041 一家は団欒する

 復讐に見せかけた心中。

 哲学や倫理、科学の功罪や国家犯罪。複雑極まりない余計な要素を含んだせいでこじれにこじれまくった下村家の家庭問題は、こうしてようやく一つの決着を迎えた。

 誰一人の自殺者も殺人犯も出さず、俺にしてみれば上々の結果と言ってもよかった。社会に与えた影響を考えると、そんな風に言ってはいけないのだろうけど。

 つばめちゃんは親父に対して何か言いたそうにしていた。工場の灯りの下で見る彼女は、心なしか目の隈がさらに深くなったように見える。

「下村拓海、すべて話してもらうぞ」

 つばめちゃんが話しかけるより先に、赤間さんが親父に近づこうとする。

 そこで予想外のことが起こった。

「近づくな!」

 親父がそれまでの態度を一変させたのだ。

 有無を言わせぬ強い口調に、赤間さんが足を止める。

「おい、今さら悪あがきは——」

「動くんじゃない。死にたくなければな」

 なんだよ親父、まだそんなことを?

 そう言いかけたところで、俺の口は固まってしまった。

 ——なんだアレ?

 親父の頭上、上空二十メートルほどの高さに、何かが飛んでいるのが見えた。

 小さなドローンだった。

 音も無く近づいてくる。そのアームに何かを握っている……

 それが銃だと気付いた時には、すでに終わっていた。

 ドローンの正確無比で無感情な射撃が、親父の身体を撃ち抜いていた。

 銃声に刹那の悲鳴が重なり、夜の工場にこだまする。

 地面に沈む親父の動きは妙にゆっくりで、本当にスローモーションのようだった。

「車の陰に隠れろ!」

 赤間さんが叫んだが、俺はそれを無視して親父のもとへ駆け寄った。

 苦しそうに呼吸をしている——まだ生きている。

 しかし胸からの出血がひどい。黒い染みが地面に広がっていく。

 致命傷という言葉が脳裏をよぎる。

「操縦者はそう遠くにはいないはずです!」

 つばめちゃんがパソコンを叩く。

「通信を検知……でも通信先がわからない……!」

 俺たちが隠れようとしないのを見て、赤間さんがドローンに撃ち返す。だがさすがに上空の対象を狙うのは難しいのか、ドローンが動いているためか、当たらない。

 ドローンは俺たちを無視して、仕事は終わったとばかりに旋回して戻ろうとしていた。

「つばめちゃん!」

 そう叫んで俺は走り出した。

 いつかと同じように。

 頭に血が上っているのは間違いない。考えついたとしても、普段の俺ならこんなことを実行しようとは思わなかっただろう。

 ドローンが向かう方向に、大型のショベルカーが置いてあった。

 そのアームの先端に飛び乗る。同時にアームが動き出し、真っ直ぐに上昇していく。

 横目で見ると、つばめちゃんが必死にパソコンを叩いていた。

 いつもごめん。ありがとう。

 アームがドローンの高さに近づいていく。ちょうど真上を通り過ぎようとしていたドローンは、どこかにカメラでも付いているのか、俺に銃口を向けてきた。

 俺は飛んだ。

 後先も考えずに。

 そして手を伸ばす。

 ドローンの銃の照準が俺の眉間にぴたりと合う。

 が、俺の方が一瞬早くドローンをキャッチする。

 そのまま自由落下。

 ——足の骨くらいで済めばいいけど。

「兄ちゃん!」

 刹那の声と同時に、背中に衝撃が走った。

 着地失敗——

 しかし待っていたのは固い地面ではなく、柔らかい金属の感触だった。

 バウンドして地面に転げ落ちる。腕の中でもがくドローンを思い切り地面に叩きつけ、銃をむしり取った。

 振り返ると、俺が落ちたのはランボルギーニのボンネットの上だったらしい。奇跡的に怪我も無さそうだ。

 こんなところに車は無かったはずだが……。

「兄ちゃん!」「柊さん!」

 刹那とつばめちゃんが駆け寄ってくるのを見て、俺は理解した。

 刹那が、とっさに近くにあった車をハッキングして、俺の落下地点まで動かしてくれたのだ。

