040 探偵は間に合う

「大丈夫ですか柊さん!」

 つばめちゃん。ああつばめちゃん、つばめちゃん!

 駆け寄ってこようとしていたつばめちゃんは、俺の顔を見て急ブレーキをかけた。

 何故だ。

「ようご主人」

「パピコ、よくやってくれたですね」

「つばめちゃん……?」

 直前の修羅場によるショックのせいか、刹那は放心状態のようだった。

 赤間さんが銃をハニービーに向けて構えながら近づいてくる。

「相変わらず勇ましいことだな、柊翼斗。お前が死んだら誰の責任問題になると思ってる」

 ああ、赤間さんの嫌味ですら愛おしく感じる。

「あんなのに撃たれたって屁でもありませんよ」

「あ? 脳味噌でも撃ち抜かれたのか?」

「ほら」と地面に落ちた銃を指さす。

「……ライターか」

 撃ち抜かれた衝撃で壊れたのだろう、銃口からは火が灯り続けていた。

 親父の銃が偽物じゃないかという期待はあった。だから銃声が響いた時にはその期待が外れたと思い、本当に死を覚悟したのだが、ショック死しなくて本当によかった。

 赤間さんが放った二つの銃弾のうちもう一つは、親父のスマホを撃ち抜いていたようで、残骸が地面に飛び散っていた。恐ろしいほどの精密射撃だ。

 形成は完全に逆転していた。

「パピコを通じて話は聞いていたですよ。柊さん、よく時間を稼いでくれたです」

「え。ああ、うん」

 確かに最初はそのつもりだったが、途中から完全に忘れてしまっていた。

 ん? あれ?

 俺と親父の会話が、ずっと聞かれていた? ってことは……

 マジかよ。

「下村拓海、それに女。貴様らをサイバーテロの容疑で逮捕する」

 赤間さんが言うと、ハニービーは鼻で笑った。

「アタシらは犯人ごっこして遊んでただけだぜ。証拠はあんのかよ、証拠は」

「ならば未成年者略取誘拐の現行犯で逮捕だ」

「へっ。お前、部下の恋人を捕まえるつもりかよ? ひでえ上司だな」

 赤間さんは少しの間考えを巡らせていたが、やがてその意味に気付いたようで、

「あの軽薄男には暗い未来しか待ってないぞ。今のうちに別れた方が賢明だ」と苛立たし気に言った。

 倉井さん、ご愁傷様です。

「貴様らが好き勝手にはしゃぎ倒してくれたおかげで、俺は向こう一ヶ月は頭を下げ続けなきゃならん。ブルーリーフの脆弱性などどこで手に入れた? 大方、二年前にどこぞの国から盗み出した情報だろうが」

 その問いに、親父は肩をすくめて首を振った。

「ご想像にお任せするよ。どうせもう証拠は無いんだ」

 一方のハニービーは、つばめちゃんと睨み合っていた。

 意味ありげに笑みを浮かべるハニービーに対し、つばめちゃんは親の仇でも見るような視線を送っている。

「ずいぶん目付きが変わったじゃねえかよ、アゲハ」

「……あなたは変わらないですね」

 二人の会話は、久しぶりに再会した知己同士のそれだった。

「つばめちゃん、あいつとどういう知り合いなんだ?」

「そいつはアタシの後輩だ」

 口をつぐむつばめちゃんに代わってハニービーが答えた。

「コードネームは『スワローテイル』。だがアタシは日本語のアゲハ蝶って響きが好きでよ、『アゲハ』と呼んでたのさ。こいつも昔はアタシのこと『ハチ姉』って懐いてたんだが、やれやれ、ずいぶん嫌われちまったらしい」

 コードネーム? そんなもの、フィクションの世界でしか聞いたことがない。 

「つばめちゃんは昔、Lurkersにいたってことか?」

「いいや、Lurkersに出荷されたのはアタシだけだ。アタシらはいわゆるクラッカー養成所の出身でね。中でもアタシらは同じ日本担当だったからずっと一緒だったのさ。異母姉妹みてぇなもんだ」

