018 少年は秘密基地に入る

「おお……」思わず声が洩れた。

 そこはまるで映画の世界だった。近未来的な半円形のフロアの壁面にずらりと並んだディスプレイには様々な映像やグラフが次々と映し出され、精密機器や操作パネルがその下に配置され、ヘッドセットを装着した職員たちが忙しなく動き回っている、まさに国の中枢を担うハッカーの秘密基地というにふさわしい——

 ということは全然なく、普通のオフィスルームだった。

 本当は声も漏れてない。

 勤めの経験もないのに「普通」ってなんだよと言われそうだが、少なくともどこかの探偵事務所のような辺鄙さは無いという意味での「普通」だ。

 なんなら誉め言葉だ。

 フロアの真ん中にハの字型のデスクが整然と並び、それぞれモニターが三つずつ置かれている。壁に大きなホワイトボードとプロジェクタ用のスクリーンが設置されているのはつばめちゃんの事務所と同じ。部屋の奥には円形のカーペットが敷かれ、座り心地の良さそうなソファやクッションが置いてある。

 職員らしき人が二人いた。

 それまで見てきた固い印象の職員と違い、一人はソファに寝そべってパソコンをいじり、もう一人は机に突っ伏して寝ている。

「意外と普通だろう? まあこんなものだよ、ハッカーって言っても公務員だからね」と籠目さんは笑う。

「いえ、そんな。つばめちゃんの事務所に比べたら全然」

「全然、なんです?」

 背後からつばめちゃんが低い声で囁いてきた。しまった。

 と、その時、

「つばめちゃん!」

 いいタイミングで甲高い声が割り込んできた。

 フロアにいた二人のうち、寝転んでいた男性がこちらに気付いたらしく、目を輝かせて駆け寄ってくる。

 その男性職員は……いや、男性というには若すぎる。身長は160も無いくらいで、やけに童顔の青年……いや少年……え、年下か?

「つばめちゃん、待ってたよ! 勝負しようぜ!」

 つばめちゃんは露骨に嫌そうな顔をして「しっしっ」と手を振るが、彼は怯む様子もなく、声変わり前らしいテノールでつばめちゃんに詰め寄る。

「こら満太、つばめちゃんが嫌がってるじゃないか」

「満太じゃない、ケビンって呼べよメリッサ!」

「誰がメリッサだ。それに君のどこにケビンの要素がある? 来客に失礼だろう」

 そう言われてようやく俺の存在に気付いたようで、こちらに目を向けてくる。

「なんだオマエ、誰に断ってつばめちゃんの隣に立ってるんだよ。ぐえっ」

 籠目さんの拳骨が彼の頭頂部に落ちた。

 頭を抱えてうずくまる彼は、人懐っこそうな外見とは裏腹にかなり攻撃的な性格のようだった。それにつばめちゃんにやたらと執着しているようだ。

 チワワっぽいな。

「こいつは戸隠満太。こう見えて成人なんだけどね、たぶん十年前くらいに成長が止まる呪いでも受けたんだろう。ま、気にしないでやってくれ」

 籠目さんが代わりに紹介をしてくれたが、呪いという言葉を信じてしまいそうなほど、とても二十年以上生きている人間には見えなかった。つばめちゃんの弟と言われても納得しそうだ。

「戸隠満太さん。初めまして、俺は柊翼斗です。シャナク」

「さりげなく呪いを解こうとするな! あと満太じゃなくてケビンと呼べ!」

 紹介されたばかりの名前を本人から否定されても困ってしまうのだが。

 というか、なんだよケビンって?

「自分の名前が嫌いなもんだから、ハッカーネームで呼ばれたがるのさ。私のことも勝手にメリッサとか呼んできて、辟易してるんだ」

 籠目理紗……メリッサ。うん、まあ……うん。

「なんです、騒がしいな」

 別の男の声がした。

 机で寝ていた男性職員がいつの間にか目を覚ましたようで、伸びをしながら眠そうな目でこちらを見ていた。

「おや、つばめちゃんじゃないですか」と立ち上がる。

「どもです、倉井さん」

 倉井と呼ばれた男性職員は、180以上の高身長にサラサラの長髪、それに恐ろしく整った顔をしていて、まるでモデルみたいだった。物腰も柔らかく笑顔も爽やかで、前に立つと謎の敗北感を覚える。

 彼は俺に気付くと、物珍しそうな視線を向けてきた。

「君は……つばめちゃんの彼氏かな?」

 急になんてことを!

