035 少年は直感する
「ってのは嘘だけどな。誰だよカゴメって」
「死ね!!」
本当に心臓が止まるかと思った。
「タネは至ってシンプルだ。本人の顔になりすましゃいい」
当たり前のようなことを言う。それが出来ないからセキュリティとして意味があるのだろうに。
「おいおい、そりゃ子供にする話じゃないだろ」
親父が割り込んでくるが、ハニービーはお構いなしに続ける。
「いいじゃねえか、これもお勉強だ。いいか坊や、今どきは三方向からの顔写真が三枚もあれば精巧なシリコンマスクが作れるんだ。ただしアップで三枚も顔写真を撮るなんて、それなりにお近づきにならなきゃ無理だよな。だから手っ取り早くて確実な方法を選んだのさ」
「だから何だよ。もったいぶるな」
「隣ですやすや寝ててもらえばいい。それも酔い潰れてくれてりゃ最高だ。特捜課は四人しかいねえと聞いたが、間抜けなタラシが一人いてくれて助かったぜ」
……ああ、そういうこと。
俺は比較的高かった倉井さんの株価が爆速で下落していくのを感じた。
見事に引っ掛かってんじゃねえか、ハニートラップに!
「それがアンタの手口かよ。それで“ハニービー”か?」
「こんな手は滅多に使わねえよ。アタシは男が嫌いでね。この名前だって自分でつけたわけじゃねえ。あんたの仲良しのアゲハだってそうさ」
「アゲハ?」
誰だそれは。
「ああ、今は名前変えてんだっけ。確かそう、『つばめ』だったか」
「つばめちゃん!?」
どうしてこいつの口からその名前が出るんだ。
アゲハ……それがつばめちゃんの本名?
「喋りすぎだハニービー。それより翼斗の持ち物検査はやったのか? 発信機でも持たされてたら追跡されるぞ」
「ああ、通信機器の反応がねえことは確認してあるが、一応検査しとくか。ちょっとカバン見せてもらうぜ」
ハニービーが俺のショルダーバッグを引っ張って中をまさぐる。
「お、スマホ発見。電源は切ってあるが念のため捨てとくか……うきゃあっ!!」
突然ハニービーが甲高い悲鳴をあげた。
「どうした?」
「なんだよこれ!? 気持ちわりぃなくそっ。オッサン、アンタのガキもなかなかぶっ飛んでやがるぜ」
「なんだか知らないが、それは知りたくないな」
大方、俺のスマホに貼ってある虫のシールに驚いたのだろう。自ら“蜜蜂”を名乗っているくせにそこまでメタクソに言わなくてもいいだろうに。
ハニービーはよほど癇に障ったのか、饒舌を引っ込めてそれきり黙り込んだ。
走行音だけが車内を充たす。高速道路か何かに入ったようで、車はかなりのスピードで走っていた。
「親父、なんで俺たちをさらったんだ」
恐らく電源を落とされているのであろうAWBについて、親父が一切触れないのが気にかかっていた。
「人聞きが悪いな。親が子供を迎えに来て何が悪い?」
「視力を奪って車に押し込むなんて子供の迎え方があるかよ」
「俺は不器用でな。愛情表現が苦手なんだ」
くそ、のらりくらりと。
本心を誤魔化すようにおちゃらけて振舞うところは本当に相変わらずだ。
「安心しろ、この後ちゃんと話してやる」
親父はそう言う。
今は待つしかないということか。
「じゃあ一つだけ聞かせろよ。あの二人を、本当に殺すつもりだったのか?」
一拍置いてから、親父は答えた。
「さてな。あいつらはただ、半殺しの目に遭わせてやりたかっただけだよ。その結果死のうが死ぬまいがどちらでもよかった。憂さ晴らしみたいなもんだ。お前は否定するか?」
「……否定は、しないよ」
それきり、もう誰も喋ることはなかった。
ぐちゃぐちゃに心をかき乱されたまま、立て直すこともできずに、俺は本来いるべき場所から遠く離れていった。
***
愛玩小動物スライドショーがいよいよ十周目に差し掛かろうとした時、ようやく車が停まった。
「降りろ」
ハニービーが俺を乱暴に引きずり降ろす。
静かな場所だった。風がないため蒸し暑く、ほのかに金属やオイルのような匂いがする。
「ずいぶん大人しいじゃねえか」
「暴れたって意味ないだろ」
すると親父が笑って、「お前はきっと将来大人になる」と言ってきた。
「それを言うなら大物だろ」
大人にならない可能性があるのかよ俺には。
「こうして見ると背伸びたな、翼斗」
「……俺はなんにも見えないけどな。そろそろ視力を戻してくれよ、もう動物は見飽きた」
あるいはカッコいい昆虫の写真にしてくれ。
「悪いがまだ時間がかかる。まあ待ってろよ、お前にはプレゼントがあるんだ。もう少し我慢していてくれ」
プレゼント?
親父が何かを地面に置いたようで、硬く重みのある音がした。
ブゥゥンという機械音。
数秒置いてから、予想通りの声が聞こえてきた。
「兄ちゃん大丈夫!? ——ってあれ、パパ?」
「やあ刹那。久しぶり」
いきなりの再会に戸惑う刹那に、親父が優しい声をかける。
「う、うん久しぶり。あれ? どういうこと? ここは?」
AWBの性能をもってしてもこの状況を把握することはできないようだが、致し方ないだろう。今回の捜査が親父を追っているものだと知らされていないのだから、親父の登場は完全に想定外のはずだ。
「川崎にある工業地帯さ。ここは車のスクラップ工場だけどな。目の前が製鉄所、奥にあるのが製油所だ。凄いだろう」
川崎の工業地帯——!
あの日、親父が帰りに寄ろうと言い、刹那が夜景を楽しみにしていた。結果的に果たされることのなかった約束の場所。
「へえ、すっごい! めちゃくちゃキレイだね、兄ちゃん。あれ、兄ちゃん?」
俺が目を閉じていることに気付いたのだろう、刹那は怪訝そうな声を出す。
「ああ、綺麗だな」
とっさに誤魔化す。子猫が可愛いなと言っても混乱させるだけだろう。
「これを見せに来てくれたの、パパ? あとその人は……」
「彼女のことは気にしなくていい。気に入ってくれたなら嬉しいよ。実はあっちの刹那にこの景色の話をしたら、ぜひ見たいと言っていたのでね。ここが最後にふさわしい場所だと思ったんだ」
尋常じゃなく嫌な予感がした。
それは「最後」という言葉のせいかもしれないし、あるいは親父の声から感じ取ったのかもしれない。俺は論理的に推考を重ねることは苦手だが、こういう直感だけはやたらと当たるのだ。
直感でわかってしまった。
親父が何をしようとしているのかが。
「刹那。俺は今日、お前を終わらせに来たんだよ」
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