026 少年は貢献する

 けたたましいサイレン音とともに救急車が和田を搬送していった後も、慌ただしく走り回る警官と集まってきた野次馬で現場はかなりの騒ぎになっていた。

 その中心で指揮を執っている満太の姿を、俺はバンの中から見つめていた。

「とんでもない身体能力ですね、柊さん。おかげで間一髪でした」

 助手席のつばめちゃんが、バックミラー越しに俺を見て言う。

「まあ、それだけが取り柄だから」

 と謙遜しつつ、我ながらよく救出できたものだと思う。身体能力云々ではなく、とっさに身体が動いたことに対してだ。

 だって俺は別に、和田を助けたいなんて思っちゃいなかったんだから。

「つばめちゃんこそ、よくあの短時間で車を動かしてくれたよ。あれがなきゃさすがに届かなかった」

「なんのこれしき河童の屁です。和田の車の乗っ取りは事前にシミュレーションしていたですから」

 本当に抜け目のない子だ。

「柊さんの言った通りになったですね。電子ロックの制御を奪って、開けるのではなく中に閉じ込めることに利用するとは」

「ああ、うん。でもこんなに手際良く出来るものだとは思ってなかったけど」

「普通は出来ないです。やはり只者じゃないですよ。籠目さんたちに調べてもらってるですが、ドローン宅配システムも侵入されてるはずです。データベースを改ざんして、本当の荷物と犯人が用意した毒ガス入りの荷物をすり替えた。並みのクラッカーにはそんなことできません」

 Lurkers……親父とつるんでいる連中。

 確かにその技術力は脅威だ。しかしそれ以上に、人間の命を指先一つで奪ってしまえる現実と、それを実行してしまう奴らがいるという事実の方が怖ろしい。

 どこかで見ているのだろうか。

 俺が和田を助けたことを、もう親父は知っているんだろうか。

 その後、現場に到着した赤間さんに現場の指揮を引き継いでから、三人で警視庁の地下へと引き返した。

 帰りの車中、口を開く者はいなかった。


***


「思った通り、宅配会社のデータベースに改ざんの痕跡が見つかったよ。周到に計画された犯行と見て間違いなさそうだ。我々が和田の周辺に網を張ることも見抜かれていたのだろうね」

 おめおめと戻ってきた俺たちに、籠目さんが状況を説明してくれた。

「ちくしょう、まさかそんな手で来るなんて」

 満太は悔しそうだ。無理もない。

 目と鼻の先にいる要警護者をみすみす襲われ、病院送りにされたのだ。それもサイバー攻撃で。自尊心が強そうな満太からしてみれば、自分の土俵で猫だましを食らって負けたようなものだろう。

「慰めるわけじゃないけれど、予想できなかったのは無理もない。宅配物のすり替えにスマートロッククラッキングの合わせ技、こんなに手の込んだやり方をわざわざ取るのは劇場型の愉快犯くらいのものだからね。とはいえ、まんまとしてやられたのは事実だ、挽回していこう」

 現場に出ている赤間さんの代わりに指揮を執ることになった籠目さんは、泰然自若として話を進める。

「いま、和田の状況について連絡が入りました。重度の中毒症状が出ているものの、一命は取り留めたそうです」

 倉井さんがそう報告すると、籠目さんが俺を見て白い歯を見せた。

「誰かさんが無茶をしてくれたおかげだね。きっと赤間さんには叱られるだろうから、先に私の方から褒めておこう。それで、凶器の方は?」

「まだ鑑識の結果が出ていませんが、症状から見てシアン中毒、つまり青酸ガスのようなものだろうと。確実に死ぬほどの濃度ではないが、放置されていたら死んでもおかしくはなかったと」

 全員の顔色が変わった。その理由は俺にもわかった。

 酷似しているのだ。フィンチの時と。まるで丁半博打のように人の命を弄ぶ、その精神性が。

「やはり同一犯と見てよさそうだね。まずは現時点までにわかっている情報を整理していこうか。和田のスマホの方はどうだい、満太?」

 振られた満太は、いつものように呼び方を訂正させることもなく、素直に答えた。

「マルウェアを感染させて遠隔操作したのは確かだけど、どうやったのかがわからない。ウェブページとかファイル経由でエクスプロイトを送り込んだわけではなさそうだし」

 つばめちゃんが説明を引き継ぐ。

「あの時、いきなり攻撃が始まったです。和田は何も操作していなかったし、怪しいプロセスが動いていることも無かった。私たちでも見つけられないようなバックドアが仕込まれていたのか……」

 二人が言っている細かい内容はわからないが、スマホを乗っ取った方法が不明だということだろう。

 何の前触れもなく、スマホがいきなりクラッキングされる。そんなことが起こり得るのだろうか。

 その時、パソコンを触っていた倉井さんが「あっ」と声を上げた。

「Lurkersから声明が出ました!」

「読んでくれ」

 全員が倉井さんに注目する。

「『諸君、彼の復讐劇はお楽しみいただけただろうか。だがショーはまだ終わらない。次の舞台ではいよいよ“彼女”が主役を演じる。近日公開、お楽しみに』……以上です」

 倉井さんが言い終えてから、しばらく部屋は静寂に包まれていた。

「なんだよそれ。どういう意味?」

 口を開いたのは満太だった。

「下村拓海の復讐はこれで終わりということか。しかし次の犯行予告でもあるようだ。ずいぶんと含みのある言い回しだね。あるいは捜査攪乱の意図もあるかもしれないし、これだけでは何もわからないが、どちらにしてもベッドでゆっくり眠れるのはしばらく先のようだよ」

 やれやれ、といった様子で籠目さんが言うと、満太はうへえと嘆いた。

「ネットでは早くも拡散されているようですね。すぐにメディアも取り上げるでしょう。とすると……」

「リーダーがまた突き上げを食らう、と。やれやれ、また部屋が辛気臭くなるな」

 彼らの会話を横で聞きながら、俺は戦慄していた。

 何故かはわからない。具体的な想像をしたわけでもない。

 しかし脳のどこか一部が、とんでもなく不吉なことが起こると警鐘を鳴らしていた。

 ——『彼女』という言葉。

 つばめちゃんを見ると、俺と同じ表情をしていた。

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