033 少年は激昂する

 慌てて振り向くと、舞台の陰から見慣れた球体がコロコロと転がってきた。

「やあやあお二人さん、オジャマしちゃったかな? ふひひ」

「刹那! まさかお前、話聞いてたのか?」

 油断した。

 AWBはほとんど移動音がないのだ。もっと注意しておくべきだった。

「話? ああ、なんかノーブラワレメがはみ出る、とか聞こえたけど」

「?」

「?」

 ……………………………?

「どのツラ下げて入れる、ですかね」

「あ、そう言ってたんだ」

 嘘だろ。

「聞き間違えにも限度があるだろ!」

「そのツッコミをする資格は柊さんにはないです」

「あれっ!?」

 何故だ!?

「兄妹そろって母音しか聞こえない呪いにでもかかってるんですか、まったく」

「二人でフリースタイルラップでもやる? 兄ちゃん」

「やるか……」

 ツッコミの資格を失ったことだし。

「やらないでください。むしろ会話してるだけでMCバトルになりかねないのですから」

 話が錯綜してごちゃごちゃしてきた。

 まあ、刹那に聞かれていなかったのならいいか。

「じゃあ、さすがにそろそろ帰ろうか」

 スマホを切っているため正確な時間はわからないが、もうかなり遅いはずだ。

 戻ったらどれだけ叱られるだろう。閻魔大王のような顔をした赤間さんに地獄行きを命じられる様を想像して憂鬱になる。

 未練がましくウロウロする刹那を急かして来た道を戻ろうとした——と、左腕が引っ張られる。

 つばめちゃんが俺の袖を引いていた。

 こ、これは……

 女の子にやってほしい仕草ランキング2位のやつだ!!

 と馬鹿みたいに浮かれかけた俺に、つばめちゃんは思いもよらないひと言を放った。

「柊さん、刹那さんを連れて逃げるですよ」

「……え?」

 ほんの一瞬だけ、それは何かの冗談だと思った。

 しかし一瞬だった。まだ会って数日だが、彼女がそういう冗談を言う性格の持ち主でないことは理解していたから。

「私が本気でバックアップします。無事に逃げ切れるまで、責任をもって」

 つばめちゃんは本気だった。

「急に何を言い出すんだよ。そんなことできるわけないし、そもそも逃げる必要なんてないじゃないか。さっき、一緒にいられる方法を考えようって話したばかりだろ?」

「考えた結果です。ここにいる限りそんな未来は訪れません。私がどうにかして拓海さんを探し出しますから、また三人で一緒に暮らせばいいです」

「つばめちゃん!」

 刹那の前で何を言ってるんだ!?

 刹那は状況が理解できていない様子で、不安げに俺たちの顔を見比べている。

「今ならまだ大っぴらに追われることはないはずです。報道される心配もありません。特捜課の追跡は私がなんとかするです。逃げるなら今しかないです」

「そんな無茶な。逃げるなんて絶対ダメだ、だって……」

 だって、おかしいじゃないか。

 なんで俺たちが逃げなくちゃいけないんだ。

 悪いことなんて一つもしていないのに。これまでだって酷い目にばかり遭ってきたのに。

 俺たちばっかり、なんで普通の幸せを求めたらいけないんだよ。

「……刹那さんを見殺しにするですか?」

 その言葉に、頭の中で何かが弾けた。

「言っていいことと悪いことがあるぜ、つばめちゃん」

 強い言い方になってしまった。刹那とケンカする時のような。

 構わない。

 俺はAWBを抱きかかえて足早に歩き出した。刹那が何か叫んでいるが無視する。

 体中の血が沸騰したようだった。

 ——何がそんなに許せなかったんだ?

 そんなの決まってる。

 俺は一度、刹那を見殺しにしている。直前まで手を握っていたのに、自分だけが生き残った。

 だからこそ最初はAWBの刹那を認めることができなかったけれど、ようやく決心がついたんだ。二度と手を離さないと。

 なのに、また見殺しにするだって? なんでそうなるんだよ。

 ——本当にそれだけか?

 なんだよ。何が言いたい。

 ——じゃあお前はどうするつもりなんだよ。刹那の抱える問題は何ひとつ解決してないってのに、お前がちょっとその気になったくらいで上手くいくとでも?

 彼女たちの優しい言葉を鵜呑みにして、おめでたすぎるんじゃないのか?

 聞こえの良い言葉で誤魔化そうとしているだけなんじゃないか。ご都合主義の展開を夢見て、具体性のない希望に身を委ねたいだけなんじゃないのか。そんなお前の独善が彼女に見抜かれたようで、恥ずかしくなったんじゃないのか。

 そんな自分の馬鹿さ加減が許せなくなったんじゃないのか。

 ……あーあ。

 グチグチグチグチと、本当に面倒くさいやつだな俺は。

 いやいや、今のは普通につばめちゃんの言い分がおかしいだろう。いきなり「逃げろ」なんて、あまりに非現実的すぎる。

 気付けば公園の敷地を抜け、広い通りに出ていた。

 ACTのオフィスに戻りたいが、適当に歩いてきたので現在位置がわからない。面倒だけどスマホで確認するか……

「兄ちゃん!」

 刹那の切迫した叫び声。

 と同時に——


 世界から、一切の光が消えた。

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