021 少年は真実を知る
「事故の直前、拓海さんは後方の車を気にしていたとあなたは言っていた。それが今、病院の集中治療室にいるアーロン・フィンチその人です。彼は拓海さんの運転する車の制御システムを乗っ取り、遠隔操作で事故を起こし、高架橋から突き落として拓海さんを殺害しようとした。二人の子供もろともです」
「……そんな」
声が思うように出ない。
「自動車のハッキング自体は目新しい話じゃない。今の車には百近くものコンピュータが搭載されていて、裏を返せば攻撃できるポイントもそれだけ多いということだ。もちろん車のシステムもそれほどヤワじゃないが、相手は天下のCIAだからね」
事故直前の、忘れたくても忘れられない記憶が蘇る。あの異常な挙動は、数十メートルも後ろを走っていたあの車に操られていたということか。
父はそのことに気付いていた。だが、気付いたところで為す術もなく……。
そこで赤間さんが口を開いた。
「俺は当時公安にいて、あの事故についても調査した。ドライブレコーダーはダメになっていたが、ハイウェイカメラには車の異常な動きが映っていたし、何よりあの日は下村拓海にとって特別な日だった。あれが事故じゃないなんてのは誰にでもわかる話だ。現にメディアがかなり派手に騒ぎ立てていたからな」
「何故フィンチがそんな無茶をしたかはわかりません。暗殺の指令が下されていたのか、彼の勇み足か。ただの脅しのつもりだった可能性もあるです。どちらにせよ、結果として下村拓海さんは死ななかった。柊さん、あなたも。亡くなったのはAWBのモデルとなった刹那さんただ一人。こんな言い方はしたくないですが、つまりフィンチは失敗したのです。下村拓海さんは意識を取り戻した後、車種とナンバーを証言し、それでフィンチが容疑者として浮上しました。よく記憶していたものです」
「……でも、それなら“容疑者”じゃなくて、もう犯人で確定じゃないか。なんで逮捕できなかったの?」
「いわゆる高度な政治判断というやつだ」
赤間さんが自嘲気味に言った。
なんだよそれ……
刹那は死に、俺は家族と色を失った。それを、安全な場所から指一本で——そんな馬鹿な話があっていいのか。
頭が締め付けられるように痛む。
スクリーンに映っている男の顔。その顔が、下卑た笑みを浮かべながら前方の車を操作している姿を想像しかけてやめる。
全身の血管が爆発しそうだった。
「こんな話を聞かされてお辛いでしょうが、その男が今、サイバー攻撃によって死にかけていることも覚えていてほしいです。柊さんを連れて来たのは、他でもない、その件についてなのですから」
そうだ。まだ肝心な話を聞いていない。
ここまで聞けば鈍い俺でもさすがにわかる。
病院のシステムへ侵入して医療データを改ざんし、フィンチを殺そうとした犯人が誰なのか。
「柊さんが私の事務所を訪れたのと今回の事件のタイミングの一致は、とても偶然とは思えなかったのです。それでこちらに問い合わせてみたら、思った通りでした。現在、医療データ改ざん事件の容疑者と見られているのは、」
「親父……ってことか」
親父が、戻ってきている。
俺たち一家を地獄に突き落とした男に、復讐をするために。
「っても、まだ証拠は何も見つかってないけどな。病院のシステムに侵入した手口はかなり巧妙だったし、フォレンジックでも何一つ痕跡は見つからなかったんだから」
満太が面白くなさそうに言う。
……保健室?
「フォレンジック、いわゆるサイバー犯罪に対する鑑識捜査です。攻撃を受けたマシンのファイルやログなんかを調べて攻撃の痕跡を探すですよ」
サンキューつばめちゃん。
「下村拓海を疑っている理由は他にもある。籠目」
赤間さんの指示を待っていたかのように籠目さんがキーボードを叩くと、スクリーンの映像が切り変わった。
ウェブサイトの記事のようだ……が、英文のため読めない。
「Lurkersを知っているか」
「らーかーず? 聞いたことないですけど」
「悪名高いクラッカー集団だよ。正体も目的も一切が謎だがな。そいつらが今から一週間前、あるメッセージをウェブ上に公開した。こう書かれている」
赤間さんは記事の中のある一部を指して言った。
「『あの男が戻ってくる。この復讐劇を見逃すな』」
「復讐劇……」
ここまでの文脈からして、“あの男”とは親父のことか。
「Lurkersと下村拓海が手を組んでいる、あるいは下村拓海がLurkersの一員ということも考えられる。こんな情報もある。下村拓海は姿を消した後、ロシアに潜伏していた可能性が高いが、最近になって動きがあったようだと。これはつい先ほどアメリカから教えてもらった情報だ」
「あの人たちはなんでも知ってるからねえ」と籠目さんが皮肉っぽく言う。
「潜伏中にLurkersとの関係を築いたと考えるのが妥当でしょうね。東欧系ハッカーの技術力は間違いなく世界一ですから、高度なサイバー犯罪を企む人間が拠点にするには最適な場所ですし……っと、失礼」
失言に気付いた倉井さんが口に手を当てた。
俺に気を遣う必要はない。親父は今、犯罪者以外の何者でもないのだろうから。
「病院のシステムにクラッキングを仕掛けたのはLurkersだと見ていい。営利目的の組織なら動きが読みやすいが、奴らは何をしでかすか予測がつかん。実に厄介な連中だ」
「親父の居場所はわからないんですか?」
「わかっていたらお前をここに連れて来ていない。が、今は日本に潜伏している可能性が高いと見ている。この事件はまだ終わっていないと考えればな」
「終わってない? まさか、フィンチに止めを刺そうとしていると?」
「それも考えられる。だが今回の、落ちぶれて糖尿病を患っていた元CIAにステロイドパルスを食らわせるという手口は、確かに危険ではあるが、死に至らしめる蓋然性があるとまでは言えない。理に適ってないんだよ。確実に殺したいというなら、こんなまどろっこしい手は使わんはずだ」
そこで赤間さんがもう一度籠目さんに指示を送ると、モニターの画面が切り替わり、別の男の写真とプロファイルが映し出された。知らない男だ。
「和田誠二。日本理化学研究センターに所属する脳科学分野の研究者で、専門は汎用人工知能の研究。つまり君の父親の同僚で、ライバルだった男だ。もしこの事件に続きがあるとすれば、次の被害者はこいつだろう」
「親父が次にこの人を狙うってことですか!?」
思わず声を荒げてしまう。
「当時、下村拓海がAWBの開発に成功したことで、この男と下村拓海の間には圧倒的かつ不可逆的な差がついた。和田の研究室の予算も大幅に削られる予定だったらしい」
ショックから醒めてきた脳が冷たく回転する。
「この男がフィンチに情報を流していた……?」
「そういうことだ」
AWBに関するあらゆる情報。発表の内容、日時、場所。車種やルート。
同僚ならばそのくらいの情報を得るのにさほど苦労をしないはずだ。
「和田もまた証拠不十分で不起訴となっている。もし下村拓海が復讐を考えるのであれば、間違いなく和田もターゲットに含まれているはずだ」
「つまりですね」
つばめちゃんが、待っていたように宣言する。
「次の犠牲者が出る前に、なんとしても拓海さんを見つけ出して止める。それが私たちのミッションです」
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