014 少年は追想する
***
二年前——二〇三四年の夏、世界を震撼させる事件が起こった。
世界各国の情報機関から膨大な量の機密文書が流出し、インターネット上に公開されたのだ。
米国をはじめ、イギリス、ドイツ、フランスなどの欧州各国、ロシア、中国、インド、オーストラリア、イスラエル……日本も例外ではない。主要国の名だたる機関がすべて、同時にサイバー攻撃を受けた。
世界は恐慌状態に陥った。
どの国も例外なく後ろ暗いことをしていたからだ。表面上は友好関係を築きながら、裏では苛烈極まる情報戦が繰り広げられていた。もちろんどの国もそんなことは承知の上だったのだが、問題はそれが公になってしまったことだ。
狂騒は半年ほど続いた。
しかし文書を公開した張本人が一度もメディアに姿を出さず、それらの情報が本物であるという裏付けが提示されなかったため、最終的にはすべては有耶無耶にされ、闇に葬られた。
そしてこの史上最悪と言われるリーク事件を起こした人物として国際指名手配されているのが、稀有な才能を持った数理脳科学者、下村拓海。
自らが開発した新型の人工知能を利用し、暴走させることにより各機関のシステムに不正侵入したとされている。
俺の実の父親である。
***
「親父がなんであんな行動に出たのかはわからない。でもあの事故がきっかけだったのは間違いないと思う」
二人で炬燵を囲んで話していると、まるで他愛のない昔話でもしているような気がしてくる。
なんて、そんな能天気なことを考えてしまうのは、やはり俺が親父の息子だからだろうか。親父は深刻な話を深刻に話すことを嫌う人間だった。
「あの日は、親父にとって特別な日だった。親父の夢が叶う日になるはずだったんだからね」
***
運転席の親父は、煙草の煙を吐きながら上機嫌に鼻歌を歌っていた。
「ねえパパ、服に煙草の匂いついちゃうよ」
隣に座るドレス姿の刹那が、手をパタパタと煙をかき消しながら親父に文句を言う。
「ああ、悪い悪い。謝る。臭くてごめん」
「うん……え、謝っただけ!?」
「屁は笑い草,煙草は忘れ草ってな。今日のこと、あれこれ考えすぎて事故っちまいそうだからさ。お前だって楽しみだろ? 初めて
「まあね。でも人に見られるのはやっぱ恥ずいなあ」
刹那は照れくさそうに呟く。
「そうか? “あれ”はお前自身なんだから恥ずかしがることないだろ。世界中の人間が目にすることになるんだ、今からそんなんじゃ緊張で死んじまうぞ」
「そうだけどさあ。自分だけど自分じゃないっていうか……パパだって、自分でやってみればよかったのに」
「俺の脳じゃ駄目さ。古いし、考えが偏ってるからな。下手したら人類を滅ぼそうとしかねない」
そう言って笑うが、親父は傍目にも良からぬことを企んでいるマッドサイエンティストにしか見えないことがあるので、その発言は割と笑えなかったりする。
「それ、パパが言うとシャレになってないよ。ねえ兄ちゃん」
同じことを思ったらしい刹那がそう振ってきた。
俺は視線を外に置いたまま、「ああ」と短く答える。
我ながら不貞腐れた子供みたいだ……まあ、不貞腐れた子供なんだけど。
今日は、親父が所属する理化学研究センターのとあるプロジェクトのセレモニーがあるらしく、半ば無理やり連れて来られたのだ。なんでも親父が開発した新型人工知能とやらのお披露目、そして本格運用の開始を祝うセレモニーらしい。
人工知能のモデルとやらになった刹那はわかるが、まったく関係のない俺が何故付き合わされなければならないのか。
俺は、親父たちが何をしているのか詳しく知らない。
というより、知ろうとしてこなかった。
セレモニーなんかに出ても、俺だけ場違いになるのに決まっているのだ。
「まったくもう」
親父の煙草を消すことを諦めたらしい刹那が、口を尖らせながら車の窓を開ける。
刹那は、一つ違いの妹だ。
神様が遺伝子の配分を間違えたとしか思えないほど俺とは何もかもが違っていて、傑出していた。
父親譲りの頭脳に母親譲りの容姿。いわゆる才色兼備というやつだ。コミュニケーション力や適応能力も高く、友人はきっと俺の百倍以上はいる。異性にもモテるだろう。たぶん月一くらいで校舎裏に呼び出されている、と勝手に予想している。
兄妹間格差はそれだけじゃない。
俺は天然パーマなのに刹那はサラサラヘアー。俺は重度の花粉症なのに刹那はまったく平気。俺は胃が弱いのに刹那は朝からご飯三杯。俺だけ外反母趾。俺だけよく虫歯になる。視力。ニキビ。手相。エトセトラ。
