037 物語は強制終了する

「一家団欒中に申し訳ねえが、そろそろAWBをネットワークに繋げちまってもいいか?」

 ハニービーの待ちくたびれたような声。

「ああ、やってくれ」

「アイサー。AWBちゃん、派手に頼むぜ」

 始める気か。

 止めようにもどうすればいいかわからない。子犬が悩みの一つもなさそうなつぶらな瞳でこちらを見上げているのがいい加減腹立たしい。

「刹那! こいつらの言うことなんか聞くな! お前がそんなことする必要なんてないんだからな!」

 呼びかけても返事がない。

 何を考えている。まさか迷っているのか。

「おいおい、父親をこいつ呼ばわりかよ。ずいぶん育ちがいいじゃねえか」

「黙れよ。おい刹那、俺は今視界を乗っ取られてて何も見えないんだ、お前を助けられない!」

 答えろ刹那。

「抵抗しろ! ここから逃げろ! 助けを呼ぶんだ!」

 なんとか言えよ!

「いい加減理解しろ翼斗。これが刹那のためなんだ。誰かがやらなければならないんだよ」

 うるせえ。知るかそんなの。

「刹那!!」

「兄ちゃん」

 ようやく刹那の声。大丈夫、まだ届く。

「刹那、早く逃げろ! 赤間さんたちに連絡を取れ!」

 相手は大人二人だが、声の方向で大体の立ち位置はわかる。俺が本気で暴れれば時間稼ぎくらいはできるはずだ。ネットワークに繋がったAWBが助けを呼んでくれれば——

「ごめん兄ちゃん」

 前のめりの思考が急停止した。

 なんで謝る? 

「あたし、やるよ。パパの言う通りに」

 全身から血の気が引いていくのがわかった。

「……なんでだよ」

 声が震える。

「パパの言うこと、正しいもん。一つも間違ってない。私がいることで誰も救われないなら、無理して生き続ける意味なんてないもんね」

 刹那の声はか細かった。

「だから、ごめん。ありがとね」

 その言葉を聞いて、ようやく、刹那が今どんな顔をしているかがわかった。

 本当に泣きたい時、刹那はいつも笑っていた。

 雨の日の向日葵のように、笑顔で泣くのだ。

「接続完了、オールグリーンだ。コントロールを渡すぜ。オッサン」

「ああ。これより作戦を開始する。文字通り、東京中をハチの巣にしてやれ」

 親父が号令を下す。

「よし、後は頼んだぜAWBちゃん……っておいおい、マジかよ。全部同時に動かしてんのか!? ホントにとんでもねえな!」

 ハニービーが嬌声を上げる。

「よっしゃ、今からお前が女王蜂クイーンビーだ。基本自由にやってもらって構わねえが、まずはACTが持ってるAWBの開発資料を盗み出せ。お前なら朝メシ前だろ」

 その時、ようやく俺の足が動いた。考えての行動ではなかった。

 全力で地を蹴った足で、そのままハニービーの方向へ突っ込む。つばめちゃんに襲い掛かったストーカーをぶちのめした、あのタックルを——

「おっと」

 肩が空を切る。

 直後、後頭部を地面に強打した。何をされたのかわからないが、足をすくわれたようだった。

「ぐうぅっ」

 頭が卵みたいに割れたと錯覚するほどの衝撃と痛み。

「いきなり来んじゃねえよ、うっかり殺しちまうぞ」

 躱しざまに俺を投げたのか?

