019 少年は思わず飛びのく

 騒がしい人間がいなくなり、ようやく頭の整理がついてきた俺は、籠目さんを質問責めにすることに決めた。

「特捜課って本当にこれだけなんですか?」

「実はもっといたんだけど、最近半分くらい急に辞めちゃってね。深刻な人員不足なんだよ。まあ、半端な人間にいられると逆に邪魔なんだけれど」

 すごい言い草だ。

「それだけ特捜課に入るのは難しいってことですか」

「特捜課に限らず、この世界は頭数を揃えても意味がない。千人のエンジニアより一人の凄腕ハッカーだ。矛盾することを言うようだけど、しかしそのままの意味で、まだまだ日本のサイバーポリスは人手が足りないのさ」

 ということは、籠目さんたちはその凄腕たちの中の精鋭ということか。

 倉井さんを見ると、いつの間に石化から解けたのか、さっき立っていた場所にうずくまり一心不乱に床を叩いていた。あまりの光景に悲鳴をあげそうになったが、よく見ると床にキーボードが投影されている。

「レーザーキーボードだよ。倉井くんはあれを好んで使うが、たまに床で突き指している」

 精鋭、だよな?

「彼はCTFの世界大会で表彰されたこともある天才だよ。満太のやつは暗号マニアで、同じくどこかのコンテストで優勝してたはずだ。そんなのは実務能力とはあまり関係ないんだけどね」

「へえ……籠目さんは?」

「私はそういうものには興味がない。まあ、日本にも優秀なハッカーはたくさんいるんだけれど、多くは高給な一流企業に持ってかれてしまうのさ。うちはリスクとデューティにサラリーが見合ってないからね。まったく、割に合わない仕事だよ」

 そう言って籠目さんは笑う。

「じゃあ、皆さんはどうしてACTに?」

「さて、他の二人の動機については知らないが。私はたまたま得意分野で、たまたまこの仕事が性に合っていて、たまたまそこに尊敬できる人がいたってだけさ。普通だよ。特別な事情も栄える話もない。正義感の強い人間ってわけでもないしね」

 あっけらかんと話す彼女は、しかしどこか超然としていて、“普通”とは違う印象を受ける。それは倉井さんにも満太にも、そしてつばめちゃんにも感じることだ。彼らはどういう経緯をたどって今ここにいるのだろう。

「ところで、私からも質問していいかな」

 籠目さんが試すような目で訊いてくる。

「つばめちゃんのこと、どう思う?」

「ぶっ!」

 危うくコーラを噴きそうになった。

「うわっ、噴くことないじゃないか」

 噴いていた。

「ど、どうってなんですか。つばめちゃんは頼りになる探偵で……」

「それだよ。昨日今日知り合ったばかりの君がもう“ちゃん”付けしているんだから、満太じゃなくても気になるさ。つばめちゃんは可愛いから気持ちはわかるけどね。ねえ。可愛いよね?」

「いや、そんないきなり言われても」

「可愛いって言えよ」

「可愛いです」

 あれ、もしかして籠目さんってけっこう怖い人なのか。

 というか“ちゃん”付けはつばめちゃんから言ってきたんですけど……。

 文脈からすると、「異性としてどう思うか」という質問だろう。しかしそこまで踏み込んだことを初対面で突然訊いてくるのはどうかと思うし、正直に答えなければならない義理もない。

「まあ、正直タイプですけど「そういう話じゃないんだ、ごめん」

 心底申し訳なさそうに俺の返答を遮った籠目さんは、真剣な表情で訊き直してきた。

 ちくしょう。

「君はどこまで知ってる? 彼女のことを、君はどこまで聞いているんだい?」

「どこまでって……俺はただの依頼人ですよ。俺が知ってるのは、あの若さにして恐ろしいほどのハッキングの腕と、いきすぎてるくらいの勇気を持ち合わせたサイバー探偵ってことくらいです」

「ふうん」

 涼しげな籠目さんの表情からその感情は読み取れない。

 しかし、そういう話ならばむしろこちらが質問したいくらいだ。

「籠目さんこそ、知ってるなら教えてくれませんか。俺の親父とつばめちゃんの間に何があったのか。それに、なんで俺がここに連れて来られたのか——」

「ずいぶんと面白そうな話をしているな」

 突然、背後から声がした。

 同時に殺気めいたものを感じ、本能的にソファから飛びのく。

 男が立っていた。

 悪魔のように不吉な目つき。身長190センチ近い体躯をブラックスーツに包み、禍々しいオーラを放っている……

 どう見ても敵だ。それもボス級の。

「誰だ!?」

「それはこっちの台詞だ」

「お帰り、リーダー」と、籠目さんが男に向かって言った。

 この人がリーダー!?

