028 少年は珈琲を淹れ直す

 なんとかもう一度ちゃんと五杯分のドリップをさせてもらい、そのうちの二つを持って籠目さんの隣のベンチに座る。

「しかし大変だよねえ、君も」

 カップを受けとりながら籠目さんが言う。

「正直感心してるんだよ。これだけ一度に多くのことが起こったら、高校生くらいなら目を背けるか逃げ出すのが相場ってものだ。君は一度拒絶しかけたものの、すんなり現実を受け止めているように見える。君の心中を察することは私にはできないけれど、生半可なことではないだろうと想像はつく」

 籠目さんらしい、直接的で優しい言葉だった。素直に嬉しくはあるが、俺には過ぎた評価だ。

「そんなことないです。親父のことは、自分でも意外なくらいにショックとか受けてなくて」

 ふうん?と籠目さんは相槌を打つ。

「むしろ嬉しく思ったんじゃないのかい? ずっと行方知れずだった父親が生きていて、しかも君にとっても憎き仇である連中を懲らしめようとしていると知って」

「それは……」

 ない、こともない。かもしれない。

 現に、フィンチに手を下したのが親父だと聞いた時、俺はどこか胸のすく思いがしたのだ。快哉を叫ぶとまではいかないが、やるじゃん親父、くらいには思った。

 籠目さんにどう返していいかわからなかったので、逆に質問することにした。ちょうど誰かに訊きたかったことでもある。

「あの、AWBのことなんですけど」

「うん?」

「あいつ、普段はここでどうしてるんです? こんな風に一緒に捜査したりするんですか?」

 さっきのあいつはやけに楽しそうだった。

 まるで、誰かと何かをすること自体が久しぶりだとでもいうような。

「いや、こんなのは初めてだよ。今回は特別だ。本来、あの奥の部屋から出すこと自体が禁止されているからね。私たちが数日に一度くらいの頻度で彼女を起動して、その時に少し会話をする。それくらいだ」

 ということは、普段はいわゆるシャットダウンの状態ということか。

 俺の懸念を感じ取ったのか、籠目さんは続けた。

「私もいつも疑問に思うよ。起動していない間、あの子の意識はどういう状態なのか。人間でいう睡眠と同じなのか。時間の感覚はあるのか。美味しい物を食べたいとかどこかに行きたいとか、そういう人間なら当たり前の欲求はあるのか。自分の存在をどう捉えているのか。自分の未来については。……知りたいとは思うけれど、私たちはそういう話をすることも禁じられている。あの子は至尊の国宝にしてパンドラの箱でもあるのさ。私に言わせれば、臆病者たちが問題を棚上げにしているだけなんだけれどね。彼女は危険な存在じゃない。でも世界はそうは見ていない。彼女に自由を許さない」

 同じだ。

 俺が戦慄とともに抱いた疑問を、籠目さんも感じていた。彼女だけではなく、きっと特捜課の他のメンバーも。AWBという存在と一番近い距離で接してきたのは他ならぬ彼らなのだ。

 しかしたとえAWBがそれらの疑問にどんな答えを返そうと、彼らは何をしてやることもできない。

「でもね、今のあの子は本当に楽しそうだ。いつも素直で勤勉ないい子なんだが、優等生すぎて心配もしていたんだよ。けれど今日、初めてあの子が歳相応にはしゃいでいる姿を見ることができた。彼女は自分から何かを主張することはほとんどない。しかしこれだけは何度も言っていたよ。『家族に会いたい』って」

 家族に……俺と親父に。

「君は機械と人間の違いって何だと思う?」

 それは唐突な質問だったが、しかし覚えがあった。

 そう、赤間さんが似たような話をしていたのだ。いわく、AWBは人間ではないが、機械とも言えないと。

「リーダーはそんな議論に意味は無いと言うけれど、私はこう思うんだよ。他人のために嘘をつくのが人間だって。機械だってプログラム通りに嘘をつくことはあるけど、それは嘘じゃない。矛盾しているようだけれどね。私の言ってることがわかるかい?」

