048 探偵は問答する
「刹那と思えるかって……」
どういう意味だ?
言葉通りの意味だとしたら、それは愚問だ。
「当たり前だよ。つばめちゃんだってそうだろ?」
「では、あの刹那さんに生きていてほしかったと、今でも思いますか?」
「だから当たり前だって!」
つい強い口調になってしまう。
あれ以来、まだそのことについて考えたことはない。というより、考えることが出来ないでいる。
ちゃんと考えるべきなんだろう。心の整理をつけ、弔って、そして祈るべきなんだろう。しかし考えようとすると、脳味噌が沸騰するような、心臓が凍り付くような、まともではない感情で心がぐちゃぐちゃになって、また蓋をしてしまうのだ。
吹っ切れたような顔をしているだけでその実、まったく訣別できていないのだ。
「AWBが何故危険なのか。それはあれだけの力を持ちながら、限りなく人間に近いからです。人間はプログラムと違って狂う。狂うというロジックは制御ができない。刹那さんだって強制されたのではなく、自らの判断であの事態を引き起こしたわけですから。二年前然り、先日の事件然り」
「確かに、それは君の言う通りだよ。刹那は間違いなく責められるべきことをした。それが目的だったんだから当たり前だ。でも、それが悪意によるものじゃないってことを俺たちは知ってるはずだ」
「悪意かどうかはこの際関係ないのです。“結果としてそうなる可能性がある”ということが危険なのです」
おかしいな。俺はただ様子を見に来ただけなのに、なんでこんな話になってるんだっけ。
わかってる。彼女の言うことは正しい。
そんなことは俺だってわかってるけど、だけど。
「刹那はやっぱり死ぬべきだったって、そう言いたいのかい?」
君にだけは、そんな風に言ってほしくないんだけどな。
刹那の一番の親友だった、つばめちゃんにだけは。
二人の間に微妙な空気が流れる。
まるであの夜の公園の続きをしているみたいだ。
「……すみません。私はやっぱり、こういうことを伝えるのが苦手みたいです。でも私は、AWBがなくなって良かったとか、そういうことを言いたいのではないのです。これはきっと、柊さんにどうしても考えてもらう必要があることなのです」
「俺に?」
やっぱりまだつばめちゃんの意図がわからない。
終わった話だ。考えてどうなる話でもないだろう。
「そのことに気付いてから、私もずっと考えていたのですが、ぐるぐると思考が周回するばかりで結論が出そうにありません。だから、柊さんが来てくれて良かった」
彼女は何を言おうとしている? 何を企んでいるんだ。
「柊さん、今から言うことを落ち着いて聞いてほしいです。AWBには、バックアップ機能が備わっていた。これはシステム設計の基本中の基本で、当たり前のことです」
「バックアップって……刹那の、脳のデータの?」
「です。毎日夜間に、前日からの差分データだけを抽出してバックアップする仕組みです。これは以前に本人から聞いたので間違いないです」
ああ……なんとなく言わんとしていることがわかってきた。
「バックアップデータがあれば刹那をまた作り直せると?」
だがそれは無理だ。
「差分データだけあったって意味がないだろ。元のデータが無いんだから。だからこそ親父は、二度と復元できないようにその“元”を消していったんだ」
「柊さん、18桁のパスワードをまだ覚えているですか?」
「へ?」
また唐突に話題が変わった。
あの難解なパスワードか。あの時は完璧に覚えていたが……。
「えっと確か、842499……」
「ぜんぜんまったくこれっぽっちも合ってないです。パピコ」
「うん、23.2935498B.024D5Fだよぉ」
「うわっびっくりした!」
なぜパピコが知ってる!?
「びっくりはこっちです。忘れたなら忘れたと言えばいいのに」
適当に誤魔化そうとしたのがバレてしまった。
そういえば、俺がハニービーにパスワードを告げた時、パピコはバッグの中にいたのだ。なにせ探偵の相棒だ、見聞きした情報は記憶しているのだろう。
「このパスワードをパピコを通じて聞いた時、おかしいと思ったですよ。せっかく18桁ものパスワードなのにやけに単純です。記号が一種類しか使われていないですし、並びに規則性がある。わかるですか?」
規則性? 何か意味がある文字列だということか。
「そういえば、あのときハニービーも似たようなことを言ってたなあ。どういう意味だ?って」
つばめちゃんはムッとした顔になった。
「でも、ハチ姉……ハニービーはその意味までは気付けなかったですから。私の勝ちです」
なんだその対抗意識。
「ううん、規則性か。気になるのはこの二つのピリオドと、アルファベットが混ざってることかな。十六進数とか? 9桁ずつ二つに割るとそれぞれ3桁目にピリオドがくるけど……」
あれ? なんでつばめちゃんは口を尖らせて悔しそうにしているんだ?
「一瞬で正解に辿り着くとは……さすがは拓海さんの血脈の者ですね」
どうやら正解したらしい。
「血脈って……。確かに、閃きだけは凄いってよく言われたよ。でもこの数字が何を意味してるのかまではわからない」
「ふふん。ハニービーも恐らく同じ疑問を抱いたはずです。彼女は日本に住んでいるわけじゃないですからね」
つばめちゃんはやや得意げに言う。
「私が気付いたのは、二つに割ったそれぞれの上二桁、つまり23と8Bです。これを十六進数から十進数に変換すると、それぞれ35と140になる。35.から始まる数列と、140.から始まる数列。ここまで言えばピンと来るでしょう」
ピンともスンとも来ない。
「座標ですよ。日本の緯度と経度です。北緯35度・東経140度が指しているのは、千葉県の房総半島です」
「千葉……?」
「残りの数字もすべて二桁ずつ十進数に変換した座標の住所は……柊さん、この場所に覚えは?」
つばめちゃんがパソコンを半回転して画面を向けてきた。
房総半島がアップで表示されており、矢印がその中の一点を指し示している。
そこは、旧下村家——俺たち一家が二年前まで暮らしていた場所だった。
***
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます