- Safe mode -
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最初に異変に気付いたのは、警視庁に隣接する国立国会図書館の職員だった。
日本一の蔵書量を誇るこの図書館では、各フロアの清掃を日替わりで夜間に行うことになっていた。清掃自体はロボットが行うものの、職員が立ち会う必要があるため、この日も不運な職員が一人、プログラム通りに動き回るロボットたちを眠気をこらえて眺めていた。
それは突然起こった。
聞いたこともない電子音を、すべてのロボットが一斉に鳴らし始めた。何事かと慌てて駆け寄る職員に、今度はロボットたちが襲い掛かったのだ。
といっても、平たい吸塵ロボットとローラー自走式の洗浄ロボットが一斉に職員の方向に向かって動き出したというだけだったが、それは職員に恐怖を与えるのに充分な光景だった。
まるでロボットが意思を持ち、人間をゴミのように掃き捨てようとでもするかのような。
悲鳴をあげて走り出した職員がしばらくして振り返ると、ロボットたちは今度は逆方向へと走り始めていた。足並みをそろえ、見たこともないスピードを出して。
助走をつける形で吹き抜けのホールへと突っ込んだ彼らは、そのままの勢いでガラスを突き破り投身自殺を図った。
後に残されたのは、ホールの中央で四散しガラクタと化したロボットたちと、それを呆然と見下ろす職員のみだった。
***
神田駅近くのマンションに住むある女性会社員は、二本目の缶ビールを開けながらスマートフォンをいじっていた。日課になりつつある、匿名アカウントでのSNSの巡回に精を出しているところだった。
炎上しているアカウントを探しては、好き勝手にコメントを、時には中傷に近いメッセージを送り付ける。彼女に取ってSNSとはコミュニケーションツールではなく、安全に他人を攻撃できる便利なツールであり、ストレス発散の手段に過ぎなかった。
満足のいくコメントを投稿し、ビールをあおる。
再び画面に目を落とした彼女は、一瞬自分の目を疑った。
自分の顔が映っていたのだ。
すぐにインカメラが起動しているのだと気付く。間違えてボタンを押してしまったのか。
カメラモードを解除しようとする……が、何故かできない。
彼女がようやく異変に気付いたのは、シャッター音が鳴ってからだった。
間違いなくシャッターは押していなかった。
勝手に写真を撮られたのだ。
ノーメイクの顔がメモリに保存され、そこでようやく元のSNSの画面に戻った。
が、異変は続いていた。
先ほどの顔写真が、SNSに勝手に投稿されようとしている!
必死に取り消そうとするが、まるでそこに透明人間がいて操作しているかのように勝手に画面が動く。
ついに写真は投稿されてしまった。
早く削除しないと、自分と同じように生贄を求めているアカウントたちのいい餌食だ。知り合いに見られでもしたら大変なことになる。
慌てふためく彼女をさらに青ざめさせたのは、画面に突然現れた“蜂”だった。
デフォルメされた、アニメのキャラクターのようなビジュアルのミツバチが、画面を所狭しと飛び回っている。もちろんそんな機能に覚えはない。
蜂が画面の中央に来て針を刺すようなモーションをすると、画面にヒビが入り、粉々に割れた。
もちろん実際に割れたわけではない。しかし画面が真っ暗になり、もう何をしても反応しなくなっていた。
絶句して立ちすくむ彼女の背後から、シャッター音が聞こえた。
恐る恐る振り向く。
机の上、デスクトップパソコンのモニターに、スマートフォンを手に呆然としている自分の後ろ姿が映されていた。
ブラウザが勝手に起動し、SNSのサイトが表示され——
彼女はついに悲鳴をあげた。
***
東京の中心で静かに発生した電子機器たちの反乱は、急速に規模を拡大し、人々を阿鼻叫喚へと飲み込んでいった。
電源の入ったスマートフォンやパソコンの多くがミツバチの餌食となり、持ち主の顔写真を世界中に公表した後にすべての機能を停止した。
家屋の照明は何もしていないのに点滅を繰り返した。
スピーカーは乱暴な言葉で持ち主に悪態をつき始めた。
エアコンはコンセントを抜かれるまで最大出力で温風を吐き続けた。
走行中の自動車の何割かが操作不能に陥った。
それらはSF映画でよくある、人工知能やロボットが人類に反旗を翻すシーンを人々に思い起こさせたが、不可解なことに、異常動作を起こした機器はそれほど高尚な知能を持つ者たちではなかった。
むしろ被害が大きくなったのはその後だった。
感染した機器たちは巨大なボットネットを形成し、主人の指示に唯々諾々と従う従順な奴隷と化した。あるいは規律正しい軍隊に。あるいはゾンビの群体に。
誰を攻撃するかはネットワークを介してコマンダーから指令が届いた。
多くの名だたる企業、政府機関のシステムが攻撃を受けた。
都心の交通機関は麻痺した。
大手ECサイトが次々にダウンした。
金融サービスのシステムがクラッシュした。
大手動画配信サービスがジャックされ、全ての動画がファンシーなミツバチのキャラクターの求愛ダンス動画に差し替えられた。
テレビでは緊急地震速報が立て続けに流れ、各局は誤報であることを繰り返し謝罪する羽目に陥った。アナウンサーが頭を下げている間に、今度はミサイル発射速報のテロップが流れた。
ミサイルは発射されなかったが、軍事演習中の米軍のドローン五機が乗っ取られ、太平洋上に墜落した。
——これらはすべて、この日の夜、たかだか数時間の間に起こったことである。
東京、いや日本全体が、恐怖のどん底に叩き落とされた。
だがその恐怖を他の誰かと分かち合うことも難しかった。
頼りのスマートフォンやパソコンが、もはや一切の応答を拒否しているのだから。
***
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