「ええ。なんとなく」

「あの子はずっと皆のために嘘をついてきたのさ。でも今、ようやく正直になれている。君とつばめちゃんのおかげだ」

 籠目さんはそう言って二杯目のコーヒーに口をつける。

「おや、美味しいねこれ」

「それはよかった。次からはぜひ、ゆっくり注いでじっくり待ってみてください」

「努力しよう」

 籠目さんは笑う。

 彼女が俺を気遣って話しに来てくれたのかはわからないが、久しぶりに人心地がついた気分だった。

「籠目さん、もう一つだけいいですか。つばめちゃんのことなんですけど」

「お? なんだい」

「赤間さんとつばめちゃんってどういう関係なんですか? 険悪な割には息が合ってる気がするんですけど」

 そう訊くと、籠目さんは拍子抜けしたような顔をした。

「ああ、それは……まあ君になら言ってもいいか。あの二人、実は義理の親子なんだよ」

「どうせそれも嘘でしょ」

 同じ手は食わない。

「お、学んだね。正解、本当は元恋人同士だ」

「何ぃ!?」

「これも嘘だ」

 ちくしょう、巧妙な手を!

「あの二人は、というより私たちは二年前、一緒に下村拓海を追っていたんだよ。その頃はまだ特捜課は無くて、リーダーは公安警察として、私たちメンバーはただの在野のハッカーとして、独自に下村拓海の行方を追っていたんだ。何しろあれだけの事件だ、どうにも血が騒いでしまってね」

「全員他人だったってことですか。それがどうして一緒に?」

「最初のうちはそれぞれのやり方で追跡していたんだけれど、ある時リーダーから声がかかってね。協力した方が効率が良いと。それで特別チームを組んだんだ。驚いたね、まさか公安からお誘いを受けるなんてさ。それが今の特捜課の始まりだ。そしてその時、下村拓海を追うハッカーの一員に、つばめちゃんもいた」

「……でも彼女は、きっと違う理由で参加していた。親父とつばめちゃんは知り合いだった。だから彼女が親父を見つけられた。そうでしょう?」

「さてね、それは私の口からはなんとも。君が彼女から直接聞くがいいさ」

 籠目さんはコーヒーを飲み干すと、立ち上がって給湯室へと戻っていく。蛇口をひねり、ケトルに水を入れる。

 まさか、三杯目か。

「あの子はリーダーの誘いを断ったんだよ。そして探偵事務所なんてことを始めた。あの二人が憎まれ口を叩き合うのはそれからさ。君の言う通り、あの子は桁違いに一流のハッカーだ。得手不得手はあるにせよ、単純な技術力とスピードなら並ぶ者はいないだろうね」

「そこまでですか。籠目さんにそこまで言わせるほど」

「異常といっていい。あの子が“潜っている”ところを見たことあるかい?」

 探偵事務所でパソコンに向かって集中している彼女の横顔を思い出す。あれは確かに、“潜る”という表現がぴったりだった。

「ハクスタジア」

 パピコは確かそう言っていた。

 つばめちゃんの中に築かれる独自のサイバー空間。潜っている最中の彼女の姿は、俺に忘れられないほどの強い印象を与えた。

「彼女自身がそう呼んでいるらしいね。彼女はいわゆるギフテッドなんだ。技術は訓練によってのみ磨かれるものだが、あのセンスは明らかに先天的なものだ。まったく興味深い、謎の多い子だよ」

 籠目さんの物言いは、つばめちゃんを親愛の対象だけでなく、ハッカーの好奇心、あるいはACT特捜課捜査員の監視対象として捉えているようにも聞こえた。

「最後にこちらから質問だ。といってもこれを訊くのは二度目だけれどね。柊翼斗くん、君はつばめちゃんのことをどう思っているんだい?」

「これを言うのも二度目ですけど、つばめちゃんは恩人です。尊敬もしています。ハッキングの腕だけじゃなくて、彼女の芯の強さに」

 きっと籠目さんの期待に応えられる答えではないだろうと思いながら言ったのだが、籠目さんはただ頷くだけだった。

 沸騰を知らせるケトルの音。ドリップパックに豪快に湯を注ぐと、籠目さんは言った。

「そろそろ戻ろうか。せっかく淹れ直した皆のコーヒーが冷めてしまう前に」

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