043 人工知能は選択する
左手の花は、揺られながらもパソコンを器用に叩いている。
「この工場の管理システムに侵入しました。このまま真っ直ぐ行くと高炉です」
相変わらず、なんという手際の良さだ。
制御室のような部屋の前の廊下を進んでいくと、電子ロックつきの扉が立ち塞がった。『高炉入り口:関係者以外立ち入り禁止』と貼り紙がしてある。
さてどうするか……
ガチャリという音。
「開けたです」
「早っ!」
どうやったらそんな一瞬でシステムに侵入したり車を乗っ取ったりロックを解除したりできるのかまるで見当がつかないが、とにかく、
「ありがとう、助かるよ」
「なんのこれしき屁のつっぱりです」
扉を抜けると、広い空間に出た。
設備の稼働音が一段と大きくなる。奥にある高炉では溶けた鉄が赤く燃え盛っていて、熱が空気を伝わって肌をちりちりと灼いてくる。
ここも自動で動いているらしく、人の姿は見当たらない。
「扉、閉めたらまずいよな……」
ここまではほとんど一本道だった。閉めればドローンは入ってこられないが、赤間さんが逃げてきた時に袋小路になりかねない。
「赤間さんのことなら大丈夫です」
つばめちゃんのパソコンの画面を見ると、工場内の監視カメラ映像らしきものが映っていて、その中の一画面に、銃を構えて前進する赤間さんの姿があった。
「先ほどから陽動でドローンを引きつけて数を減らしてくれてるです。もう六、七台は落としてるですね」
化け物かな!?
「今はこちらを追ってくるドローンを後方から追撃してくれているようです。いざとなれば入り口へ引き返せるでしょう」
サイバー犯罪専門の特捜課の課長が、どうして単独でそれほどハイパフォーマンスな対多対空殲滅戦が展開できるのか。
つばめちゃんも赤間さんも、常識外れもいいところだ。
だけど今はただただ頼もしい。
扉を閉めると、急に疲労感に襲われた。肺が破れそうに苦しい。膝も限界に近い。気を抜いたら倒れてしまいそうだ。
しかし休んでいるヒマはない。出口や隠れ場所を探しておかなければ。
息を整えてからフロアの中を進む。
「あの、柊さん。降ろしてもらってもいいですか」
「あ、ごめん。つい馴染んじゃって」
つばめちゃんを脇に抱えて持ち運ぶのにも慣れてきた。持ち運ばれる側の彼女は面白くないだろうけど。
「兄ちゃん、私も」
刹那に言われ、少し躊躇したが、AWBも地面に置いた。レーザーが照射され立体映像が現れる。
そういえばこの球、電源とかどうしてるんだろう。電池切れとかにもなるのか?
「兄ちゃん」
「…………」
「兄ちゃん、あのさ」
「何も言うな」
刹那の顔を見れば何を言いたいかはわかる。
だがその提案は絶対に聞き入れられない。
「柊さん、あの」
「ん? 何?」
この対応の差。露骨に依怙贔屓してるみたいだな、俺。
「あの時は、その。すみませんでした、です」
あの時……ああ。
「公園のこと? いいよ、気にしてない」
気にしてないどころか、本当に忘れていた。そういえば再会する前、俺と彼女は険悪な雰囲気のまま別れたのだった。
「それより、ハニービーが言ってたこと……本当なの?」
つばめちゃんは昔、ブラックハッカーをやって糊口をしのいでいたと言っていた。しかしそれより前のことは直接は聞いていない。
ハニービーは“養成所”という言葉を使った。
つばめちゃんはハニービーの後輩なのだと。
そこから逃げてきたのだと。
人を殺したと。
つばめちゃんは顔を強張らせて俺から目を逸らした。しかしもはや隠す局面ではないと判断したのか、覚悟を決めたようだった。
「……あまり愉快な話ではないですが」
俺は頷く。
本当は愉快な話をしたいところだが在庫が無い。それに俺の方ばかり一方的に話をするのも不公平というものだ。
つばめちゃんが階段に腰を下ろし、俺も隣に座る。
「彼女が言ったことはすべて本当です。私は探偵を始める前、“ブラックリスト”という組織に所属していました。サイバー犯罪の人材派遣会社のようなもので、世界中から子供を集めて英才教育を施してブラックハットハッカーを育て、企業や反社会組織に派遣することを生業にしている犯罪組織です。私とハニービーはそこで日本向けの……正確には、日本を狙っている組織向けの製品として育てられていたですよ。物心がついた時からです。生まれた場所も、親の顔も知りません。あの頃は善悪の区別もついてなかった……いえ、正確かつ迅速に相手を攻撃することだけが正しいことだと思っていたですよ。そう教えられていた」
あまりに壮絶な話だった。
相槌の打ち方も忘れてしまうくらいに。
