022 少年は機密に触れる
***
電流が走る。
息を呑む。
度肝を抜かれる。
仰天する。
日本語とはよく出来たものだと思う。
それを目にした時、俺は雷に撃たれたような衝撃を受け、呼吸を忘れ、意識を失って仰向けに倒れた。
ブリーフィングルームで眩暈がするような話を立て続けに聞かされ、あごを打ち抜かれたボクサーのように足下が覚束なくなっていた俺だったが、ここにきてついにダウンを喫してしまったわけだ。タオル投入、テクニカルノックアウト。
俺が受けた衝撃の大きさは、きっと体験した俺以外にはわからないだろう。
それまで半信半疑だった俺に、そいつは言った。
忘れられない声で。
一日だって忘れたことのない、向日葵のような笑顔で。
兄ちゃん、と。
***
遡ること約三十分、ブリーフィングルーム。
皆の話を聞いて、状況を頭で理解することはできた。親父が二年前の復讐をしようとしていて、それに気付いた彼らは親父を止めようとしている。俺はその捜査に協力するためにここに連れて来られた。
それはわかったが、しかしどうにも疑問が残る。
親父が復讐をしようとしているとして、俺はそれを止めるのに協力しなければならないのだろうか?
和田という男は俺たちを売った。間接的ではあれ、下村一家を崩壊に追いやった一人であることに違いはない。いくら憎んでも足りないし、和田が死のうが親父に殺されようが知ったことではない。
父親を殺人犯にさせないために止めるべき、という考え方もできるかもしれない。だが、国際指名手配され二年間も逃げ続けている親父に何を今さら、という気がしてしまう。
皆は、黙って俺を見ている。
わかってる。
俺がそう思うことは別に間違っていないし、誰にも否定はできない。だがきっとそれは子供の考えだ。子供だからといって子供のままでいていいわけじゃない。
これ以上事態を悪くしないために、他ならぬ俺自身のために、俺は彼らに協力すべきなんだろう。そして俺がそう考えられるように、彼らはこういう説明の順序を取ったはずなのだ。
ならば話の続きを聞かせてもらおう。
ここまで来れば、もう怖いものなど何もない。
「わかりました。赤間さん、教えてください。俺に何ができるのかを」
「いや、特に無い」
「うおい!」
思わず赤間さんにツッコんでしまった。
いやいや。俺の葛藤と決意のモノローグどうしてくれるんだ。
「言い方が悪いですよ赤間さん。柊さん、あなたは“こちら側にいること”に意味があるのです。あなたは拓海さんを見つけるための切り札なのですよ」
俺が切り札?
「それって、親父が俺に接触してくるかもしれないってこと?」
「可能性はあるですが、わかりません。わかっているのは、拓海さんが何かしらの意図をもってあなたと私を引き合わせたということだけです」
そこで満太が、面白くなさそうに口を尖らせた。
「二人を味方につけたいんじゃないの? それなら知らないフリして、柊っちを囮として使えばよかったかもねー」
柊っちて。
しかしつばめちゃんは首を振る。
「拓海さんにそんな安易な手が通じるとは思えない。きっと何か他の意味があるですよ」
赤間さんも頷き、その意見に同調した。
「味方にしたいだけなら、二人を引き合わせる必要も、こんなに回りくどいことをする必要もない。柊翼斗は下村拓海にとっての脆弱性となり得るんだ。ならば手元に置いておいた方がよかろう」
囮とか脆弱性とか、本人を目の前に好き勝手言ってくれちゃって……。
それにそもそも彼らは思い違いをしている。
「俺は切り札なんかになりませんよ。親父が今さら俺にわざわざ会いに来るとは思えないですから」
もし俺じゃなく刹那だったら、なりふり構わず会いに来るんだろうけど。
そしてもう一つ、まだ聞けていないことが残っている。
「つばめちゃん、君と親父はどういう関係だったんだ? 君は『自分が逃がした』と言っていたけど、二年前のあの事故の後に何があったのか教えてほしい。それこそ俺と君が引き合わされたことのヒントになるはずだろ」
「それは……」
つばめちゃんは少し口ごもって、それから赤間さんを見た。
「お願いがあるです。柊さんをAWBと会わせてあげてください」
その発言に、場の空気が変わった。皆が驚いた顔でつばめちゃんに注目する。
「それが今日、柊さんをここに連れて来たもう一つの理由です。彼にはその権利があるはずです」
「何言ってんだよつばめちゃん! 機密中の機密だよ? そんな簡単に部外者に見せるわけには……」
「部外者じゃありません!」
強い口調で否定され、満太がたじろぐ。
「柊さんは部外者じゃない。刹那さんのお兄さんです」
赤間さんはつばめちゃんをじっと見据えている。すると籠目さんが口を開いた。
「私はつばめちゃんに賛成だな。確かに彼にはその権利があるよ。彼自身がそれを望むのならばね」
「倉井、お前は?」
「僕もいいと思いますよ。隠したままでは捜査に支障をきたすでしょうし」
全員の意見を聞き、赤間さんはそれでも少し考えていたようだったが、やがて決断した。
「まあいいだろう。向こうからもずっと会わせろと言われていたからな、ちょうどいい機会だ」
次に俺を見る。
