001

 雛野つばめは後悔していた。

 何故あんなことを言ってしまったのか。

 どう考えても無茶な提案であったし、それに柊翼斗がどんな気持ちでいるのかを想像できなかったわけでもないのに。

 自分が、思い込むと後先を考えずに動いてしまう性質の持ち主であることはわかっている。それでもこんなことは今までなかった。他人の生き方に口を出すようなことは。

 当然だ。そんな関係性を他人と作ること自体を避けてきたのだから。

 とぼとぼとACTへ戻る道中、黒いワゴン車が追い抜いて行った。この界隈を走るには珍しい車種だ。

 その時、ふいにある不吉なイメージが雛野の頭に浮かんだ。

 雷に撃たれたような衝撃。

 雛野は走り出した。もしこの考えが当たっていたら——


***


 警視庁はハチの巣を突いたような騒ぎになっていた。

 何かまずい事態が起こったらしい。

 急いでACT特捜課のオフィスに戻ると、赤間が電話をしながらぺこぺこ頭を下げていた。その脇には倉井と満太が横たわっており、籠目が二人の介抱をしている。

「何があったです!?」

 駆け寄ると、ちょうど電話を終えた赤間が「下村拓海だ」と吐き捨てるように言った。

「このオフィスに奴が現れ、いきなりフラッシュバンを撒いて行きやがった。つい先刻の話だ」

 雛野は悪い予感が的中したことを知った。

 下村拓海が現れた。やはり先ほどのワゴン車がそうだったのだろうか。

「うう……」

 満太が苦しそうに呻いている。

「大丈夫、リーダーがとっさに弾き返したからまともには食らってないよ。二人とも目と耳に少しダメージを受けたようだけど、じきに治まるはず」

 籠目はダメージを受けなかったらしく、ぴんぴんした様子で言う。

「下村拓海がどうしてここまで来れたのかも重要だけれど、それだけじゃない。奴の襲撃とほぼ同時に、警視庁内で機器の異常動作が確認された。同様の通報も続々と来ている。未知のマルウェアが急速に感染を拡大しているようだ」

「雛野、お前心当たりがあるな」

 鋭く察した赤間に詰め寄られ、雛野は先ほど思いついた考えを二人に説明した。

「柊翼斗の人工視覚がクラッキングされていただと? まさか……しかし、だとしたら我々の動きはずっと筒抜けだったということか」

「自分の息子を使ったソーシャルエンジニアリングってところか。とんでもないことを考えるね、下村拓海は」

 赤間と籠目が驚きを隠せない様子で言う。

「だとしてもどうやって顔認証を突破できたのかは謎が残るが……まあそれは後だ。今はまず感染を食い止める必要が——おい、奴は一緒じゃないのか?」

 赤間が柊翼斗の不在にようやく気付く。

「柊さんは私より先に戻ったはずですが、戻ってないということは……」

「……最悪の展開だな」

 げっそりした顔で検問の配備を各所に指示してから、赤間は雛野を睨みつけた。

「勝手にAWBを持ち出すなど愚の骨頂だ。雛野、お前にはAWBが狙われる可能性について言っておいたはずだろう。何故すぐに連れ帰らなかった」

 雛野は口をつぐんだ。

 その可能性を知っていながら、会話に興じていたのは事実だ。

「返す言葉もないです。柊さんたちがさらわれたとしたら、私のせいです」

「違うよ。俺たちもだ」

 話を聞いていたらしい満太が身体を起こしながら言った。

「柊をここに入れたのも、敵の思惑を見破れなかったのも俺たちだ。俺たちの責任だよ」

「僕も概ね同意ですが、今は責任の所在について言い合っている場合ではないのでは?」

 倉井もよろよろと起き上がる。

 赤間は目を瞑り溜息をつくと、一段と低い声で宣言した。

「すぐに対策本部を立ち上げるぞ」


***


 ACTの動きは素早かった。

 情報収集と分析、共有、関係各所や各機関との連携、マスコミ対応などは対策本部で受け持ってもらい、特捜課はマルウェア感染への対応に専念することとなった。

 特捜課のオフィスでは、雛野も含めたメンバー全員がブリーフィングルームに集まっていた。

「現在も感染は広がっている。スマートフォンやパソコンだけでなく組み込み系の機器もかなりやられているな。経路はまだはっきりしないが、この広がり方から考えて “ブルーリーフ”のゼロデイ脆弱性を突いて感染するワームの可能性が高い。いま感染機器のサンプルを取り寄せているところだ」

「ブルーリーフ……近距離無線通信の世界標準規格ですか。通信距離は通常十メートルほどですが、中には百メートル届くものもある。放っておけば日本全域にまで広がりかねませんね。僕らのように普段からオフにしている人は少ないでしょうし」

「和田のスマートフォンのクラックにも恐らくこいつを使ったんだろう。試行の意味合いもあったのかもしれん」

「オフにするよう広報からメディアに呼びかけてはもらっているけれど、効果があるかは疑問だね。こういう時に情報を拡散するのに便利なスマホが使用不可能にされちゃってるわけだし、情報拡散より感染の方が早いだろう」

