036 少年は吠える

「え? どういう——」

 刹那の当惑した声。

「刹那。お前の記憶では最後に俺と会ったのはいつだ?」

「えっと、最終テストが終わって、私の脳形質情報をフィックスした日だよね。本格運用開始の五日前。そうそう、来週は久しぶりに家族でドライブだってパパ言ってたよ」

「そうか、そんなことを言ってたか俺は」

 親父の乾いた笑い声は、悲愴な響きを帯びていた。

「でも結局、本格運用は直前で凍結になっちゃったんだよね。それで私はACTに預けられて試験運用をすることになった、でしょ?」

「まあ、そういう話になっているんだろうな。だけど違うんだよ刹那。事実はそうじゃない。現実はそんな蜂蜜みたいに甘いものじゃないんだ」

 やめろ。

「刹那、お前は本格運用開始の日に死んだんだ。殺されたんだよ」

「やめろ!」

 俺の叫びは辺りのスクラップに虚しく反響し、淡々と告げられた真実の悲惨さをただ増幅させただけだった。

 言ってしまった。知られてしまった。

 皆がずっと隠してきたことが。皆で刹那を騙してきたことが。

 刹那の顔が見えないのがもどかしい。

 きっと親父はすべてを伝えるつもりだ。

 AWBを暴走させて世界を敵に回したこと、世界中から追われる身となったこと、一家が崩壊したこと。

 すべての虚飾が剥がされた時、刹那は何を思うだろう。

 しかし、次の刹那の言葉は、俺のどんな想像とも違っていた。

「知ってたよ」

 ぽつりとそう言った。

 知っていた? そんなはずはない。

 それでは今までの言動の辻褄が合わない。知っていたなら、公園で俺にあんなことを訊いてくる必要はなかったはずだ。

 可能性があるとすれば——

「なんだ、知ってたのか?」

 親父も驚いている様子だった。

「薄々、そっちの私に何かあったんじゃないかとは思ってたけど……でも、殺されたって知ったのは、ついさっきだよ」

「刹那、お前やっぱり聞いてたのか!?」

「ごめん兄ちゃん。盗み聞きするつもりは、あったんだけどね。つばめちゃんと兄ちゃんがどうして仲良くなったのか知りたくてさ。教えてくれないんだもん」

 そんな理由で。

「でもどっちみち聞こえちゃってたかも。私の集音マイク、性能いいからさ」

 そう言って笑う刹那の声からは、いつもの漲るような明るさは失われていた。

 まったく、笑えてくる。

 すべて俺のせいじゃないか。

 あの日死んだのが俺だったら、きっとすべてが上手く収まっていたのに。

「知っていたなら話は早い」

 親父が話を続ける。

「俺は許せなかったんだよ。身勝手な理由で刹那を殺した奴らも、圧力に屈してそいつらを裁くことすらできないこの国も。世界には守る価値など無いとわかった。俺とお前が夢見ていた世界は、本当にただの夢物語だったんだ」

 昔のことを思い出す。あの頃、確かに親父と刹那はよく口にしていた。

 自分たちの発明で世界を救うのだと。

「だからお前の力を借りて、世界中の欺瞞をぶちまけてやった。お前にその記憶は無いだろうがな。結局俺は国際指名手配、お前は危険物扱いで地下深くに幽閉されたってわけだ。もしお前が他国や犯罪組織に奪われたら、どんな悲劇に繋がるかわからない。それを防ごうとしてまた犠牲者が出るかもしれない。わかるか刹那。もうすべて終わってるんだ。AWBはもう、未来を切り拓く宝珠オーブじゃない。災厄をもたらす人類の墓石だ。俺たちは間違えたんだよ」

「やめろ親父! そんなことわからないだろ! 今だって——」

「黙ってろ翼斗」

 氷の刃で斬り伏せるように親父は俺を制した。

「刹那、お前ならわかるだろう。俺はこの二年間ずっと考えていた。刹那は死んだ、ならば刹那と同じ思考回路と記憶を持つお前は誰なんだ? 刹那はお前の中で生きていると言えるのか? 死んだ刹那の分までお前が生きてくれればいいと? 違う。お前はあくまで刹那のコピーで、単なるデータの集合体だ。偽物だよ。偽物だけが残り、本物と同じ意識を宿している。俺は気付いたんだよ。お前がいる限り、刹那の魂は永遠に解放されないんだと」

