020 少年は講義を受ける
ブリーフィングルームの円卓に全員が着席すると、赤間さんが口火を切った。
「今日からこの二名にも捜査に加わってもらうことになった。もう互いに紹介は済んでいるようだから省略するぞ。とはいえまずは情報を共有する必要があるが、どこから始めるか」
「まずは僕たちについて説明してあげるのがいいんじゃないですか。いきなり本題に入るのも味気ないですし」
倉井さんのその提案は有難いものだった。籠目さんへの質問タイムもまだ途中だったが、一から説明してもらえるならその方がいい。
「味気など要らんが、そうするか。では柊翼斗、アイスブレイクに世間話だ。お前は俺たちのことをどの程度知っている?」
「ほとんど知りませんよ。サイバー犯罪の捜査に特化した組織で、中でも特捜課はやばい事件を扱うってことくらいです」
あとは、“ド”のつく変人の集まりってことくらい。
「概ねそれで正しい。ときに、お前は今の日本を平和だと思うか?」
いきなり話のスケールが大きくなった。
「わかりませんけど、なんだかんだで平和なんじゃないですか。凶悪な事件も多いけど、戦争だってずっと起きてないわけだし」
いきなり警察の地下に連れて来られて死神の親玉みたいな人間と密閉空間で対峙してる俺の状況はちっとも平和じゃないけれども。
「なるほどな。学校の授業ではそう教わるだろうが、残念ながら日本は今、戦争中だ」
「へ?」
どこと?
「宣戦布告もなければ徴兵も派兵もない。銃も戦車も兵站も国威発揚も必要ない、誰でも指一本で気軽に参加できる、新しい形の戦争だ。それがもう何十年も続いている。今は第三次世界大戦の真っ最中なんだよ」
赤間さんは真顔でそんなことを言う。そしてその場にいる誰も、彼の言葉を笑い飛ばしたり、否定的な目を向ける人はいない。
「サイバー空間で戦争が起きている、ってことですか」
「そういうことだ。文明が誕生して以降、世界の歴史とはイコール国境線の遷移図だ。そのためだけに無数の血が流れてきて、その犠牲の上に現代社会がある。しかしインターネットの出現がその大原則を破壊した。サイバー空間には国境がない。そこにはあらゆる情報という宝が転がっていて、情報を制した者が現実世界の覇者となる。指をくわえて見ている国はないだろう。そういう意味では大航海時代に近いが、耳障りの良い表現に変えたところで戦争の一形態であることに変わりはない」
話が壮大すぎて入ってこない。
本当にそこまで深刻な状況なのだろうか?
国家レベルの陰謀論じみた話よりは、日常を脅かす犯罪者の存在の方がよほど脅威的に思えてしまう。現に、俺は有り金すべて盗まれて、食うものにも困る有り様なわけだし、どうにもピンとこない。
「どうにもピンときていないようだな」
「何故それを!?」
「顔に書いてある。納得しろとは言わん。だがこれだけは覚えておけ。二年前に下村拓海が起こした事件、あれが世界中の人々に気付かせた。見かけだけの平和など欺瞞に過ぎなかったのだと」
俺は言葉に詰まる。
「リーダー、彼にそれを言うのは酷ってものだよ」
「別に責めてるわけじゃあない。むしろ下村拓海の功績だと言っているんだ。もっとも、本人の心中がどうだったかは知らんがな」
まさか親父の名前がここで出てくるとは思わなかった。
しかし考えてみれば、二年前のその時、一番汗を流したのは間違いなくACTだろう。ここにいるメンバー全員が関わっていたのかはわからないが、下村拓海の肉親である俺に対して思うところがあって当たり前なのだ。
俺はそれに対して何も言えないし、何もできない。
「えっと……つまり、赤間さんたちはその戦争における軍隊ってことですか?」
赤間さんは苦々しい顔をした。
「そんな大層なことを言うつもりはない。他の奴がどうかは知らんが、俺は平和主義者だし軍人なんてガラじゃないからな。ただし特捜課がACTのトップガンであることは確かだ。まったく気が重い。難儀で億劫な仕事だよ」
心底面倒そうに言うが、どこまで本気で言っているのかが読めない。
「あまり子供相手に夢のないこと言わないでくださいよ、リーダー」
倉井さんが窘めると、赤間さんはふんと鼻を鳴らす。
「愚痴りたくもなるさ。日本は特に狙われているんだ。東京オリンピックの時など悲惨なものだった。検知したアタック回数は実に四億を超え、あまりの苛烈ぶりに『サイバー攻撃の祭典』と揶揄されたほどだ。あれから十六年も経っていまだに最低限の自己防衛もせんで被害に遭う人間もいるが、言わせてもらえば自業自得だな」
「……耳が痛いです」
あんなフィッシングに引っ掛かるのは、彼に言わせればきっと論外だろう。
「ん? ああ、お前はフィッシング詐欺に遭ったんだったか。別に他意はない。むしろ力になれずにすまなかったな。その手の犯罪は数が多すぎてACTも手が回っていないんだよ。検挙できることもなくはないのだが」
「ムダですよ。よしんば警察が犯人を捕まえたって、お金は戻ってこないのですから」
ずっと黙っていたつばめちゃんがぼそっと皮肉を言った。赤間さんはちらりと彼女を見たが、無視するように話を続ける。
「前置きが長くなった。言いたかったのは、今回はそれだけの事件だと判断されたということだ」
「……はあ」
言いたいことはわかったが、やはり釈然としない。
「俺がお金を盗まれたことがそんなに大事件なんですか?」
「んなわけないだろ、アッタマ悪いなあ」
突然、満太が口を挟んできた。
「フィッシングにランサムウェア、APT、DDoS攻撃にマイニング。営利目的のサイバー攻撃なんて毎日何万件も起きてるって。まあ五千万円も盗られる奴は珍しいけど、それと今の話が別物だってくらいわかるでしょ?」
「いや、それはわかってるけど」
全然わからなすぎて笑える。ハンサムウェアって何だ。
「黙るですよ満太」
満太の呪文のような中傷をどうにかしのごうとしていた俺を救ってくれたのは、つばめちゃんだった。
「つ、つばめちゃん?」
「私がまだ何も教えてないのだから、柊さんがチンプンなのは当然です。ここから先は私から説明するですよ」
つばめちゃんには弱いらしく、素直に大人しくなる満太。
「柊さん、ここから先の話は、あなたに大きなショックを与えるかもしれません。心の準備はよろしいですか?」
「……ああ。話して、つばめちゃん」
それを聞くためにここまで来たようなものなのだから。
「昨日の朝やっていたニュースを覚えているですか?」
前日のニュースの内容なんて普段なら絶対に覚えていないところだが、よく覚えていた。つばめちゃんが釘付けになっていたからだ。
「医療データの改ざん、てやつ? アメリカ大使館の職員が重体だとか」
「その被害者の男性ですが、元CIAの諜報員です」
「……え」
CIAって、あの、映画の?
籠目さんが薄型のノートパソコンを開いて操作する。と、壁のスクリーンにプロジェクタから映像が投影された。
そこには、中年の白人男性の顔写真とプロファイルが映っていた。
生え際が後退した髪に腫れぼったい目が特徴的な男。名前の欄には「アーロン・フィンチ」と書かれている。
「日本で活動していたようですが、二年前にあるヘマを犯して解任され、それからは大使館の事務職員として冷や飯を食っていたそうです」
また“二年前”——
不吉な予感に心がざわつく。
「彼は重要なミッションに失敗したのです。自国にとって脅威となる技術を発明し、実用化しようとしていた日本人科学者、下村拓海の暗殺という任務に」
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