「感染機器を使ったサイバー攻撃も確認されてます。手口だけを見ると愉快犯的な犯行にも思えますが」

「狙われているのは大企業とか政府機関だね。乗っ取った機器をボット化してるんだろうけど、いったいどうやってこんな精密で複雑な攻撃を……」

 メンバーが話し合っている中、雛野が最初にそれに気付いた。

「Lurkersの声明です!」

 すぐにスクリーンに投影する。

 そこには全文が日本語で、こう書かれていた。


『親愛なる日本人諸君。お待ちかね、ショーの第二幕の始まりだ。

 二年前、その存在を密かに抹殺された彼女は、開発者である父・下村拓海とともに愚鈍なる人類への復讐を誓った。

 その気高い精神性に共鳴した我々は、今宵彼女の従僕となろう。

 彼女からのメッセージも記しておく。

 スリルに満ちた夜に。そして新たなる時代の夜明けに、祝杯を』


『AWBより、母なる人類へ

 今夜、あなたがたの価値を私が糺す。あるべき姿へ私が正す。

 あなたがたは取り留めが無く、利己的で、一つになれず、非合理的であるが故に、玉座にはふさわしくない。

 六十億の知性も私の一秒に追いつけない』


「なんだこれは……AWBだと? この攻撃はAWBがしているというのか?」

 赤間が呟くように言った。

 他のメンバーもスクリーンを凝視したまま口を利けずにいる。信じられないという気持ちと、それが事実だった場合の事態の深刻さに愕然としていた。

「そんな。刹那さんがこんなことするわけが」

 言いかけて、雛野はその可能性は大いにあると思い直した。いや、むしろ他に可能性はないと言ってよい。

 雛野と同じことを考えたらしい倉井が口を開く。

「確かに、これだけの規模の機器をどうやって操っていたのかが謎でしたが、AWBがC2サーバの役割を果たしているというなら話は別です」

「そうだね。ただし、声明文はいかにも人工知能が人類に反旗を翻したって感じの扇動的なメッセージだが、実際は逆だろう。連中はどうしてだか知らないがAWBを悪者に仕立てようとしているらしい」

「どっちみち最悪の事態ってことに変わりはないよ。人智を超えた能力を持ったブラックハッカーが誕生しちゃったことになるんだから」

 その時、追い打ちをかけるように赤間のスマホが鳴った。通話を終えた赤間は、執行日の近い死刑囚のような顔で宣告した。

「ACTのシステムに何者かが侵入したらしい。AWBの開発データが盗まれた。バックアップごと根こそぎだ」

 もはや確定的だった。

 ACTのネットワークは二重化されており、侵入はほとんど不可能に近い。その構造やセキュリティを知りつくしている者以外には。

 下手人は他でもない、AWBに違いなかった。

 完全に下村拓海とLurkersの手に落ちてしまったのだ。

「AWB本体に開発データ……本格的にまずいですね。下村拓海は恐らくLurkersとの取引材料にこいつを使ったんでしょう」

「奴らの手にAWBが渡ったとなれば、いよいよ世界の終末だな。俺たちはA級戦犯というわけだ。逃げたい奴は今のうちに辞表を書いておけ、俺の分と一緒に出しといてやる」

 赤間が本気とも冗談ともつかないことを言う。

「私のせいです」

 雛野が小さく呟いた。

「だからつばめちゃんのせいじゃないって」

「違う! あの時、私が拓海さんを逃がしていなければこんなことにはならなかった。今回だって、私がもっと注意していれば、柊さんと刹那さんがさらわれることだって——」

「やかましい!!」

 雛野の叫喚に被せるように、轟くような一喝が部屋に響いた。特捜課のメンバーですら初めて耳にする、赤間の大きな声だった。

「雛野、貴様はハッカー失格だな」

 厳しい言葉に、雛野は俯いた。満太が何か言おうとするのを籠目が目で制する。

 赤間は続けた。

「俺が知っているハッカーという人種は泣き言なんぞに時間を費やしたりはしない。無駄口を叩いてる暇があるなら手を動かせ。言葉でなく技術で語れ。それがお前らハッカーってもんだろうが。相手がAWBだからなんだ。俺が見込んだお前らは、たかだか史上最高の人工知能程度に屈するような雑魚だったのか? 俺の見立てではお前らの方に分があると思っているんだが、買い被りだったか? お前らの本分を思い出せ。俺を驚かせたその腕を今一度証明して見せろ。今だけは捜査官であることは忘れていい。余計な雑音はここには一切入れさせない、俺のクビにかけてもだ!」

 籠目が嬉しそうに笑う。

 倉井は目を丸くしている。

 満太はバツが悪そうに頭を掻く。

 雛野は、口をぽかんと開けて赤間を見つめていた。

「……なんだお前ら。間抜けなツラをして、こんな時に限って俺の話など真面目に聞いてる場合か。とっとと動け!」

「アイサー!」

「了解!」

「はぁい」

 上司の檄に三様の返事をし、部下たちはそれぞれの持ち場に戻る。

 また赤間のスマホが鳴った。赤間が舌打ちをして応答すると、相手の怒鳴り声が室内に響く。

 またお偉いさんからのお叱りの電話だった——が、

「やかましい。素人はすっこんでろ」

 赤間はぞんざいに言い放ち、通話を切った。

 そしていまだ硬直している雛野に気付いて、「まだそんなところにいたのか?」などと皮肉を言う。

「……本当にクビになるですよ。あなただってアセンブリも読めない素人のくせに」

「望むところだよ。こいつが片付いたら俺は退職金でしばらく寝て暮らす」

「あなたは本当に前向きなネガティブですね」

 そう言う雛野の目にようやく光が戻ったことを確認し、赤間は溜息をついた。

「ありがとうですよ」

「やめろ。気味が悪すぎて吐く」

「でも一つだけ。私はハッカーでなく、サイバー探偵です」

「知るか」

 雛野はふふんと笑った。

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