024 少年は戦慄する
部屋を出てから、驚くほど鼓動が激しくなっていることに気付く。部屋は冷房で涼しいのに、背中にじんわりと汗をかいていた。
「どうだった?」
全員を代表するように籠目さんが訊いてきた。
「……驚きました。いくらモデルがあいつだといっても、まさかここまで」
「AWBにモデルとなる人間の人格が備わる可能性については予測されていたらしいけれどね。ずっと昔からある論争のテーマの一つさ。人間と同じ記憶情報を持ち人間のように思考する人工知能に、意識は宿るのか。それは一つの生命、果ては一人の人間と呼べる存在たりうるのか。あるいは人間と何が違うのか。実際に会ってみて、何か感じるところはあったかい?」
「俺は……」
AWBが、プログラム通りに動いていることは確かな事実だ。
しかし刹那の脳とまったく同じように動くプログラムがあったとして、それはオリジナルの脳と何が違うのか。
あのAWBのプログラムは、“刹那の人格そのもの”だ。
それは認めざるを得ない。
しかし、ではAWBが“刹那そのものか”というと、それは断じて違う。
俺がそれを認めてしまったら、あの日に死んだ刹那は、その魂はどうなってしまうのか。
やはりあれはただの人工知能だ。刹那の人格を模した機械に過ぎない。
……だとしたら、その機械と兄妹のように喋っていた俺は……
「終わったあ?」
皆の話し声が聞こえたのか、満太がブリーフィングルームから顔を出した。
「早く作戦会議しようよ。倉井っちもこっち来てるよ」
全員がブリーフィングルームに戻ると、倉井さんが魂の抜けたロボットのような表情で涎を垂らしていた。やれやれ、と赤間さんが溜息をつく。「こいつよりはAWBの方がまだ人間らしい」
倉井さんを叩き起こして全員が元の席に座ると、赤間さんが口火を切った。
「見てもらったように、AWBは俺たちが管理している。二年前の事件以来、表向きは運用凍結となっているが、実際にはここで試験的に運用をしている」
「運用?」
「AWBは本来、もっと広範な分野での活躍を期待されていたのだがな。臭い物には蓋をしたい、だが一方で、脅威が無くなったのであれば腐らせておく手もない。結果、ACTの管理下において限定的に運用が認められているわけだ」
「物みたいに言わないでください」
つばめちゃんが不服そうに言った。
「特捜課長としての正しい表現だ、口を挟むな。それで、どうせ俺たちが運用するならAWBにも仕事を手伝ってもらおうと思ったわけだ。うちは人材不足だからな」
「手伝うって、サイバー犯罪捜査をですか? どうやって」
「つまり……喋り疲れた。籠目、説明してやれ」
突然のバトンタッチ。
「はいはい、まったく。簡単に言えば、いずれ日本のサイバーセキュリティの“頭脳”になってもらうつもりなのさ。AWBなら予測から検知、解析、対応までの一連のプロセスを最適化することができる。それに攻撃者としての実力は証明済みだからね、攻撃者の行動を予測したり、顕在化していない脅威に事前に対応することも可能になってくるはずだ。つまり、私たちの仕事が大層楽になるというわけだよ」
「……なるほど」
あのAWBは、その尋常ならぬ高い知能をサイバーセキュリティに役立てるため、ここで修行を積んでいるということか。
「攻撃は最大の防御」だとつばめちゃんも言っていたが、それは言葉通りの意味だけでなく、攻撃に精通している者ほど的確に対策を取ることが出来るということでもある。世界中の情報機関にハッキングを仕掛けるほどの攻撃力を持つAWBなら、確かに最強の盾にもなり得そうだ。
「当然だけれど、攻撃者側もAIをサイバー攻撃に活用してくる。いたちごっこの構造は現実もサイバー空間も同じさ。ただし、私たちが先にAWBによるサイバーセキュリティを確立できれば、その構図が変わるかもしれない。わかるかい。世界からサイバー犯罪が無くなる日が来るかもしれないんだよ」
籠目さんの口調は軽快だが、熱がこもっていた。
正義感が強くない、なんてよく言うよ。
「でも、AWBは世界中から危険視されてるんでしょう。そんな風に使ったら余計に狙われるんじゃないですか? この場所がバレたり、直接AWBをハッキングされたりとか、そういう心配はないんですか?」
「最強のセキュリティとは何だ?」
「はえ?」
赤間さんがいきなりそんな質問を投げかけてきた。休憩はもういいのか。
「確実にAWBを犯罪者どもの手から守るにはどうすればいいと訊いている」
いや、訊いている、のは俺だっつーの。
しかし赤間さんだけでなく、他のメンバーも試すような目で俺を見ている。これは下手なことは言えない。
最強のセキュリティか……
「そうですね。やはり、AWBの周りにびっしりと屈強なガードマンを」
いや違う。絶対に違うぞ俺。
今まで何を聞いてきたんだ。
「とかじゃなくて。ええと、ちゃんと暗号化されたネットワークと、セキュリティソフト入れて、あとは……屈強なハッカーをびっしりと……」
「ネットワークに繋げなければいい」
俺を見限った赤間さんが答えを言った。まだ途中だったのに。
「正確には、外部ネットワークから隔絶することだ。今は二重化したネットワークでAWBを囲っている。これで外部から手出しはできないというわけだ」
なるほど、そういうことか。
扉のない部屋には入れないのと同じで、外部との繋がりを無くしてしまえば…………あれ、待てよ?