俺が勝ってるものといえば、身長と体力と声の低さくらい。
まったくもって嫌味な妹だ。
と、そんなことを考えているうちに、車は長い海中トンネルを抜けようとしていた。標識には川崎市とある。
「あっ海抜けたね!」
刹那が向日葵のように太陽に反応する。
「この辺の工業地帯は夜景が見事なんだよな。帰りに近くまで行ってみるか?」
親父の提案に、刹那が嬌声をあげる。まるで仲の良い友達同士だ。
「帰りなんて、それどころじゃないんじゃないの? 稼働が上手くいかない可能性だってあるんだろ」
「それはそれで、夜景でも眺めながら泣きたいじゃないか」
俺が水を差しても、親父は適当なことを言って笑う。
はあ。
ため息をついて、窓の外に目を向ける。車窓から覗く空は、素直じゃない俺を責めるように爽やかに晴れ渡っていた。
「ねえ兄ちゃん」
刹那が話しかけてくる。
「皆でドライブって久しぶりだよね。旅行みたいでワクワクしない?」
「ああ、そういえば……何年ぶりだろうな」
考えてみたら、最近は家族で出かけるどころか、一緒に食卓を囲むことすらほとんどなくなっていた。ドライブなんて本当にいつ以来だろう。
母さんが死んで、もうすぐ三年になる。
あれから親父はますます研究に没頭するようになり、その研究に刹那が関わるようになってからは二人とも家を空けることが増え、俺が自然と家のことをやるようになっていた。
『父さんと刹那をよろしくね』
母さんが俺に残した言葉だ。
その約束が果たせているのかどうか、正直よくわからない。親父も刹那も、俺がよろしくするまでもなく、好きなように生きている。
車は工業地帯の中を順調に進んでいく。
遠くに製油所のプラントが見えた。SF映画に出てくるような化け物じみたスケール。工業地帯の景色というのは、近未来的でストーリー性に富んでいて、男心をくすぐるものがある。
夜景には興味はないが、たまには家族でそういうのも悪くないか。
刹那のこんな嬉しそうな顔を見るのも、ずいぶん久しぶりだし。
きょろきょろと景色を見回している刹那に言葉をかけようとした、その時だった。
「うおっ!?」
親父が叫んだ。と同時に、車が左右に大きく振れる。
「うわっ」「きゃっ」
後部座席の二人も思わず悲鳴をあげた。
「ちょっとパパ、どうしたの!?」
「わからん、ハンドルが勝手に……!」
見ると、父が手を触れていないのに、ハンドルが左右に回転している。
故障か?
いや、壊れてハンドルが効かなくなるならまだわかるが、勝手に動きだすなんてトラブルは聞いたことがない。
幸か不幸か道は空いていて、周りの車にぶつかることはなさそうだが、その分スピードが出てしまっている。
このままでは危険だ。
「親父、とりあえず路肩に停めよう!」
「さっきからそうしようとしてるんだが……」親父は顔を青ざめさせて言った。
「ブレーキが効かない」
刹那が小さく悲鳴をあげる。
そんな馬鹿な。
しかし親父の態度を見ればそれが嘘ではないことはわかるし、親父はこんなタチの悪い冗談を言うような人間では、多分にあるけれども、あるがしかし、今回は違うと言い切れる。
刹那を危険にさらすような真似を、たとえ冗談でも親父がするはずがないのだ。
車はさらに大きく蛇行を繰り返すようになってきた。心なしか速度も上がってきている。
「まさか、あいつか!?」
親父がバックミラー越しに後方を気にしながら言った。見ると、数十メートル離れて一台の車がついてきている。
「兄ちゃん」
怯えた声で呼ばれ、見ると、気丈な妹が今にも泣きそうな顔をしていた。
思わず手を重ねると、強く握り返してきた。
「お前ら、シートベルトは!?」
「大丈夫、してるよ!」
車が大きく右に曲がる。
反対車線に飛び出る——と思いきや、弧を描くように左へ旋回した。
高速道路の壁が正面にくる。
地上二十メートルの高所にある首都高の壁は低く、いかにも脆そうだった。このまま正面から衝突したら……
車ごと落下する。
刹那の悲鳴。強く手を握る。
衝撃——轟音。
そして浮遊感。
地球の重力に引き寄せられる。
運河の水面がフロントガラスに迫ってくる。
そのくすんだような紺碧色が、俺が人生で最後に見る色になった。
***
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