

「ふん。勘違いするなよ、貴様を助けたわけじゃない。貴様を倒すのは俺だからな。それよりご主人はどこだ?」

 主人公のライバル的ポジションのやつだ、絶対。

「大丈夫。きっともうすぐ会えるよ」

 あの部屋にいなかった二人は、きっと今ここに向かっている。

 俺はまた助けられたのだ。

 報いなければならない。俺に今できることをやるのだ。

 だけどまだわからないことがある——この色はいったい?

「おいオッサン、こりゃどういうことだ。あのトカゲはなんなんだ?」

 起き上がってきたハニービーが顔をさすりながら言う。

「……やられたな。どうやったか知らんが、ACTの連中に翼斗の視覚を奪い返された。あのトカゲはロボットだ。雛野つばめの持ち物だよ」

「アゲハの? ちっ、この場所が割れたってわけかよ。あいつらにまんまとしてやられたと」

 ハニービーの目が怪しく光る。

「そういうことだ。早くAWBを取り戻してここから……おい、何してる?」

 ハニービーは親父のパソコンを拾い上げると、車の方へ立ち去ろうとする。

「この状況は視覚を奪われたアンタの落ち度だろ。これ以上リスクを負ってまでつきあう義理はねえよ。こっちはAWBのデータさえ頂けりゃいい」

 そう言い放って車のドアを開けようとする。

「止まれ。ここで死にたくなければ戻るんだ」

 ハニービーの背中に向けた親父の手には、拳銃が握られていた。

 白っぽくてプラスチックのような、オモチャのようなピストルだ。

「今どき性能の良い3Dプリンタがあれば拳銃くらい作れる。俺のパソコンを返せ。開発データを渡すのはすべてが終わってからという契約だろう。それに資料の復号には俺しか知らない、18桁のキーが必要だ。70京掛ける70京通り、気長にプルートフォースアタックでも試すか?」

 ゆっくりと振り返り、親父を睨むハニービー。その眼光はそれまで以上に鋭く、オオスズメバチのような獰猛な殺意を放っていて、俺の目には銃を構えている親父以上に危険な存在に映った。

「面白ぇ、撃ってみな」

 普通の足取りで間合いを詰めていく。

「アタシが素人の銃を怖がると?」

「止まれ! 俺が撃てないと思うのか!」

「興味ねえな」

 そこからはあっという間だった。

 一足飛びに距離を詰めたハニービーが親父の手を取る。目にも止まらぬ速さでコマのように回転すると、親父は地面に倒され、銃はハニービーの手に渡っていた。

 銃口を親父に向ける。

「言えよ、18桁のキーを。アタシは簡単に撃つし、当たり前に殺すぜ」

 親父は黙ってハニービーを見上げている。「喋る気はない」と目で拒絶するように。

 だけど端から見ている俺にはわかった。あの女は本当に撃つ。

「じゃあ足からいくか」

 ハニービーが銃口の狙いを下げる——

「待て! キーなら俺が知ってる!」

 親父が撃たれる、そう思った瞬間、口が勝手に動いていた。

「あ? てめえが?」

 突然割り込んだ俺にハニービーが疑わし気な目を向けてくる。

「18桁のキーだろ。聞いたんだ、刹那から」

 ついさっき、公園で刹那が俺に伝えた“親父からの伝言”。

 意味不明なあの暗号は、記号も入れて9桁の数字が二つ、つまり並べれば18桁だったはずだ。

 あの伝言は、親父が秘匿したAWBの開発データのパスワードだったのだ。親父は「自分しか知らない」と言ったけど、俺と刹那にだけは教えておこうとしたのかもしれない。

「兄ちゃん」

 刹那が不安そうに呼んでくる。俺を止めるべきか悩んでいるのかもしれない。

 俺だってわからない。

 データがこの女の手に渡ることは絶対に避けるべきだってことくらいは俺にもわかってる。

 でも俺の中には、母さんの言葉がずっと残っているのだ。

『父さんと刹那をよろしくね』

 ここまでメチャクチャにぶっ壊れた家庭に対して今さら何をどうしたらよろしくなるんだと愚痴りたくもなるけど、でも今、刹那と親父を助けることは、俺にしかできない。

 世界には申し訳ないが、俺にとってそのこと以外に重要なことなんて、何一つないのだ。

「一回だけ試してやるよ。言ってみろ。ブラフなら父親もてめえも撃つぜ」

 ハニービーが親父のパソコンを開いて言う。

「わかってる」

「やめろ翼斗!」

 親父の言葉を、俺は華麗に無視する。

 高校二年生、反抗期盛りの男子なんて、きっと皆そんなものだろう。

「23.2935498B.024D5F」

淀みなく言う。

 正しいはずだ。忘れないよう手の平にメモして何度も見返したのだ。間違ってはいないはずだ。

 ハニービーがカチャカチャと打ち込む——そして「正解だ」と笑った。

「やけに単純なパスワードだったなあ。こりゃどういう意味だ? まあ、データさえいただければ問題ねえ。おいオッサン」

 銃口を親父から外すと、ハニービーは続けてこう言った。

「復号まで少しだけ時間がかかる。その間だけ待ってやるよ。AWBを始末するのをよ」

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