「柊翼斗。お前にAWBと対面し会話する許可を与える。それは捜査を進める上で必要なことと判断したからだ。だがこれはお前に相応のリスクと精神的負担を強いることでもある。そこで問おう。お前はAWBに会う意思があるか?」
何を今さら。
「つばめちゃんが言ったでしょう。俺はそのために来たんです」
俺が即答すると、赤間さんは言った。
「心の準備をしておけ」
倉井さんが即席で作成した機密保持契約書にサインをする。漏洩した場合は云々という内容の文章がびっしりと書いてあるが、ほとんど読まなかった。
「AWBはお前の父親が作ったものではあるが、どこまで知っている?」
赤間さんが訊いてきた。
「どこまでも知らないですよ。人間の脳を再現してるとか、感情みたいなものがあるとは聞きましたけど」
ここに来る前につばめちゃんから言われたことだけだ。
「信じてないという顔だな。まあ無理もない、俺だっていまだに騙されているんじゃないかと思うことがある。あえて哲学的な言い方をするなら、あれは人間と機械の境界線上に存在するものだ。人間ではないが、機械であるとも言えない」
なんだか回りくどい言い方をする。
「哲学はよくわからないです」
俺が哲学について知っているのは、よくわからないということだけだ。
「人間と機械の違いについて論じるつもりはない。俺も哲学は嫌いだからな。だが間違いなく、AWBは生前の下村刹那という人間に限りなく近い存在だ。そのことを充分に理解しておけ。お前にアドバイスをくれてやるとしたら、それぐらいだ」
……理解しろと言われても、どだい無理な話だ。
先ほどからずっと違和感がある。
『彼女』だの『会う』だの『面会』だの、『機械じゃない』だの『人間』だの『兄』だのと、皆が口を揃えて言うことに。
AWBがどんなものかは知らないが、仮に刹那のような振る舞いを見せたとして、それは結局、そのようにプログラムされているというだけの話だろう。刹那をモデルにした人工知能が本人のように振舞う。そこには感情も人格もない。あるわけがない。
下村刹那は死んだ。それは覆しようのない事実だ。
今さら漫画のように「実は生きてました!」なんて展開はあり得ないし、認めない。神様だろうと許さない。
特捜課オフィスの奥、壁に向かって赤間さんが何やら操作をすると、壁が動いて扉が現れた。隠し扉だ。
「この中だ」
赤間さんが一歩身を引き、扉の前に俺とつばめちゃんが立つ。
「AWBが持っている下村刹那としての記憶は、例の事故の前日までのものだ。つまり事故のこと、その後のこと、そして自らの死については知らないし、それを伝えることは厳禁だ。くれぐれも注意しろ」
つばめちゃんの表情が固い。
本当は俺もそんな風に緊張すべき場面なのかもしれないが、緊張なんてしてやるものかという子供じみた反抗心の方が勝っている。
「大丈夫かい?」
籠目さんが声をかけてくれる。
「ええ、大丈夫です」
あれから二年。いまだに思い出しては枕を濡らしているわけじゃない。人工知能に死んだ妹を投影して動揺したりなんかしない。
扉が開き、中に足を踏み入れる。
「えっ」
いきなり動揺した。
そこは、昔住んでいた自宅のリビングだった。
家具の配置、カーテンの柄、窓からの景色。色がわからないが、見間違うはずもない。
いや、落ち着け。
よく見ろ。天井のプロジェクタから投影されている。これはただの映像だ。
恐る恐る歩を進める。
部屋の中央に妙な物体が置かれていた。
恐らくは漆黒の、金属製の球体だ。土星のリングのように、輪状の装置が球体を囲って取り付けられている。
「これは……?」
よく見ようと近づくと、コンピュータの起動音のようなものが微かに聞こえた。
次の瞬間、
「兄ちゃん!」
懐かしい声。
と同時に、空中に何かが出現した。
輪状の装置からレーザーが照射され、空中に立体映像が投影されたのだ。
それは人の形をしていた——いや、わかりきったことを遠回しに言うのはもうやめよう。
刹那だった。
釣り目がちの瞳。小さな鼻。肩より長く伸ばした髪。刹那の通っていた学校の制服……制服を着崩していないところは違和感を覚える。
あの頃のままの刹那が、笑っていた。
「久しぶり! って、オリジナルの私とは毎日会ってるんだろうけど」
目を輝かせながら話しかけてくる。
まるで遠い異国の地にいる刹那と、テレビ電話でもしているような奇妙な錯覚に陥る。
ふいに吐き気がこみあげてきて、口を塞ぐ。
「ん? どしたの兄ちゃん」
心配そうな表情と声に変わり、球体がコロコロと転がって近づいてくる。
「やめろ」
「え?」
我慢できなかった。
「何だよこれ……何考えてんだ。ふざけんなよ。お前……お前なんか」
今まで経験したことのない強烈な拒絶反応。
目の前の光景を現実のものとして受け付けられない。
頭が真っ白になる。視界がぐにゃりと歪む。とても立っていられない。
言ってはいけないことだと思った。きっとその一言は、色んな人を失望させることになる。
それでも抑えられなかった。
「偽物だ」
言い終わると同時に、崩れ落ちるように仰向けに倒れた。
気を失う前、俺が最後に覚えているのは、俺を呼ぶつばめちゃんの声と、両手で口を押さえる刹那の歪んだ表情だった。
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