042 少年は疾走する

「下村拓海……」

 赤間さんが呟くように言った。

 どれくらいの時間が経っただろうか。十分以上か、一分も経っていないかもしれない。誰も言葉を発することなく、刹那の咽び泣く声だけが響く中、赤間さんのスマホが鳴った。

『感染はほぼ食い止めたよ。そっちはどう?』

 籠目さんの声。

 赤間さんが手短に状況を説明すると、さすがの籠目さんも絶句しているようだった。

 電話を切った赤間さんが、俺たちに撤収を告げた。

「じきに救急車が来る。逃げた女、それからドローンの件もあるから俺は一度戻るが、お前たちはどうする?」

 そう言って赤間さんが、俺がクッション代わりにしたためにボンネットが見事にぼっこりと凹んでしまった超高級車を親指でさす。

「俺、親父についていっていいですか。すぐにACTに戻りますから」

「ああ。そうしろ」

 このことが公になればまた騒ぎになるだろう。そうなれば俺はきっともう、完全に、金輪際、親父との関係を絶たなければならなくなる。

 刹那もついてきたそうな顔をしたが、口に出してはこなかった。これ以上人目の付く場所をうろつくわけにはいかないとわかっているのだろう。

「つばめちゃん、刹那を頼む」

 赤い目をしたつばめちゃんが心得たと頷く。

「柊翼斗」

 フルネームで呼ばれ、見ると、赤間さんが小さく敬礼をしていた。もう片方の手をポケットに突っ込んだままの、ぞんざいな敬礼ではあったが。

「協力に感謝する。AWBのことはお前や雛野だけじゃない、俺たちがいることも忘れるな。もう誰の手にも渡しはしない」

 そう宣言して車へ向かっていく。

 ありがとうございます。

 と、そう言おうとした時だった。

「そんな、これって」

 刹那が怯えるような声を出した。そして、

「皆逃げて!」

 刹那の叫び声とほぼ同時に、全員が“それ”に気付いた。

 工場と向かって反対側の上空に、再びドローンが現れたのだ。それも二体。先ほどと同じ型で、同じく銃を構えている。

 最初に動いたのはつばめちゃんだった。

 彼女の指がキーボードの上を踊るように走ると、先ほどのショベルカーが前進してドローンのコース上に躍り出た。

 ショベルカーとの衝突を避けようと、二機とも旋回して迂回を試みる。

 が、ラジコン操作術はつばめちゃんの方が上手だった。

 ショベルカーのアームで一機を殴り、返す刀で二機目を薙ぎ払う。バランスを崩したドローンはどちらも地面に墜落し、そのまま動かなくなった。

 俺はその間、ただ呆気に取られて見ているしかなかった。

 ドローンの援軍が来るというのも予想外だったが、まさかそれを一瞬で撃墜してしまうとは。

 だがその能天気な感動も長くは続かなかった。

「なんだあれは……」

 赤間さんが呆然と上空を見上げて呟く。

 これがゲームや漫画だったら、それほど大した演出ではないだろう。しかし現実のその光景は圧倒的で、見た者の心をへし折るだけの絶望感を与えてきた。

 飛来したのは、またしても同じドローンだった。しかし数が違う。

 十機、二十機……いやそれ以上。そのいずれもが銃を構えている。

 無理だ。

 AWBを抱え上げる。

「つばめちゃん、走れ!」

 叫ぶと同時に俺も駆け出した。わき目もふらず、全力で。

 建物の角を曲がり、死角に入る。振り返ると、その時点でつばめちゃんとかなりの距離が開いてしまっていた。

 しまった、忘れていた。

 つばめちゃんは何もない平地で転ぶほどの折り紙つきの運動音痴で、今この場面でそれは致命的だ。

 ドローンの飛行速度はそれほどでもないが、小回りが利き、どこまでも追いかけて来そうな気配がある。

 誰が狙いかはわからない。つばめちゃんが撃たれない保証はない。

「つばめちゃん!」

 引き返そうとした時だった。

「構うな、行け!」

 赤間さんが後方から飛び出してきた。つばめちゃんの身体をひょいと抱え、スピードを落とさずに追いついてくる。

 射撃の腕といい、この人は何者なんだろうか……?

 しかし助かった。

 遮蔽物の多いプラントの建屋へ向かって走る。

 滑り込むように入り口に駆けこんだ時、かなり後方から発砲音が聞こえた。だいぶ距離を稼げたようだ。それに百発百中というわけではないらしい。

「この入り口からは一機ずつしか入れんだろう。俺が様子を見ているから、先に奥へ行って退路を確保しろ」

 俺たちに指示を出してから、赤間さんはACTに応援要請の連絡を始めた。

 素直に従い、工場の奥へと進むことにする。

 入り組んだ構造の建屋の中を注意深く進む。夜中の製鉄所は無人だったが、設備は動いているようで、ゴウンゴウンという音が建物中に響いている。まるで巨大な生き物の腹の中にいるようだ。

「銃を持ったドローンに追いかけ回されるなんて、まるでSFだよ」

「SFはいまやソンナニ・フシギジャナイの略語ですから。それよりドローンの通信先がわかりました。一般人のスマホが踏み台にされてるらしく、その先の特定は難しいですが、すべて一台の端末から操作しているようです。とんでもない腕ですね」

 つばめちゃんは歩きながら器用にパソコンをいじっている。

「やっぱりLurkersの仲間なのかな?」

「タイミングからして、その可能性が高いです。まさかここまでするとは……どうやらただのクラッカー集団ではないようですね。いわゆるハクティビスト集団、何らかの思想を持った政治結社に近い」

 奴らの目的は、間違いなくAWBだろう。

 ハニービーが持って行った開発資料が偽物だとばれたのだろうか? いや、親父はそう簡単にはバレないと断言した。それに恐らく、ハニービーとこの操縦者は完全に連携しているわけじゃない。ハニービーが去り際に残した「せいぜい気をつけろ」という言葉は、「自分以外にも仲間がいるがそいつが見逃すとは限らないから気をつけろ」と、そういう意味だったのだろう。

 少なくとも“こいつ”は、最初からそのつもりだったのだ。でなければこのドローンの数の説明がつかない。

 AWBを破壊した上で、俺たち全員の口を封じようとしている。

「兄ちゃん」

 脇に抱えているAWBが呼びかけてくる。刹那は映像を引っ込めてただの球体になっていた。

「どうした?」

「置いて行って」

 か細い声で言う。

「言っている意味がわからないな。AWBも誤作動を起こすのか?」

「わかるでしょ! あたしが狙われてるんだよ? このままじゃ兄ちゃんたちまで撃たれるかも」

 何を今さら。

「赤間さんが見張っててくれてるし、応援も来る。心配するな」

 その時、盛大にガラスが割れる音がした。

 見ると、天井近くの窓が割れ、ドローンが中に這入ろうとしていた。

 銃でガラスを割ったのか。

 俺の発言を嘲笑うような、まったく腹立たしいタイミングだ。

「つばめちゃん、ごめん!」

「あわっ」

 また小荷物のようにつばめちゃんを脇に抱え、全力疾走を再開する。

 さすがに鉄球と人を抱えながらのダッシュは体力的に厳しく、息が上がる。両腕の感覚も無くなってきた。

「兄ちゃん、離してってば!」

「嫌だね」

 だってこんな両手に花状態、滅多にないだろ。

 たとえ千切れようが腐り落ちようが、きっと俺の両腕は、今日この日のために生えていたのだ。

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