 出荷……養成所。

 吐き気のするような言葉の連続だった。

「口が軽いですね、ハニービー」

「はン。お前がそっちにいる時点で一緒だろ?」

 ハニービーは一向に気にしない素振りで、むしろ喋るのが愉しそうですらある。

「アゲハは言語習得はからきしだったが、エンジニアリングとプログラミングは図抜けた才能があった。お前のあの能力……ハクスタジアだっけか? あんなことが出来るのはお前だけだったからな、上からも大層目をかけられてた。まさに麒麟児ってやつだ。なのに逃げ出すとはよ、もったいねえったら」

「あなたこそ、それだけの腕があるのに利用されてるだけなんて、そんな生き方の方がよっぽどもったいないです」

 ハニービーの目つきから温度が消えた。

「てめえ、少しでも上等になったつもりか? 忘れたわけじゃねえだろう、アタシらはもう人を殺してる。今さら足掻いたところでその事実は変わらねえ」

「……なんだって?」

 人を、殺した?

 その言葉に親父と赤間さんも反応した。つばめちゃんに注目が集まる。

「……確かにそうです。何をしたって過去は変わらないし罪は消えません。けれど、それはすべてを諦める理由にはならない。私はあの場所から出ることができた。そこを拓海さんと刹那さんが救ってくれた。だから、少しでもマシになるんです。私は私にできることをするのです」

「それが探偵だと? それで贖罪のつもりか、くだらねえ」

 ハニービーはスマホに目を落とすと、忌々しそうに舌打ちをした。

「もう感染台数が半減してやがる。まったくたいした腕だよ、アゲハ」

「ハッカーは技術で語れ、です。私はサイバー探偵の雛野つばめ。あなたなんか、 ハックユーです」

「バカが」

 ハニービーがスマホを操作した。

 次の瞬間、近くに停まっていたトラックが突然動き出した。運転席には誰もいない。

 突っ込んでくる。

「避けろ!」

 赤間さんが叫ぶと同時に俺は動いた。

 俺たちが立っていた場所を、象が蟻でも踏みつぶすように通過したトラックは、そのまま反対側の壁に激突して大破した。

 脇に抱えたつばめちゃんとAWBの無事を確認する。

 間一髪だった。

 親父は赤間さんの隣で突っ伏して倒れていた。赤間さんに乱暴に突き飛ばされでもしたんだろう。

 ハニービーはというと、すでに車に乗り込んでいた。

「アゲハに免じて見逃してやるよ、アタシはな。せいぜい気をつけるこった」

「待て!」

 赤間さんに中指を立てると、ハニービーは車を急発進させて走り去っていった。

「ちっ」

「追わなくていい!」

 追いかけようと車の方へ走り出した赤間さんに、親父が叫んだ。

「馬鹿言え、このまま逃がしたら」

「AWBのデータのことなら心配するな。奴に渡したのは真っ赤な偽物だよ」

「なっ!?」

「あれを持ち帰ったところでAWBは永遠に作れん。連中がそれに気付くのは大分先だろう。そんなに慌てなくても大丈夫さ」

 赤間さんは絶句していた。

 無理もない。ハニービーが持ち去ったのは、正真正銘、ACTで保管していたデータのはずだ。ということは、親父が用意した偽物のデータを、彼らはずっと本物と思い込んで厳重に守り続けていたことになる。

 18桁ものキーを設定しておいて、さすがに用心深すぎる気もするが……。

「……検問の指示を出してくる。そこを動くなよ」

 赤間さんが脱力した様子で車(ランボルギーニ!?)に戻ると、親父と俺、刹那とつばめちゃんが残った。

「やれやれ」親父が溜息をつく。

「このパターンはアレだな。俺が悪役で、追い詰められて敗けを認めるってシーンか」

「……ああ」

 わかってるじゃないか。その通りだよ、親父。

「刹那、最後に聞かせてくれ。俺はお前に選択肢を与えた。お前は本当のところ、どう思っているんだ?」

 親父が刹那に質問した。

 刹那はしばし沈黙した後、消え入りそうな声で、

「死にたくない」

 そう言った。

「生きたいよ、私」

「そうか」

 親父は笑った。久しぶりに見る親父らしい笑顔だった。

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