 この反応、身のこなし、普通じゃない。きっと特殊な訓練か相当の場数、あるいはその両方を積んできたのだろう。とても目を塞がれた状態で敵う相手ではない。

 だけど。

 だからって。

「悪あがきはやめろ、翼斗」親父が言う。

「悪あがき……? どっちがだよ。あんたは一度、全部捨てて逃げ出したんじゃねえか。それを今さらのこのこ戻って来て、俺の目を利用して、つばめちゃんを騙して、娘を殺すって? ふざけんじゃねえ。お呼びじゃないんだよ」

「お呼びじゃないのはてめえだ。いいか、これ以上暴れたら殺すぞ」

 胸に重たいブーツの感触。動けない。

「落ち着け翼斗、本当に殺されるぞ。……お前は昔から考えなしに突っ込んでいくところがあるな。和田の時も、まさか毒ガスの中に突っ込んでいくとは思わなかったから肝を冷やしたぞ。あの子も似たようなタイプだし、お前たちは本当に危険なコンビだよ」

 あの子?

 ……つばめちゃん?

「翼斗お前、刹那が死んだのは自分に責任があるとか思ってるんだろう。自分だけ生き残ってしまった、とかな。その自責の念がお前を、自殺にも似た行動に駆り立てているんだ。ストックも無いのに簡単に槍を投げちまう。自意識過剰だよ。刹那を死に追いやった過失割合はフィンチと和田とこの世界が五割、残りの五割は俺だ。勘違いするな」

 見透かしたようなことを。

「確かに、そうだったかもしれない。でも今は違う。あんたが俺をつばめちゃんと引き合わせたんだろ? そのおかげで俺は刹那にもう一度会えた。一緒に生きるって決めたんだ」

「おとぎ話なんだよ。死んだ人間は蘇らない。お前の苦しみは理解しているさ。俺だって同じだからな。だがこの罪は俺だけが背負う。お前はもう振り返るんじゃない。前だけを見て生きろ」

「……だから言ってる意味がわからねえんだよ。つばめちゃんの専門用語だらけのトークの方がまだ理解できる。俺はあんたを止めるぞ親父。殺してでも止めてやる」

 本気だった。

 これ以上刹那を傷つけるなら、死に追いやるというのなら、相手が親父だろうと、刺し違えてでも。

 それを自暴自棄というならそれでいい。

 親父は溜息をついた。

「お前のその姿勢は正しいよ。だが無意味な正しさってのは本人にとっても周囲にとっても害悪でしかない。もうお前にできることはないんだ。どのみち死のうとしてる親をわざわざ殺して前科者になんかなるな、つまらん」

 俺はハニービーの足を掴むと、思い切り横に引っ張った。

「おあ!?」

 バランスを崩したハニービーの足が浮き体重が離れる。そのまま足を引っ張り上げながら身体を起こし、体当たりをする。ハニービーの軽い身体が吹っ飛んでいく気配がした。

 親父の声の方向に突っ込む。

 自分の喉から獣のような雄叫びが轟く。

 今の俺にできるのはこれだけだ。愚直に突進することだけ。

 後ろから女の声が聞こえた。ハニービー。もう遅い、このまま——

 次の瞬間、何が起こったのかはわからない。

 たぶん、予想を遥かに上回る速度で立て直してきたハニービーにやられたのだろう。

 俺の意識は川崎の夜空に霧散した。


***


 世の中には、努力や祈りではどうにもならない理不尽が厳然として存在する。

 これもきっとそういう類のものなんだろう。

 俺は視界をクラッキングされた上、意識を失った。

 完全なる敗北。ゲームオーバー。

 これ以上はもうない。

 次に目覚める時は、すべてが終わった後だろう。

 俺はまた大切なものを守ることができなかった。

 こんなに情けない主人公では、監督も匙を投げるだろう。脚本家や演出家は激怒するだろうし、スポンサーは降板するに違いない。

 お役御免だ。早々に舞台を去るべきだ。

 俺の物語はすでに——いや、初めからそんなものはなかった。この物語は最初からずっと親父のものだったのだから。

 主役だと思っていた自分は道化に過ぎず、俺の視点は俺だけのものじゃなかった。

 俺にはもう何も見えない。何も語り得ない。

 だから——始まってもいない俺の物語は、ここで終わりだ。

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