017 少年は足を踏み入れる
「からかわないですよ籠目さん。柊さんは他人を疑うことを知らない人ですから」
「はっは、ジョークジョーク」
ジョークがトリッキーすぎる。人生で一番びっくりしたかもしれない。
「ふふ。そんなに私は若く見えるかな?」
俺の驚きっぷりによほど満足したのか、籠目さんは愉快そうに笑っている。
若いというより、むしろ年齢以上に大人びて見える。Tシャツにデニムパンツというラフな出で立ちに、髪型も長めの髪を後ろでしばっているだけで飾り気がない。しかしそのシンプルな佇まいがまた凛としていて、彼女によく合っていた。
「じゃあ行こうか。みんな中で待っているよ」
籠目さんが通用口を抜けて中へ入っていく。俺とつばめちゃんも後に続いた。
ほとんどの日本人がそうだと思うが、警視庁の庁舎に入るのは初めてだ。歩いているのはほとんどが職員、本庁勤務のいわゆるエリート組というやつだろう。
そしてその中を行軍する、Tシャツジーンズの女性、よれよれパーカーの少女、男子高校生の三人組。すれ違う全員が胡散臭そうな目を向けてきて、まるで補導される不良少年の気分になる。
「ここから先がACTの東京支部だよ」
籠目さんが立ち止まって指し示した先、廊下の両側には、ガラス張りの空間が広がっていた。中には多くの職員がいて、モニターを眺めたりキーボードを叩いたりしている。
「このフロアはシステムの運用や監視をしているオペレーションセンターってところかな。私たち特捜課の職場はもっと奥だ」
また少し歩き、廊下の奥に設置されているセキュリティゲートに籠目さんがカードキーをかざすと、ゲート上部のランプが点灯してゲートが開いた。
「さあ入って……あ、その前に二人とも、スマホとか通信機器を持っていたら渡してもらえるかい。ここで預からせてもらう」
「えっ? ダメなんですか?」
「この先は一応、日本のサイバーセキュリティの総本山だからね。外部からの通信機器の持ち込みは一切禁止なんだよ」
そう言われると納得はいくけれど、さてどうしたものか。
スマホを預けるのは構わないが、目を置いていけと言われても困ってしまう。
「だいじょぶですよ、正直に言えば」
つばめちゃんにそう言われ、俺は人工視覚のことを打ち明けることにした。
籠目さんは俺の話を聞いて最初は驚いた顔をしたが、
「そう。そういう事情なら特例ってことにしとくよ」
あっさりと認めてくれた。
「ただ、外からの電波が届きにくいんだけど、大丈夫かな。見えなくなったりとか……うわっ、気持ち悪いな君のスマホ」
俺のスマホを指先でつまむようにビニール袋に入れながら、籠目さんが心配そうに訊いてくる。彼女も虫は嫌いか、残念。
「たぶん大丈夫です。電波が弱くてもせいぜいノイズが走るくらいなので。最悪、内蔵機能だけでもぼんやりとは見えますし」
「そうかい、なら良し。つばめちゃん、パピコは?」
「いないです」
つばめちゃんは平然と言うが、俺は知っている。
嘘だ。いる。
「ホントかなあ。おおい、パピコ!」
「我が名を呼ぶのは誰じゃ」
籠目さんが呼びかけると、つばめちゃんの鞄から芝居がかった声が聞こえてきた。
「おや、今しゃべったのは誰かな?」
首を傾げて意地の悪い顔をする。
どうやらパピコのこともよく知っているようだ。
「固い事言わないですよ。通信は切っておくですから」
嘘がバレたつばめちゃんがそれでも食い下がろうとするが、籠目さんは「ダーメ」と首を振る。
「ケチ、わからず屋」
「そうだとも、よくわかってるじゃないか」
双方なかなか譲らなかったが、最終的にはつばめちゃんが折れた。
「いっときのお別れです。必ずやまた……」
「ああ、この程度でわしらの絆は揺るぎはせん」
大袈裟な別れのシーンのあと、つばめちゃんが「パピコ、シャットダウン」と告げると、ヤモリ型ロボットは完全に沈黙した。そういえばまたキャラが変わっていたような。
俺のスマホと同じ袋にパピコを収納した後、ようやく籠目さんはゲートを通過した。
廊下の突き当りを抜けると、エレベータホールに出た。一番奥のエレベータのパネルの前に籠目さんが立つと、上部のランプが点灯した。エレベータが呼び出されたようだ。
「顔認証だよ」
物珍しげな俺の視線に気づいたのか、籠目さんが教えてくれる。
到着したエレベータに乗り込むと、また籠目さんは「見ないでねー」と身体で操作パネルを隠して何度かボタンを押した。
「それも認証ですか?」
「これはシンプルな暗証番号方式だけれどね。何度も間違えると警報が鳴る。ああ、このことは口外無用で頼むよ。洩れたら君のせいだと断定するからね」
そんな理不尽な。
「でも、凄いセキュリティですね。ここまで厳重にするものなんですか?」
「私たちが一番恐れているのは人間そのものだからね」
「人間?」
人間を一番多く殺している生き物は人間だとか、そういう話か?
「どんなに堅牢なセキュリティを構築しても防げないのが、生身の人間に狙われる場合、そして生身の人間が狙われる場合だ。人間の心や身体には必ず脆弱性が存在する。君がどんなに長くて複雑なパスワードを設定しようと、うっかり背後から覗かれたら終わりだろう? 簡単に言えばそういうことだ」
「ソーシャルエンジニアリングですよ、私の苦手な」と皮肉っぽくつばめちゃんが言う。
総じて便秘にはリンゴ?
俺の心の内の疑問に答える者はなく、エレベータは虚しく地下へと進む。
つばめちゃんを見ると、何故か少し口を尖らせていた。籠目さんと会ってからだろうか、キャラクターが少し変わったような気がする。姉に甘える妹というか、駄々っ子みたいな……。
何故だろう、少し胸が苦しい。
エレベータから降りると、薄暗い廊下に出た。
すぐ脇に給湯室、その前にベンチが置いてあり、さらに奥に進むと自動扉が見える。
「さあ諸君、日本最高峰のホワイトハッカーが集う秘密基地へようこそ」
籠目さんの台詞に合わせて、扉が開いた。
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