「いやあ、どうなんでしょう」「違います」「違う!」

 つばめちゃんと満太が被せ気味に否定してきた。

「彼が柊翼斗くんだ。つばめちゃんが連れて来ると言ってただろう」

「ああ、君が柊くんですか。僕は倉井未来、ここで捜査官をやってます。よろしく」

 そう言って手を差し伸べてくる。

 クライミライ……希望を捨てるな!と励ましたくなる名前だ。

「よろしくお願いします」

 彼の手を取る。しかし反応がない。

 違和感を感じて彼の顔を見ると、そのあまりの異様さに思わず手を引っ込めてしまった。

 彼の顔から、一切の表情が抜け落ちていたのだ。

 目の焦点が定まらず、ぶつぶつと小声で何かを呟いて、半開きの口からは涎が垂れている。

 何これどうしよう。本当に怖いんだけど。

 しかし周りの人たちは特に驚いた様子もなく、

「あーあ、ゾーン入っちゃったか」「みたいだね」

 籠目さんが肩をすくめ、満太が溜息をついた。

「あの、どうしちゃったんですか倉井さん?」

「何か閃くといきなりこうなっちゃうんだよ。人と話してようと食事中だろうとお構いなしで、一度こうなるとしばらく戻ってこない。仕方ないから放っておこう。ああ、うかつに近づくと涎を飛ばしてくるから気を付けて」

 断トツでやばい人じゃないか。

 ただでさえアウェイなのに濃いキャラばかりで、もう完全にキャパシティオーバーだ。

 助けを求めるようにつばめちゃんを見ると、諦めろというように首を振った。

「メンバーはこの三人で、あとリーダーがいるんだが、今は外していてね。そのうち戻ってくるだろう。本題はそれからになるだろうから、それまで訊きたいことがあったらなんでも訊いてよ。答えられる範囲で答えるよ」

 今のところ唯一の良心と思われる籠目さんが、フロアの手前にある応接セットに俺たちを案内しながらそう提案してくれた。

「コーラでいいかい?」

 冷蔵庫から缶を取り出して投げてくれる。

 質問タイムは有難いが、訊きたいことが多すぎて悩ましい。俺がコーラをちびちび飲みながら考えていると、満太がうずうずした様子で、

「俺とつばめちゃんはいいよね? ね、今のうちに勝負しよう!」と言い出した。

 つばめちゃんはまた面倒そうな顔をしたが、「仕方ないですね」としぶしぶ席を立つ。

「あの、勝負って?」

「ん? ハッカーの勝負って言ったらCTFに決まってるだろ。俺とつばめちゃんは終生のライバルだから、競い合って互いに高め合うのさ!」

 満太は自分のノートパソコンを掲げて得意げにそう答える。身長の割にやけにゴツくて大きいパソコンだ。

「CTF?」

「キャプチャー・ザ・フラッグ。予めどこかに隠された答えやファイルを先に見つけ出した方が勝ちという、セキュリティ技術を競うゲームみたいなものさ」

 籠目さんが補足してくれる。

 そんな漫画みたいな勝負を本当にするのか。公務員が、仕事中に。

「でも前に私が勝った時、もう二度と勝負挑んでこないと約束したですよね」

「じゃあその約束の履行を賭けて勝負だ!」

「意味がわからないです。じゃあそれに加えて、今日の夕飯賭けるです」

「望むところだ!」

 賭けるモノが決まったらしい二人が雌雄を決しに奥の部屋に入っていくと、俺と籠目さんの二人だけが残った。あと一応倉井さんも。

「まったく、しょうがないやつだよ。まあ確かに遊びみたいなものだけど、互いのスキル向上のためってのは本当だよ。技術的なことは実際にやってみせた方が早いからね。それに新しい技術を学んだら使ってみたくなるのも私たちの性でもある」

 そう言って籠目さんは笑う。

「私たちって、いわゆるホワイトハッカーってやつですか?」

「ホワイトもブラックも一緒さ。好奇心旺盛で新しいもの好き、自己顕示欲の強い人種なんだよ。大事なのはそうやって身に着けた技術を何のために使うかってことだ。私たちは、この場所で戦うことを選んだ」

 改めてフロアを見回す。役所のオフィスにしては無秩序な印象を受けたが、各々が働きやすい空間を作っているということなのかもしれない。

 イメージとは違ったが、どうやらここは正真正銘ACTの特捜課で、彼らは日本最高峰のハッカーのようだ。

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