032 探偵は来歴を語る
「あのさ、親父のことなんだけど」
「はひ」ちゅーちゅー。
つばめちゃんはアイスを絞りつくすように吸っている。
「あと五分だけ」とせがんでまたどこかへ行ってしまった刹那の帰りを、俺とつばめちゃんは二人で待っているのだった。
「結局、このまま会うこともなく終わるような気がしてるんだよね」
つばめちゃんは黙っている。
「俺を君に会わせたのは、俺を刹那に引き合わせるためだったんじゃないかな。つばめちゃんならきっと俺の正体に気付いて、刹那のところへ連れて行ってくれるって、親父はそう考えたんじゃないかな」
「……はい。きっとそうです」
つばめちゃんは空の容器をプラプラと指先で弄ぶ。
「拓海さんと刹那さんは、私にとって大切な友人であり、恩人なのです」
「恩人?」
「ええ。実は私、昔はブラックハッカーだったのですよ」
思わず息を呑む。
「知り合いも住む家もなかった頃です。マルウェアを自作してはブラックマーケットに売る。企業から顧客リストを盗んでは売る。そうしたことを当たり前のようにやっていたのです。生きるために、当たり前のこととして、悪事に手を染めている自覚すらなく」
彼女は静かに過去を語る。それは衝撃的な告白だった。
「そんなある日、あのニュースを目にしました。AWBの開発と実証実験の成功。人類史におけるエポックメイキングな発明だと、センセーショナルに騒ぎ立てられていた。私は不思議とそのニュースに興味を引かれて、なんとか情報を手に入れようと理化学研究センターのシステムにハッキングをしたのです」
理化学研究センター。親父が所属してた組織だ。
「知りたい情報は侵入して盗み見ればいいと、あの頃の私は本気でそう考えていたですよ。でも失敗しました。見つかったのです。下村拓海さんと、AWBの刹那さんに。センターのネットワークに繋がっていた刹那さんは、すぐに私の侵入に気付いて逆に私のマシンの制御を奪ったのです。瞬殺でした」
「つばめちゃんが瞬殺って……あいつ、凄いんだな」
「なんといってもAWBですからね。けどその時の私にとってはショックだったですよ」
つばめちゃんは懐かしそうに笑う。
「本来であればあの時、私は逮捕されていてもおかしくなかった。けれど拓海さんは私を助けてくれた。それだけの腕があるなら人のために使うべきだと、拓海さんは言ってくれたです。自分と友達になってくれないかと、刹那さんは言ってくれたです」
そうだったのか。
それが、つばめちゃんと、親父と刹那との出会い。
「柊さんに私たちの関係について訊かれた時、刹那さんがはぐらかしたのは、きっと私のことを庇ってくれたです」
「じゃあ、つばめちゃんと知り合ったのはAWBの刹那の方だったのか」
つばめちゃんが頷く。
道理で、刹那からそんな友達がいるという話は聞いたことがなかった。あいつならその日のうちに自慢してきそうなものだ。
「それから、刹那さんや拓海さんとメッセージのやり取りを始めたです。私の存在は秘密だったようですが、拓海さんはAWBにとってもいい刺激になると受け入れてくれました。色んなことをお二人から教わったです。社会道徳、一般常識、日本の文化。おかげで日本語も上達したですよ」
「えっ。つばめちゃんって、日本人じゃ……?」
「どうでしょう。日本語を知らなかったということは、日本人の可能性は低いでしょうね」
他人事のように言う。
喋り方がカタコトの外国人みたいだとは思っていたが、まさにその通りだったというわけか。それに確かに、たまに使う慣用句の趣味が親父と似ている。
日本語を喋れずして日本で一人きり、住む場所もなく、幼くしてブラックハッカーに身をやつす。どんな境遇を歩んできたらそうなるのだろう。
しかし俺はそれを彼女に訊けないのだった。
「しばらくそんな日々が続いて……あの日がやってきました。AWBの実運用開始、その発表の日です」
俺にとってすべてが終わったあの日。
「拓海さん一家の車が事故にあったと聞いて、慌てて病院を突き止めました。残念ながら刹那さん……オリジナルの刹那さんは亡くなられ、拓海さんは重傷を負っていた。そしてもう一人、息子さんは頭部に深い傷を受けて意識不明の重体に」
つばめちゃんは横目で俺を見た。
「フィンチが事故を装って車を海に突き落としたこと、和田誠二がフィンチに情報を売ったことを知った拓海さんは、その二人が不起訴処分となった直後にAWBを暴走させ、世界中の情報機関を攻撃させて逃亡した。まさかあそこまでの力がAWBにあるとは、私も予想外だったです」
「つばめちゃんは親父を追ったんだよね。赤間さんや特捜課の皆も」
「あの人たちは独自のやり方で追跡していたようですが、私が早かった。拓海さんが姿を消す前に、彼の心臓に取り付けられたペースメーカーの情報を得ていたからです。拓海さんのペースメーカーに通信機能がついていたのでそれを辿ったのです」
なるほど。俺の人工視覚を「ペースメーカーか」と訊いてきたのは、そのことも影響しているのかもしれない。
「親父は昔から不整脈持ちで、ペースメーカーを入れてたんだ。病院のシステムに侵入した時に君はそれに気付いたのか」
「医療情報は個人情報の最高機密ですが、そうも言ってられませんでした。私が見つけた時、拓海さんは空港の国際線ロビーにいた。AWBを使って乗客リストを改ざんしていたようです」
「でも結局、親父はそのまま行方をくらました。それに君は親父のことを『逃がした』と言っていたけど」
「私が赤間さんたちより先んじたのはほんの数分でした。同じ追う側の私には、彼らがすぐに来るとわかっていた。私は元より拓海さんを捕まえようとは思っていなかったのです。ただ助けたいという気持ちだけでした……」
そこで少し言葉に詰まり、ためらいがちに続けた。
「私が見つけた時、拓海さんは完全に別人でした。私がそれまでに見てきたどんな人間よりも暗い目をしていた。私に生き方を教えてくれた拓海さんはもう、どこにも……だから私は、拓海さんを」
逃がした。止めることができなかった。
「別れ際、拓海さんは私にあるデータを渡してきました。ロールバックプログラム……AWBを事故前の状態に戻すためのプログラムです。あの時AWBを止めるには確かにそれしかなかった。拓海さんは私に、AWBを託していったのです」
「その作業は君が?」
彼女は頷いた。
恩人が絶望のまま去り行くのを見送り、友人の記憶を自らの手で消去したのだ。
なんと惨い。
「その後、特捜課が発足した時、私は赤間さんに誘われたですが、断りました。サイバー犯罪者をみすみす逃がしたブラックハッカー出身者がどのツラ下げて入れるのかという話です。まあ、共通の敵を追う時にはこうして捜査協力という形で一緒に仕事をすることはあるですけどね」
共通の敵?
その時、背後で何かが動く気配がした。
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