epilogue
045 少年は再訪する
一週間ぶりに訪問したACT特捜課の地下オフィスでは、赤間さんが表情だけで全世界を呪いながら、慣れない手つきでパソコンをいじっていた。
「リーダーだけずっと家に帰れてなくってね。山のような書類仕事に加えて、毎日方々に頭を下げまくっている。見てるこっちの首が痛くなりそうだよ」
籠目さんが赤間さんに聞こえないよう小声で教えてくれた。
今回の事件における日本警察の対応は、世間からバッシングの標的にされていた。犯人が捕まらず、怒りの矛先を向ける相手が他にないのだろう。そのほとんどは正確な事実を知らない人々による漠然とした批判に過ぎなかったが……
事実、赤間さんは色々とやってしまっているようだった。
独断での捜査、無許可で十発以上もの発砲、上司命令の無視。
結果オーライとはいかないのが公務員の世界だ。頭を下げるだけで済むなら幸運という気もするが、責任の一端が自分にある以上、下手なことは言えない。
「おい柊翼斗。お前がクッション代わりにしてくれた俺の愛車の修理代に興味はないか? なんならお前の口座に直接教えてやってもいいんだが」
地の底から響くような禍々しい声で怖ろしいことを言ってくる。
「いやあの、その節は本当に……」
「そんなに意地悪を言うもんじゃないよ。保険が下りたんだろう?」
籠目さんに言われ、赤間さんは舌打ちをした。
え、ただの意地悪?
「クラッカーにでも転職するの、リーダー? したら俺が捕まえてあげるけど」
相変わらずカーペットの上に寝そべってパソコンをいじっている満太が、からかうように言う。
「仕事熱心で感心だな、ケビン。そういえばお前の背任行為についてまだ上に報告してなかった「ごめんなさい」
音速で正座する満太とそれを魔眼で見下ろす赤間さんを横目に、籠目さんがまた小声で俺に囁いてきた。
「あんなこと言ってるけどね、リーダーは君のことも必死に庇っていたよ。君が矢面に立たないように」
「えっ! 赤間さんが?」
「しっ、聞こえるよ。今回は史上例のない規模のサイバーテロだったからね。感染台数は数百万、事故を起こした車は五百台強。それに米軍のドローンがやられたことで外交問題にも発展している。これだけ世界中の注目を集めている中、もし君の名前が表に出たりしたらただでは済まないだろう」
東京中にどれだけの被害が出ていたのかは、俺もニュースやネットの記事で知っていた。そこに俺の名前が載らなかったのは、赤間さんのおかげだったのか。
「まあ、今回の件はそう悪い話ばかりでもないんだ。前々から指摘されていたブルーリーフの脆弱性について認識できたし、早い段階で被害を食い止めることが出来たことも意義深い。それについてはあの子のお陰だけれどね」
その辺りの話は、あの日、帰りの車中で赤間さんから聞いていた。
なんでも、空気感染するマルウェアを、さらに早く感染するワクチンで上書きしたとか……それに俺の人工視覚のカウンタークラック。まったく彼女らしい発想だ。
「そういえば、倉井さんは今日はいないんですか?」
来た時から姿を見かけない。
籠目さんは苦笑いを浮かべた。
「倉井くんは今、自宅で反省中だ」
どうやら例のハニートラップの件が赤間さんの逆鱗に触れたらしく、ぎりぎり罰を免れた満太とは裏腹に、自宅謹慎処分に処されたらしい。
自業自得とはいえ、倉井さんにも助けられたのは確かだし、なんだか申し訳ない気持ちになる。
「おい柊翼斗。何か訊きたいことがあって来たんじゃないのか」
赤間さんに水を向けられ、目的を思い出す。
今日は警察の事情聴取の後、たまたま庁舎内で籠目さんと会い、訊きたいことがあったので連れて来たもらったのだ。
この場所にいるのが当たり前みたいな気がしていたけど、ここは彼らの戦場であって、本来俺が居ていい場所じゃない。
「あいつら、捕まえることはできそうなんですか?」
「あの女ならとうに日本を出ているだろうよ。奴らにとって身分偽装やパスポートの偽造などお手の物だ。もう一人、ドローンの操縦者だが、こちらも手がかりが掴めていない。情けない話ではあるが奴らはプロ中のプロだ。あれだけ派手に暴れておきながら一切の痕跡を残さなかった」
まんまと逃げおおせたというわけか。
今もどこかで悪事を働いているのだろうか。ハニービーの高笑いが聞こえてくるようだ。
「色々と面倒な問題もあってな。Lurkersは世界中が追っている犯罪組織だから他の国の捜査機関にも協力を仰いでいるのだが、協力的でない国がある」
「ロシア、ですか?」
親父が潜伏していた国。
「それはいつものことだ。アメリカだよ。今回の件での捜査協力はしないと通達してきた」
「アメリカが? 何故?」
「その真意は不明だが、今回利用されたブルーリーフのゼロデイ脆弱性。あれが要因だろうと、巷で人々が噂しているらしい」
巷で人々がそんな噂をしているわけがない。
赤間さんはつまり、こう言いたいのだ。
たとえば自宅に脱税でため込んだ大金を隠し持っていたとして、それが泥棒に盗まれても警察に届け出る人はほとんどいないだろう。何故ならそれは、自らの悪事を告白しているようなものだから。
今回使われた脆弱性の情報は、親父が二年前にどこかの情報機関から盗み出したものだった。
「今は戦争中だと言っただろう。つまりはそういうことだ。敵か味方の区別もない。この不安定さこそが奴らに付け込まれる最大の脆弱性だというのに、世界はそれを是正する方向へは向かわない。あんなふざけた連中を野放しにしたまま見て見ぬふりだ」
抑揚のない口ぶりで語る赤間さんに、あの日の親父の姿が重なる。
きっと彼も日々葛藤しているのだろう。何が正しいのか、自分がやっていることには意味があるのかと。しかし籠目さんが「尊敬している」と言ったのは、きっと彼のそういう部分なんではなかろうか。
「最大の機密情報を渡さずに済んだのは不幸中の幸いだ。今さら偽物を掴まされたと気付いてももう遅い。AWBもその開発データも、実物が残っていないのだからな。最強のセキュリティとは情報を持たないこと……皮肉にもあの探偵の言った通りになったわけだ」
AWBの開発プロジェクトはもちろん親父一人で進めていたわけじゃなく、多くの人が関わっていたものではあったが、サーバに保管されていたのは開発途中のドキュメントのみで、最終成果物はすべて親父が二年前に持ち出してしまったのだそうだ。
「でも、偽物ってことは、どこかに本物もあるってことですよね?」
「だとしても、もはや誰にもわからんさ」
死んだ下村拓海以外には。赤間さんはそう言いたげだった。
親父は結局、成功したのだ。
自分が生み出したAWBという存在を、自らその手で抹殺することに。
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