025 少年は咄嗟に動く

 47歳独身。理化学研究センターの数理脳科学研究チーム所属。高級住宅街に居を構え、所有する車二台ともが高級輸入車。交友範囲は狭く、休日はドライブか自宅でスポーツ観戦をして過ごすことが多い。酒や外食、女遊びやギャンブルもしない。以上。

 それが俺たち一家の情報を他国へ売った、和田誠二という男のプロフィールだ。

「研究者って儲かるんですかねー」

「いや、もともとお坊ちゃんなんでしょ」

 独り言のような俺の疑問に、さして興味なさそうに満太がレスポンスする。

 和田の自宅から少し離れた位置にバンを停め、俺と満太、つばめちゃんの三人で張り込みを開始してから二時間が経過していた。

 いつどこで狙われるかもわからず、長期戦になる可能性もあるのだから、まだ始まったばかりとも言えるのだけど、あまりに手持ち無沙汰すぎて早くも時間を持て余しているのだった。

 張り込みというものを甘く見ていた。

「ったく、なんで君まで付いてくるかな。せっかくつばめちゃんと二人だったのに」

 何度目かの文句を言ってくる満太。こいつはこいつで、デートでもしているつもりなのか。

「あん? てめ、つばめに指一本でも触れてみろや、ぶちくらわすぞコラ」

「や、やってみろよトカゲのくせに。お前なんて怖くないからな」

「誰がトカゲだコラ、ケンカ売ってんのかコラ、お? コラてめコラ」

 めでたく主人と再会を果たしたパピコと満太は、先ほどからずっとこの調子でやり合っている。パピコはまた一段と好戦的なキャラに変わっていて、そして恐らく満太はその反応を見るに爬虫類が苦手のようだ。

「うるさいですねえ。捜査に集中するですよ」

 パソコンの画面を睨みながらつばめちゃんが二人を注意する。

 つばめちゃんと満太は、それぞれ和田のパソコンとスマホを監視していた。

 ブリーフィングの結果、和田の生活スタイルから狙われる危険性のあるポイントをピックアップして重点的に守りつつ、あえて和田を普段通りに振舞わせて網を張り、攻撃を待ち受けるという作戦になった。

 和田はフィンチのように病院通いはしていないため、同じ攻撃を受ける心配はない。和田には移動の際には公共交通機関を使うように要請してある。この状況で敵が——親父が業を煮やしたら、まず和田の行動パターンやスケジュールを子細に掴もうとするはずだ。その手口として考えられるのは、ソーシャルエンジニアリングか、和田の情報端末への侵入だ。

 そこで、自宅近くで張り込みをしながら監視を行うことになったのだ。

 サイバーポリスが現場にいる必要があるのかとも思ったが、ハッキングされた機器をすぐに調べるために必要らしい。辺りには他にも警察車両が数台配備されていて、緊急時の対応はそちらに任せる手はずになっていた。

 そして何故、「何もしなくていい」と言われたはずの俺がここに居るのかというと、俺から赤間さんに頼み込んで、絶対に勝手に動くな、という条件と引き換えに捜査への参加を許可してもらったのだ。

 現場ではツーマンセルという原則があるらしく、つばめちゃんと満太のペアに俺がくっついてきた形だ。他のメンバーは交替の時間までACTのオフィスに詰めている。

 ……よりによって何故このお子様トリオなのかという疑問は残るが。

「だってさー、本当に来るかどうかもわからないんだよ? そもそも待ってるだけってのは性に合わないんだよなあ」

「何もなければそれに越したことはないです。私たちはやれることをやるだけですよ、あわ~あ」

 恰好いい台詞を、欠伸をしながら言うつばめちゃん。

「でも、フィンチだけを狙った可能性だってあるよね。病院って新旧のシステムが入り混じってて狙いやすいし」

「フィンチだけでは片手落ちです。それにLurkersから次の声明が出ないということは、まだ彼らの言う『復讐劇』は終わってないということです」

「そうかなー。やってることが地味なんだよなー」

「つばめがうるせえって言ったのが聞こえなかったのか、マンタ野郎」

 パピコに凄まれ、「ケビンだっての」とだけ小さく言ってようやく黙る。

 一方、気張って出てきたものの二人の会話にもついていけてない俺は、そこそこの疎外感と無力感を感じていた。

 なんで俺、手伝いたいなんて言い出したんだろう。自分でも不思議だ。実のところ、親父が和田をどうしようが止めようとは思わないんだけどな。

 ぼんやりと和田の家を眺める。

 俺が凄腕ハッカーだったら、どこをどうやって狙うだろうか。

 頑丈そうな玄関の扉に、しっかり閉じられた厚みのある窓……ううむ。そもそも目の付け所が違う気がする。泥棒じゃあるまいし、ハッカーならそんな直接的な入り口じゃなくて……