「でも、ある人が私を助けてくれて、私だけが運よく逃げることができたのです。しかしその人とは日本に逃げてきたところではぐれてしまい、どうやって生きていけばいいかもわからず、気付いたらそれまで通り犯罪に手を染めていた。そこを助けてもらったのです。拓海さんと刹那さんに」
後ろで聞いていた刹那がうんうんと頷く。
「あの時はびっくりしたよ、もの凄いスピードでサーバに侵入してきたと思ったら、その正体が小っちゃい女の子でさ。思わず『友達になりたい!』ってパパに言ったんだけど、パパ困ってたなあ」
「びっくりしたのはこちらです。サーバが話しかけてくるなんて教わってなかったですから」
二人が話している姿は、やっぱりごく普通の友達同士にしか見えない。
……話してる内容はぜんぜん普通じゃないけど。
「刹那は全部知ってたのか? 親父も?」
「うん、まあね。パパが、警察に突き出されるか喋るか選べってつばめちゃんに迫ってさ。最初に聞いた時はビックリしたよ」
すべて知った上で、親父と刹那はつばめちゃんを守ろうとしたのか。
日本で暮らしていけるようにと。
「じゃあつばめちゃん、本当に自分が何歳なのか……」
「知りません。年齢はあそこでは意味のないものだったですから」
「そうすると、本当に年上ってこともあり得るのか」
「いえ、それはたぶんないです。十四から十六の可能性が高いです」
「えっ。なんでわかるの?」
当たり前のように訊き返しただけなのだが、何故かつばめちゃんはそこで赤くなった。
「セクハラです」「兄ちゃんサイテー」
何でだよ!?
「おい貴様、ご主人にセクハラとはいい度胸だ。俺が相手になってやる」
俺のバッグからパピコが頭を出した。
「パピコ!」「ようご主人」
飼い主の元へようやく帰還を果たしたパピコとつばめちゃんがひしと抱き合う。
ショベルカーから飛んだ時とか、下手したら下敷きにしていたかもしれない。無事でよかった……
と、その時だった。
ガシャンと重量のある音がフロアに響いた。
音の方向を見ると、フロア端にある貨物用のエレベータが動き出したようだった。
「……赤間さんかな?」
「見てみましょう」
パソコンを操作したつばめちゃんの顔色が変わった。
「まさか……一機もいない!?」
その言葉が何を意味しているのか、それほど難しい問題ではなかった。
“果たしてそんなことが可能なのか?”
この数日、何度もその疑問を抱いては、その度に現実が想像を凌駕する場面を目撃してきた。
だから、ドローンがエレベータを操作して乗り込んでくるくらいのことは、起こったとしても不思議じゃない。
エレベータが到着し、無慈悲に口を開ける。
十機以上はいた。
それぞれが意思を持っているかのように、俺たちを包囲するように展開して近づいてくる。
どうする?
近くに出口はないし、この広い空間では逃げ場もない。AWBとつばめちゃんを抱えて入り口に走ったところで、とても間に合わない。
進退窮まった。
「あたしを置いて逃げて!!」
刹那が叫ぶ。
「そんなわけにいくか!」
約束したのだ。
母さんとの約束。それに親父とも。
二度と手を離してたまるか。二度と目の前で死なせたりしない。
いや違う。
俺はもう、喪いたくないのだ。
お前まで俺を置いて行くな。
「一機でも乗っ取れれば……」
つばめちゃんがパソコンを叩く。
ダメだ。そんな時間はない。
「皆死んじゃうってば!」
ほとんど絶叫に近い声で刹那が叫ぶ。
「ダメだ!」
ここまで来て、そんな結末は許されない。
見殺しにするくらいなら一緒に死んでやる。
しかし、つばめちゃんはどうする? 死なせたくない。
わがままを言っていられる状況じゃない。
選択しなければ。
何を選ぶ。
何を捨てる。
「兄ちゃん、つばめちゃん」
「なんだよ……」
「ごめんね」
次の瞬間、全身が沸騰したように熱くなった。自己嫌悪と怒りで、自分を殺してやりたいと本気で思った。
どうして気付かなかったのか。
さっきの今で、何で忘れてしまっていたのか。
気が動転しっぱなしだったのは確かだけれど、それを差し引いてもあり得ない。
つばめちゃんもそのことを思い出したらしく、顔面を蒼白にしていた。
俺に色をプレゼントしてくれたように、親父が刹那に与えたもの——選択肢。
「やめろ刹那!」
「刹那さん、ダメです!」
「ムリだよ。もうやっちゃったもん」
泣くように笑う刹那の表情が、すべてを物語っていた。
一度動き出したプログラムは、処理が終わるまでは止まらない。ビルの屋上から飛び降りた人間が「やっぱりやめた」と思い直したところで、地球の重力から逃れることができないのと同じように。
刹那の自殺は、すでに終わってしまっていた。
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