030 少年は逃亡する

「逃げよう兄ちゃん!」

 見つかってしまった以上は大人しく捕まった方がまだマシなんじゃないかとも一瞬思ったが、俺はAWBを抱いて走り出した。

 まだ大事なことが話せていない。

「ちょっと、あたし自分で走れるよ! 重いでしょ!?」

「お前の足じゃ追いつかれる。これくらい冷蔵庫に比べりゃなんでもないって」

「なんで冷蔵庫?」

 なんてのは強がりで、鉄の塊であるAWBは十キロ近くはあった。抱えて走るのはさすがにしんどい。

 しかし夜の公園は暗い上にそれなりに敷地が広いため、逃げる方が有利のはずだ。

「待てぇー……」

 後方から飛んでくる満太の声がみるみる遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。

 わかりやすく声なんか出さなきゃいいのに。

 陰になりそうな建物を探していると、劇場のような場所に着いた。舞台から放射状に観客席が広がっていて、なかなかに壮観な眺めだ。

 膝の上にAWBを抱えたまま腰を下ろす。

「兄ちゃん、上向かないでよ」

「上? なんでだよ」

 と上を向こうとすると、AWBの映像がぎゃー!と暴れた。

「向かないでってば! そっからだと見えちゃうんだってば!」

 ああ、なるほど。

 AWBの映像とはいえ、刹那は制服姿だ。どこまで再現されてるのかは知らないが、この角度で俺が見上げたらスカートの中が見えてしまう、と。

「バカ、妹のスカートの中なんて興味ねえよ。頼まれたって見ないさ」

 まったく俺も舐められたもんだ。

「ところでお前さ」

「だから向くなっつの!」

 AWBが俺を蹴るが、もちろん素通りする。

 あれ、もしかして今の俺って、こいつに対して無敵なんじゃなかろうか?

 と奸計をめぐらせようとしたところ、腹を駆け上った球が俺の顎を打ち砕いた。

「いってえ! わざとじゃないって!」

 そして無駄に高出力だな!

「関係ないってば! まったくもう。馬鹿だな兄ちゃんは」

 俺の膝から転がり降りると、隣で体育座りのポーズを取った。球の分だけ浮いてはいるが。

「それにしてもいい場所だね、ここ。ビルの灯りもキレイ」

 AWBの言う通り、公園の暗闇の中に広がる大きな劇場、そして奥にそびえ立つビル群のコントラストは、なかなか雰囲気のある景色だった。

 二年前。もしあの時事故が起こらなければ、三人で工場の夜景を見に行っていたのだろうか。

 ぼうっとそんなことを考えていると、AWBが訊いてきた。

「ねえ兄ちゃん。そっちのあたしたちに、何かあったの?」

「……どういう意味だ? 何かってなんだよ」

 動揺を悟られないように答えるが、成功したとは言い難かった。

「兄ちゃん、何か隠してるよね。ずっと変だったもん。それに最初会った時、あたしを見て叫んだじゃない。いくらAWBのあたしと初めて会うからって、あの反応はおかしいって思ったんだ」

 ——あの時か。

 抗い難い拒絶反応に我を失ったあの時。

 それから特に気にしてない様子だったので大丈夫だろうと有耶無耶にしてしまっていたが、気にしていないはずがなかったのだ。

 俺は本当に馬鹿だ。

「今質問した時だって変な間があったし。パパとあたしが相変わらずって、ホントなの? 兄ちゃんが会いに来たのは、何かあったからなんじゃないの? 隠さないで教えて。あたしだって家族なんだよ」

 俺はずっと考えていた。

 妹の刹那は死んだ。もういない。

 AWBは刹那と同じ人格であっても、刹那とは違う。

 妹ではない。と。

 しかしこのAWBにとって、俺は掛け値なしに、紛れもなしに兄なのだ。

「そっちのあたしは、パパは、どうしてるの?」

 早すぎる死。

 刹那に限ってそれは、突然降って掛かった災難というわけではなかった。その未来を迎える準備が、刹那にも、俺たち家族にもできていた。

 しかし現実は、その想像をはるかに超えて残酷だったのだ。

 ……永遠に生き続ける機械の身体を手に入れてしまった者にとっての幸せとは、苦しみとは何なのか。

 真実を知らないまま生きていけるなら、その方が幸せなのかもしれない。しかし永遠に知らないままでいることは不可能だ。

 劇場を照らす照明の一つが、切れかけて点滅している。

 気付くと口を開いていた。

「実は……本当はさ、お前は……」

「元気ですよ。拓海さんも刹那さんも」

 聞き慣れた声。

 振り返ると、舞台の反対側につばめちゃんが立っていた。

「あ、つばめちゃん! やっほー」

 AWBが手を振る。

「あ、つばめちゃん、やっほー、じゃないです。大騒ぎになってるですよ、まったく」

 言いながら近づいてきて、AWBの隣に腰をかけた。

「つばめちゃん、いつからそこに?」

「あなたが妹さんに対して変態行為に及んでいたあたりからです」

 ウワオ!

「誤解だ、あれは男の本能というか、ホラー映画と一緒で見たくないのについ見ちゃうというか」

「サイテー」「サイテーですね」

 今のは俺が悪い。

 それにこの二人に組まれたらどうあがいてもムダだ。

「でも、どうやってここが?」

 満太は確かに撒いたはずだし、体力のないつばめちゃんが走り回ってここに辿り着いたとは思えない。

「どうやっても何も、ここに来てもらったのですよ。恐らく暗がりを選んで行くだろうと思い、あなた方がここに向かうよう公園の照明を操作して導いたのです。私は歩くのが苦手なもので」

 またとんでもないことを言い出した。

「いやいや、さすがにそんなことは」

「できますよ。逃げている人の思考は読みやすいですし、公園は設置されてるカメラの数も多いですから、そう難しいことじゃないです」

「あっはっは」

「何がおかしいです?」

 もう笑うしかない。

 こっちは死ぬほど緊張して抜け出してきたのに、ずっと見られていたとは。

「つばめちゃん、私たちがこっそり出て行くとこ見てたもんねー」

 AWBが信じられないことを言い出した。

「は!? じゃあ、最初から気付いてたってこと?」

「はい。ゾーンに入ってる倉井さんのポケットからカードキーをくすねるところも、バッチリ見てたですよ」

 なんてこった。

「入室時は厳重なセキュリティを突破する必要があるですが、出る時にはカードキーさえあればいい。なかなか目の付け所がいいですよ。でもこれが外部にバレたら、赤間さんも倉井さんも注意だけじゃ済まないかもですね」

 怖ろしいことを言いながらクククと不敵に笑う。……帰ったら赤間さんに殺されるかもしれないな。

 しかし解せない。

 出る時に見られていたなら、その時点で捕まっていたと思うのだが。

「心配無用ですよ、柊さん。私はお二人を捕まえに来たわけじゃなく、お話に混ぜてもらいにきただけですから」

「え? ああ、そういうことか」

 胸を撫でおろしつつ納得する。確かにその方がつばめちゃんらしい。

「つばめちゃん。二人が元気ってホント?」

 AWBがつばめちゃんに訊くと、つばめちゃんは微笑んだ。

「ええ、元気いっぱいですよ」

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