 その時、ふと思いついたことがあった。

「ねえつばめちゃん」

「なんですもう」

 鬱陶しそうに聞いてくるつばめちゃん。

「あのさ、鍵ってハッキングできたりしないのかな?」

「鍵? ……なくはないですね。ただ仮に家のスマートロックを解除したところで、警官がこれだけ張っているですから侵入はできないですよ」

「じゃあさ、逆に……」

 先ほどの思いつきを話す。

「なんだよそれ。そんなことしてなんの意味があるんだよ」

 満太は呆れ顔で、つばめちゃんは思案顔だ。

「それは考えたことなかったですが……むむ」

 やはり突拍子もない、素人の的外れな意見だったろうか。まあ本当にただの思いつきだし、的中するとも思えないから別にいいのだけど。

 と、その時だった。


『宅配ドローンが接近中!』


 無線機からノイズ混じりの声が響いた。他の覆面パトカーからの通信だ。

 目を凝らす。

 闇夜の空、和田の家に飛来するドローンの姿が目視できた。よく見かける宅配会社のものだ。

 自動宅配はここ十年くらいで普及してきているが、ドローン用の宅配ポストが必要で、工事にも安くない費用がかかるため、対応している家庭はまだ多いとはいえない。

「和田に連絡! 荷物はすぐに開けないように、それと宛名の情報もらって」

 満太が手早く指示を出すと、無線機から『了解』と返ってきた。

「怪しいですね」とつばめちゃん。

「あのドローンを仮に犯人が乗っ取っているとしても、ポストとの認証に成功しないとポストは開かない。けれど、たとえばポストが攻撃されている可能性もあるです」

「あの荷物に攻撃用のデバイスが仕込まれてる可能性もあるね」

 そのまま様子を見ていると、ドローンは認証に成功したようで、口を開けたポストに荷物を放り入れると元来た方向へと飛び去って行った。

 無線機から通信が入る。

『和田に確認したところ、荷物は自分が注文したもので間違いないとのこと。開ける許可を出してもいいですか』

「はいはい、いいよー」

 満太が緊張を解いて答えると、無線機は再び『了解』とだけ言って通信を切った。

「ちぇ、外れだったか……どしたの?」

 つばめちゃんは何かに気付いたように目を見開いていた。

 慌てて無線をオンにする。

「荷物は開けちゃダメです!」

「『え?』」

 満太と警官が同時に困惑の声を出す。

「たった今、和田のスマホがマルウェア感染したです! タイミング的に偶然とは思えません!」

 つばめちゃんが言い終わるのと、和田の家から悲鳴が上がるのはほぼ同時だった。

「突入!」

 満太が無線機に向かって叫ぶと、数名の私服警官が車から降りて和田の家に急行した。

 が、鍵がかかってるようで、扉の前で立ち往生している。扉を叩いて開けるように叫ぶが、中にいる和田が応じる気配はない。

「満太、こっちで鍵を開けるです」

「わかってる、今……なんだこれ!? 嘘だろ」

 満太が信じられないという顔でパソコンを叩く。

「ロックシステムが乗っ取られてる!」

 予想が的中した。

 しかしこれじゃあ間に合わない。

「つばめちゃん、“車を動かして”!」

 俺はそう叫ぶとバンを飛び出し、全力で走った。

 最後にスプリントの記録を計測したのはいつだったか。中学での最高記録は五十メートル六秒フラットだったけど、今でもあのスピードは出るだろうか。

 門をくぐる。母屋の扉の前に警察官たち。

 その隣、ガレージの中に二台の車。ガレージの屋根までは約二メートル半。

 大丈夫、きっとつばめちゃんにはあれで伝わる——

 手前側の車のエンジンがかかった。もちろん誰も乗っていない。

 さすがつばめちゃんだ。

 一度止まり、助走距離を取る。

 車が動いた。今だ。

 地面を蹴る。車に向かって走る。

 ガレージから車が頭を出したタイミングでボンネットへ飛び乗る、そしてルーフへ駆け上りジャンプ、屋根の縁をキャッチ。

 警官がこちらに気付いて騒ぎ立てるのが聞こえる。無視。

 屋根によじ登り、そこから家屋の二階部分に飛び移る。

 分厚い窓ガラスは固く閉ざされていて、殴ったくらいでは割れそうにない。

 なら思い切り蹴る。

 体重を乗せた前蹴り二発で、窓ガラスはかち割り氷のように砕け散った。

 屋内に入るとそこは寝室で、部屋の外から男の苦しむ声が微かに聞こえてくる。

 部屋を出て階段の上から覗くと、一階の玄関前でもがき苦しんでいる和田の姿が目に入った。

 手前には宅配便の段ボールと、その中身と思わしきシューシューと音を立てている袋。

 ハンカチで鼻と口を塞ぐ。

 思い切り息を吸い込み、階段を駆け下りる。

 扉のパネルで電子ロックを解除しようとするが、何をしても反応がない。ここはダメだ。

 和田の身体を起こして担ぎ上げる。つばめちゃんの二倍以上は体重がありそうな上、意識のない人間の身体は思った以上に重い。引っ越しバイトでいうと大型冷蔵庫レベル——なら余裕だ。

 軽い眩暈がする。少し吸い込んでしまったか。

 急いで階段を昇り寝室へ戻ると、窓の外に警官の姿が見えた。後を追ってきたようだ。

 こちらに気付いて警戒する警官に、俺は叫んだ。

「急いで救急車を! 毒ガスだ!」

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