 いや、よく考えればわかる話ではあったが、あまりの凶悪な外見につい過剰反応してしまった。

「そいつが例の子供か。ちょっと待ってろ、先に野暮用を済ませる。ケビンはどこだ?」

 そう言うと男は獲物を探す死神のようにギョロギョロと室内を見回した。

 籠目さんがフロア奥の扉を指さすと同時に扉が開き、つばめちゃんと、それに追いすがるように満太が出てきた。

「くっそぉ、あんなの卑怯だぞ! 無効試合だ! もう一回!」

「見え見えのトラップに引っ掛かる方が悪いです。約束通り夕飯奢るですよ。それにもう勝負しないことも賭けてたはずです」

 どうやら負けたらしい満太がつばめちゃんに食い下がっている。

「じゃあその約束の履行を賭けて、次はACTのサンドボックス突破勝負だ!」

「そいつは結構だが、背任行為でクビだな」

「やれるもんなら……あ」

 そこでようやくリーダーの存在に気付いた満太は、その表情を凍り付かせた。

「あれ、リーダー帰ってたの? どしたの、そんな怖い顔して……あはは」

「自分の胸に聞く時間を与えてやりたいところだが、時間の無駄だから省略する。お前、またSNSで“晒し”をしただろう」

「ん? 何のこと? ボクわかんないなぁー……」

「ケビン」

「ひぃっ」

 リーダーが低い声を浴びせると、満太は悲鳴をあげて尻もちを突いた。

 背中を向けているので見えないが、恐らく子供が見たら泣くような顔をしているのだろう。つばめちゃんまで怯えた表情で後ずさりしている。

「だ、だってあいつら、いじめっ子だったんだよ! 寄ってたかって一人の女の子に非道いことしてて、怪我までさせててさ。放っといたら今頃どうなってたか……」

「正しい手順を踏めと何度言えばわかる。俺たちは怪獣を倒すためになら暴れ回って街を破壊してもいい正義のヒーローってわけじゃないんだ。次は注意じゃすまんぞ、いいな」

 満太は正座をして「ごめんなさい……」とうな垂れた。やんちゃをして大人に叱られる子供の図だ。

 肩で溜息をつき、リーダーが続けた。

「俺だって、群れて弱者を攻撃するようなクズは死ねばいいと思ってる。お前の行為は正しくないが、お前のその正義感は正しい。救われた人間もいるんだ、次はやり方を間違えるな」

 そう言葉を投げかけ、踵を返す。

 おいおい、なんと見事なアメとムチだい。

 満太もさぞ感動しきりだろうと見ると、残念ながらリーダーの背中に向かってアッカンベーをしていた。

 本当に子供かよ。

「ご苦労さま。今回のペナルティは?」

 籠目さんが尋ねると、

「ずいぶんとマシだった。二十分の叱責と始末書で済んだからな」と無感情に答える。

 これが中間管理職の苦労というやつかと勝手に得心していると、

「柊翼斗だな。雛野つばめから話は聞いている」と声をかけてきた。

 皆が口をそろえて「話は聞いてる」と言ってくるが、いったい何を聞いているのか。そもそも俺が何も聞かされていないのに。

「俺は特捜課課長の赤間だ。話を中断して悪いが、ここからは全員で話を聞かせてもらうぞ。奥のブリーフィングルームに来い」

 それだけ言って、先ほどつばめちゃんたちが出てきた部屋に向かっていく。何故だか満太を四つん這いにして馬のようにまたがっている(本当に何故だ)つばめちゃんのところで立ち止まると、

「まだくだらない探偵の真似事をしているのか、雛野」

 そう言葉をかけた。

「大きなお世話ですよ。それに、くだらなくなんかないです」

「ふん」

 お互い目を合わせようともせず、険悪な空気を残したまま、赤間さんは奥の部屋へと入っていった。

 俺は少し彼のことが嫌いになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る