046 少年は依頼を請ける

「用件はそれだけか?」

 赤間さんにそう言われ、今ならなんでも答えてくれるんじゃないかという期待が湧いてきた俺は、ずっと気になっていた疑問をぶつけてみることにした。

「赤間さんって、なんでACTで働くことを選んだんですか?」

「それを俺がお前に言う必要があるのか?」

 ありません。

 諦めようとしたその時、

「東京オリンピックだよ。小学生だった時分にオリンピックの大舞台で躍動する選手たちの輝く汗飛沫を見て胸をときめかせていた赤間少年の目に、あるサイバー犯罪のニュースが飛び込んできた。それは彼が応援していたある選手の競技者生命を終わらせるものだった。その時からサイバー犯罪に対する義憤の炎がリーダーの胸に灯り始めたというわけだ」

 籠目さんが意気揚々と暴露した。

「競技者生命……?」

 赤間さんの知り合いの話か?

「そこまでだ籠目。俺のパーソナルな情報を流暢に漏洩するな」

 赤間さんの淀んだ目が、十六年前にスポーツの祭典を見て輝いていたとはとても思えない。人の過去はわからないものだ……

 ん? 小学生?

「そういえば赤間さんっていくつなんですか?」

 赤間さんのスポークスパーソンである籠目さんにこっそり訊いてみる。

「二十八だよ」

「え? いや、靴のサイズじゃなくて、年齢です」

「だから二十八歳」

「二〇三六年現在?」「現在」

「グレゴリオ暦で?」「グレゴリオ暦で」

「うっ」「う?」

 嘘だろ!?

 絶対に四十は越えてると思っていた。

 二十代でどうやったらこのビンテージ感を醸し出せるんだ!?

 あと十年やそこらで、俺もこんな風になってしまうのか……!?

「ああーお腹空いた! ねえちょっと、おやつ買ってきていい? って、なんで俺を見て安心した顔してるんだよ柊。おいってぱ!」

 満太のおかげで落ち着きを取り戻した俺は、当初の目的を果たしてお暇することにした。

「皆さん、本当にありがとうございました」

 深く頭を垂れる。

 彼らが俺のために動いてくれたわけじゃないというのはわかっている。それでも言わなきゃならない。

 それだけのことをしてもらった。俺も、刹那も。

「どういたしまして、と言っておこうか。お礼を言われるほどのことはしてないけれど」

「まあ、こっちもほんのちょっとだけど助けられたし」

 満太がそう言って頭を掻く。助けたことあったっけ?

「本当は倉井さんにも言えたら良かったんですけど」

「ああ、電話で良ければ話すかい?」

 籠目さんはそう言うが早いか、倉井さんにコールをした。

 呼び出し音。二回、三回。

『もしもし?』

 若い女の声だった。

 あーあ……。

 籠目さんは一瞬固まったが、すぐに取り直して、

「やあ、ずいぶん声の調子が違うが、君は倉井くんかい? これは倉井くんのスマートフォンの番号だと思うのだけれどね。もし違うなら、どうして女絡みで自宅謹慎中の独身男のスマートフォンにかかってきた電話を若い女の子が取るのだろうか?」

 全力で突っ込んでいった。

 誰よアンタ、と向こうが気色ばんだ声を出した直後、『はいはいはい!?』と倉井さんの慌てる声が聞こえてきた。『やだな母さん、勝手に出ないでくれよ』などと言って誤魔化そうとしている。

 籠目さんは表情も変えずに通話を切った。

「失礼。うん、彼にはいずれ私から伝えておこう」

 そんな日が来ればいいのだが。

 やはり倉井さんの未来は暗そうだ。

「礼など要らんが、柊翼斗、もしお前が俺たちに恩の一つも返したいと思うなら、ヤツにいい加減ACTに入るよう言っておいてくれ。俺の言うことは聞かんが、お前はずいぶん仲が良さそうだからな」

 赤間さんが意外な提案をしてくる。

 なんだかんだ言って、赤間さんは彼女のことを買っているらしい。

「そうだね。相変わらず人手不足だし、つばめちゃんが来てくれるならモチベーションも上がるってもんだよ」

「ちょっと待ってよ、つばめちゃんが来るのは大歓迎だけど、なんでこいつに頼むのさ。それに仲良いってお前、もう依頼は終わったんだろ。つばめちゃんから離れろよ」

 何でだよ。お前こそつばめちゃんのなんなんだ。

「満……ケビンさんって成人でしたよね?」

「そうだけど、それが何さ」

「条例違反って知ってます?」

 どうやら反撃は成功したようで、満太は顔を真っ赤にして「全然そういうんじゃないし! ていうか婚約してれば大丈夫だし!」とわめき立ててきた。

「おや、可愛い女の子を取り合って恋の鞘当てか? 決闘なら外でやってくれよ」と籠目さんが笑う。

 別に満太と斬り結ぶつもりはないのだが。

「あのさ、可愛いじゃなくて綺麗って言ってよ。つばめちゃんが集中してる時の横顔、メリッサも見てたでしょ?」

「うん? それでも私は“可愛い”だと思うけどな。リーダーはどう思う?」

 籠目さんが、絶対不変的に興味のなさそうな赤間さんにわざわざ話を振る。

「どうでもいい。俺が可愛いのは自分自身と愛車だけだ」

 ほらやっぱり。

「ふうん。じゃあ私は?」

 ピシッ——と、空気が凍った音が聞こえた気がした。

 思わず満太と顔を見合わせる。

「可愛いなんて歳か、お前が」

「ひっどいなあ、リーダーは」

 赤間さんの返しに籠目さんは朗らかに笑っている。笑っているが、これは……ええっと……うん、触れないでおこう。

 と、籠目さんが真面目な顔に戻って俺を見た。

「柊翼斗くん、リーダーの言ったこと、私からもお願いしたい。君の方で様子だけでも見て来てくれないかな。あれ以来連絡もつかないし、今回の件でふさぎ込んでいるのかもしれない。本当に心配しているんだ」

「それは、特捜課の人材候補としてですか?」

「いいや? 知ってるだろう、私たちは彼女のことが大好きなんだ」

 ええ、知ってます。

「わかりました。実はちょうど今日この後に行こうと思ってたんです」

「えっなんで!? ずるいぞ!」

 次にここに来る時は、パピコを連れて来て満太の相手をさせておこう。

 そんな時が来れば、だが。

「そうか。じゃあ、よろしく頼んだよ」

 籠目さんはそう言うと、再びにっこりと笑った。

 皆に別れを告げて部屋を出ようとした時、赤間さんが「柊翼斗」とフルネームで呼んできた。

「はい?」

「AWBの件、すまなかったな」

 ぼそりと呟くように言う。

 なんと! 赤間さんが謝ってくるなんて、フィッシング詐欺に引っ掛かるより貴重な経験に違いない。

 だけど。

「俺に謝る必要なんてないですよ。皆それぞれ自分に出来ることをやったんですから」

 そして、それぞれに傷を負った。

「偉そうにぬかすな、ガキの分際で」

 ええー……?

 素直に受けておけばよかった。

 と、もう一つ言っておきたかったことがあったのを思い出す。

「そういえば籠目さん。機械と人間の違い、もう一つ見つけましたよ」

「へえ。なんだい?」

 俺は言う。

 主人公が去り際に残す名台詞というやつだ。

「人間は間違える。でも何度だってやり直せます。生きようという意思さえあれば」

「コンピュータもエラー吐くし、プログラム直して再実行できるよ?」

 即座に論破された。

 せっかく良いこと言ったのに、まったくハッカーって人種は情緒が無い。

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