「つばめちゃん、こいつから通信先を割り出せる?」

「やってみます。柊さんは拓海さんを!」

 三人の合わせ技で捕獲したドローンをつばめちゃんに預け、戻ると、親父は苦しそうに呼吸をしていた。

 傍で看てくれていた赤間さんと交替し、俺と刹那で両側から囲んでしゃがむ。

「親父」

「これで、いいんだ」

 親父が、まるで自分に言い聞かせるように言った。

「裏切り者が殺されるってのは、よくあるパターンだろ……。この場合、用済みで始末されるって方が正しいかな。いつでも死ぬ覚悟はあったってのに、いざこうなってみると、未練が残るもんだな」

 俺と刹那の顔を見ながらそんなことを言う。

 喋らなくていい、とは言えなかった。

 喋りたかった。親父の声をもっと聞きたかった。

「だが目的は達成できた……翼斗、これでお前が狙われることはもうないだろう。お前がAWBとは何の関係もないと、奴らもわかったはずだ」

 全身が粟立つのがわかった。

「まさか、そのために俺を巻き込んだのか!?」

 今後、俺が巻き込まれないために。

「それだけじゃないさ。言っただろ、お前にプレゼントがあるって。どうだ、新しい目の調子は?」

 そう言って俺の目を覗き込む。

「……よく見えるよ。夜景も綺麗だ」

「そうだろう。なんせ二年もかかったからな」

 やはりそうだったのか。

 親父は、俺の視界をただ奪っていたのではなかった。人工視覚のシステムをアップデートしていたのだ。

 とはいえ、いくら親父でも人工視覚は専門外のはずだ。それなりの期間を要しただろう。

 一年か——あるいは二年か。

 アスファルトの地面に、赤黒い血だまりが広がっていく。

 暗い夜の白い灯りの下で、その赤だけが生々しく視界を彩っている。

 親父。

 何もない白黒の世界でも別によかったんだよ、俺は。

 こんな色を見るくらいなら。

「よし、お前らにひとつずつ、アドバイスだ」

 かすれる声で親父が言う。

「翼斗。あまり卑屈になるな。社会ってのは宗教みたいなもんだ。お前ならもう、そんなもの無くても平気だよ。自分の居場所を作れ。それだけを大切にしろ」

 社会不適合者の俺に。

「刹那。悪かったな……本当にすまない。でももう大丈夫だ。困ったらこいつらを頼れ。気に入らなければ暴れちまえばいい。お前はもう自由なんだ。わかったな」

 反社会的存在の刹那に。

「パパ……嫌だよ」

「刹那。愛してる」

 そこで親父は口をつぐんだ。

 荒かった呼吸が、浅く静かになっている。

「……親父?」

「あー。もう、特に言うことないな」

「ないのかよ!」

「贈る言葉とか、そういうのは苦手なんだよ。百日の説法を屁でぶち壊すようなことしか言えないからな、俺は」

「よく言うよ。ありがたい説法なんて一日だってしたことないだろ」

「むしろイタチの最後っ屁だな」

 ふざけるように言って笑う。

「だからもう、言うことはないんだよ。こんな最期なら、言うことなしだ」

 親父の口調は昔の、適当なことばかり言って刹那とふざけ合っていた頃に戻っていて、おかげでそれは奇妙な一家団欒のようにも思えた。

 二年ぶりにして、最後の一家団欒。

「親父」

「なんだよ」

 もう寝かせろよとばかりに、面倒臭そうに返してくる。

「俺、母さんと約束してたんだよ。二人を頼むって。親父と刹那をよろしくって。でも俺、何もできなくて。ずっとどうしていいかわからなくて」

 こんな結末を迎えてしまった。約束を守れなかった。

 何を言おうとしているんだ、俺は?

 慰めてほしいのか。

 お前は悪くない、気にするなと、最後に頭でも撫でてもらいたいのか。

「守れたじゃないか」

「え?」

「さすが、俺の自慢の息子だよ」

 そう言って親父は目を閉じた。

 なんだよそれ。どういう意味だよ。

 だけど返事はもう、返ってこなかった。

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