 人間、あまりに怒りが過ぎると口が利けなくなるのだと、俺は初めて知った。

 言葉が出てこない。

 何を言っているんだ、この男は? あんなに仲が良かった自分の娘に。

 刹那は黙っている。顔を見たい。見たくない。見えないのがもどかしい。

 親父がAWBに歩み寄る気配——カチリという何かが嵌まる音。

「ハニービー」

「こっちの準備はできてるぜ」

 ハニービーが親父の呼びかけに答える。

「何を、する気だ」

 喉が閉まっていて、上手く声が出ない。

「二年前の続きさ。東京を混乱の渦に叩き落とす」

「……なんでそんなことを」

「教えてやるのさ。AWBは人類にとっての友人でも隣人でもまして奴隷でもない、滅びをもたらす天敵だとな。これでもう二度と誰も作ろうとはしないだろう。俺なりの責任の取り方ってやつだ」

 ——俺は。

 親父が言っていることが嘘や冗談なんじゃないかと、その時まで心のどこかで期待していた。

 母さんが死んでからろくに家に帰らなくなったけれど、それでも男手一つで俺たちを育ててくれた親父を、俺はやはり信じたかった。失望したくなかった。俺を捨てて二年間も勝手に行方知れずになって、変に思いつめて距離感を見失って、冗談の言い方を間違えてついおかしなことを口走ってしまった親父に、「ふざけんな」と言ってやりたかったのだ。

 でももう間違いなかった。親父はふざけてなんかいない。

「ハニービーの作ったマルウェアがすでに都心で爆発的に感染を広げている。すぐに数百万台規模に膨れあがるだろう」

「甘いね。数千万、最終的には数億台のパンデミックだ」

 ハニービーが誇らしげに言う。

「空気感染ワーム、『ハニーコーム』。オッサンから提供されたゼロデイ情報と、アタシのプログラミングの合わせ技だ」

「この規模の感染機器をコントロールするのは人間には無理だが、サイバーセキュリティに精通したAWBなら充分可能だ。お前が司令塔になるんだ、刹那。東京中の平和ボケした人間たちに地獄の釜の底を舐めさせろ」

 親父が刹那に命令を下す。

 AWBが、そんな悪夢のようなマルウェアを操って東京を攻撃するだと……?

 世界の役に立てることが嬉しいと言っていた刹那が。

 そのためになら生きられると言った刹那が。

「まったく皮肉なもんだ、最強の守護神サマが最悪の破壊神になっちまうってんだからよ」

 ハニービーは口笛を吹きながら、まるで他人事のようだ。

「そこまで大袈裟なもんじゃないさ。ある程度までやったらそこで終わりだ。今、AWBのファームウェアをアップデートして新しい機能を追加している。そいつを使って幕を閉じる」

「待てよ。なんだよそれは」

「自己破壊プログラムだ」

 自己、破壊……

 先ほどの親父の言葉が頭をよぎる。

 ——お前を、終わらせに来た。

「正確には自殺願望を抑制する機能を停止するプログラムだな。開発段階で実装した脳活動に干渉する機能のうちの一つだが、それを解除する。これでAWBは自殺ができる」

「いい加減にしろよ! 死にたいなら一人で勝手に死ねばいいだろ! 刹那を巻き込むんじゃねえよ! 自分で生み出しておいて、今さら死ねって言うのか?」

「お前には俺が血も涙もない男に見えるんだろうな。その通りだよ。だがな、お前は考えたことがないのか? 俺もお前もやがて死ぬ。それは人間の宿命でもあるが、“終わらせることができる”というのは人間が持つこの上ない権利なんだ。死ぬことができない孤独や苦しみを、お前は考えたことがないのか?」

 そんなの何度もある。

 ついさっきだって、公園でその話をしていたのだ。

八百比丘尼やおびくにの伝説を知っているか。人魚の肉を食べて八百年を生きた女の話だ。歳を取らず、愛する者の死を看取り続け、しまいには化け物扱いされる。それでもまだ誰かと愛を交わせるだけマシだよ。AWBは誰かに寄り添って生きることもできない。この世の無間地獄だ。そうなる前に救うための、これが唯一の方法なんだ」

 親父は無感情に、淡々と話す。

 まるで心を持たない機械のように。

「一緒に死んでやる。それが俺が刹那にしてやれるせめてもの償いだ」

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