「それはただの最適解です。最強のセキュリティは『物理的にデータを持たない』ことです」
つばめちゃんが水を差すように異議を呈すると、赤間さんも受けて立った。
「それこそ論理的に間違っている。守るべきデータが無ければそもそもセキュリティは不要だ」
「セキュリティが不要な状態を作ることが究極のセキュリティです。モノがある以上、スタンドアロンでも物理的に盗まれてしまえば終わりです」
「詭弁だな。そんな机上の空論にはチリほどの価値もない」
「意識が低いですね。トップがそんなんじゃ日本の未来は暗いです」
「ん? 僕を呼びました?」
「呼んでません」
そのやり取りを見て、籠目さんがケラケラと笑う。
「あの二人は本当に仲が良いな」
「悪いんじゃなく?」
「それは見方によるね。ちなみに、盗まれたら困るのはAWBの開発資料も同じなんだけれど、複数のサーバに分散して置いてある上に下村拓海しか知らないパスワードでロックされていて、私たちでさえ開くことはできない。仮に盗まれたところで互いに意味がないということだ」
言い合いをしている二人を尻目に籠目さんが解説を続けてくれるが、俺の思考は先ほどから“あること”に捉われていた。
——AWBの自意識。
人間の脳と同じといっても、その存り方、環境は大きく違っている。
仮に、俺の意識が今、そのままあの小さな球体に閉じ込められたとしよう。
味覚や嗅覚、触覚はAWBにはないだろう。感覚器官がないのだから、脳だけでは感じようがない。ではそんな状態で、外部との接触を断たれ、あの部屋にずっと閉じ込められているという状況は、AWBにとって何を意味するのか。
扉のない部屋。
それはどんな攻撃も防ぐシェルターであると同時に、誰かを永遠に閉じ込めておく牢獄でもある。
こうなると次々に疑問が溢れてきて止まらない。
起動していない時にも意識はあるのか。
時間の感覚は。退屈を感じたりするのか。
想像や退屈を紛らわせる空想は。それも一瞬で終わってしまうのか。
——人間と同じように、苦痛や孤独を感じたりもするのか?
それを想像した瞬間、背筋が凍るほどの戦慄を覚えた。
「ねえ、いつ作戦会議は始まるのさ?」
満太が待ちくたびれた様子で言うと、倉井さんも同調した。
「こうしてる間にも次の犯行準備は着々と進んでいるでしょうからね」
「……そうだな。前置きが長くなったが、本題に入ろう」
若干決まりが悪そうに頭を掻くと、赤間さんはいつもの無表情に戻った。
「容疑者は下村拓海、次のターゲットは和田誠二。この想定でいく。ミッションは和田の安全を確保すること、下村の居場所の特定、そして確保だ。捜査にあたってはAWBの利用も許可されている。状況は以上だ、何か質問は」
すごく重要なことをさらっと言われた気がする。
「ちょ、ちょっと待ってください赤間さん。AWBを使うって、あいつは何も知らないんでしょう? 二年前の事故のことも、親父のことも」
言いながら矛盾を感じる。
俺はさっき自分で機械と断じたくせに、何をそんなに必死になっているんだ?
「当然、その事については伏せるさ。真実を伝えたらまた暴走するなんて考えている上の連中もいてな、先ほども言ったが二年前に関しての情報をインプットすることは厳禁だ。今回は無数にある犯罪の一事例として扱わせる」
そういうことなら、いい……のだろうか?
父親の犯行を阻止するための捜査に娘が参加させられるというのは……。
その疑問の答えにたどり着く前に、赤間さんの声が響いた。
「それでは作戦を開始する」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます