027 少年は珈琲を淹れる
赤間さんが地下のオフィスにようやく顔を出したのは、夜の七時を過ぎた頃だった。
「柊翼斗、勝手な真似をするなと言ったはずだ。一歩間違えればお前も命を落としていたんだぞ」
俺の顔を見るなり忌々しそうにそう言ってきた。
「すみません、ご心配おかけして」
「お前の心配などしていない。未成年を勝手に捜査に参加させた挙句に死なせたとなれば俺のクビが飛ぶ。命を顧みないのは勝手だが、俺の立場は顧みろ」
それから改めてブリーフィングを行い、今後の捜査方針とそれぞれの役割分担を決めて各自作業に入ることになった。
「全員、しばらく帰れんと思え。言いたいことはわかるが一番帰りたいのは俺だ。とっとと始末をつけるぞ」
赤間さんが彼らしい檄を飛ばすと、倉井さんが珍しく憂鬱げに溜息をついた。
「どうした倉井、珍しくホームシックか」
「いえ、人との約束があったもので。わかってます、いま断りを入れますよ」
と、諦めたようにスマホを取り出す。
「おや、また新しい女の子とデートかい? まったく精力的なことだが、あんまりとっかえひっかえやり過ぎるとそのうちしっぺ返しを食らうよ」
「いやいやそんな、ただのお友達ですよ。女の子とは友達くらいの距離感が一番楽しいですから。ね、二人とも」
籠目さんのちょっかいを受け流すつもりで俺たちに振ったのだろうが、彼はモテたことのない男たちの卑屈さを甘く見ていた。
俺と満太は目が合わせて頷く。
「そうですか? 僕は二人っきりでディナーに行くような女の子の友達なんていないからわからないですけどねえ」
「俺は女の子は恋愛対象にしか見れないし一途だから、ちょっとよくわからないなー。それに倉井っちさ、一晩限りの関係を友達とは呼ばないよ」
……切なくなってきた。
なんで満太とタッグを組んでイケメンに嫌味ったらしく絡んでるんだろう。
しかし意外なことに、赤間さんもこちら側に立って参戦してきた。
「そうだな、お前の女関係は警戒に値するものがある。相手の女に身元を知られたり仕事についてペラペラ喋ったりしていないだろうな。ハニートラップなんぞに引っ掛かったら許さんぞ」
総攻撃を食らう形になった倉井さんは肩をすくめてみせた。
「大丈夫ですよ、僕もプロだ。相手の素性は調べてあります。普通の学生さんですよ。たまたまバーで隣に座ってたってだけの」
「やっぱ友達じゃないじゃん」
「ふん。まあ仕事に支障をきたさなければそれでいい。お前らのプライベートなど知れば知るほど胃が痛くなりそうだからな」
そこでふと満太と目が合った。満太は自分を指さし、俺を指さし、親指を下に向けた。“負けないぞ”ってか。
……恋のライバルみたいな感じ出してくるのやめろ。
ようやく解散し、皆が各自の作業に入ると、俺のやることは完全になくなった。
たまに事務的な会話をする以外は、あれだけ喧しかったメンバーがひと言も発さず、ひたすらパソコンと向き合っている。しかしさすがに、休みなく動き続けているメンバーの表情にはそれぞれ疲労の色が浮かんでいるように見えた。
ただ一人を除いては。
「ふんふんふふんふー、ヘイヘイ。楽しいなったら楽しいなー」
AWBが奥の部屋からオフィスに出され、文字通りの意味で疲れを知らずにはしゃいでいた。なんだその鼻歌。
「お前、自分の仕事に集中しろよ」
「何言ってんの兄ちゃん、とっくの昔に終わったってば」
マジかよ。
「でもまだ材料が足りなくて有効な結果が得られてないから、皆からの追加情報待ちなんだけどね」
そう言って両手を頭の後ろに組む……もちろん映像だが。
遅ればせながらの参戦となったAWBには、今回の攻撃内容と過去の事例、そしてLurkersの声明文の内容などを元に、今後敵がどう動くかのシミュレーションをさせることになったらしい。コンピュータであるAWBの面目躍如といったところで、一瞬で信頼性の高い結果が得られるのだとか。
ただしそのために必要な情報はメンバーの作業に依存するため、結果として多くの時間が待ち状態となってしまっているのだが……その割にはやけに楽しそうだ。
「そう言う兄ちゃんこそ皆の邪魔しないでよね。あたしに会いに来てくれたのは嬉しいけど、今はちょっとそれどころじゃないからさー」
「……ちょっとコーヒー淹れてくる」
妹の人格に邪魔もの扱いされて反論もできない哀れな俺は、その場から逃げ出して廊下の薄暗い給湯室へ向かった。
ケトルでお湯を沸かしながら、深い溜息をつく。
一度に色んなことが起こり過ぎている。
親父のこと、AWBのこと、殺人未遂事件のこと。理解はできてもまだ消化はできていない。
この状況は誰の意思によるものだ?
確かに俺は当事者だけれども、突然即興劇の舞台に上げられた役者のような、誰かに踊らされているような感覚しかない。
そもそも親父の復讐が終わったのだとすれば、俺に接触してくることなんてもうないんじゃないか? 切り札としての役割がもう終わっているのだとしたら、ここにいる意味はない。それに親父が俺とつばめちゃんを会わせたのは、きっと——
「手伝うよ」
背後から声がして思考が中断する。
見ると、籠目さんが伸びをしながら立っていた。
「うーん。やっぱずっと座ってると身体がなまるよねえ」
籠目さんはそう言うと沸いたばかりのケトルを持ち上げ、カップにセットしていたドリップバッグにドボドボと勢いよく注いだ。
「あっちょっと!」
お湯と挽き豆が溢れ、コーヒーカップに吸い込まれていく。
「気にしない気にしない。ちょろちょろ注いでポタポタ垂れるのをボケっと待つなんて時間の無駄だと思わないかい?」
「コーヒーが無駄になりましたけど」
きっちり七杯分のドリップバッグを台無しにした籠目さんはそのうちの一杯を手に取り、ごくごくと一息に飲み干すと、
「はあー、やっぱりコーヒーはドリップに限るね」
と満足顔でのたまった。
今後のために覚えておこう。籠目さんは馬鹿舌だ。
残りの六杯をどう処分するか悩んでいると、籠目さんが流し目でこう訊いてきた。
「なんで七つも用意したんだい?」
「え?」
……………………あ。
「ちょっとお話しようか、柊翼斗クン」
籠目さんはにっこりと微笑んだ。
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