013 少年は暴かれる
「ハッカーってスパイ映画みたいでカッコいいよね。俺も頑張ればなれるかな?」
「ですね」
「今日の夕飯、何か食べたいものはある?」
「ですね」
「俺ってイケメンだと思う?」
「ですね」
「……ですか?」
「ですね」
「…………」
「ですね」
時計の針はちょうど八時を指している。
つばめちゃんはずっと上の空で、何を話しかけても「デスネ」しか言わないつばめちゃん人形(非売品)になってしまっていた。元より生気が乏しい印象の彼女がそんな状態だと、何か不吉なことが起こる前兆に思えて仕方がない。
様子がおかしくなったのは、二時間前、彼女が何かを発見したらしい時からだ。キーボードをたたく彼女の指が急に止まったのでふと見ると、画面を凝視したまま固まるつばめちゃんがいた。
何を見つけたのだろう。
しかし彼女から何かを言い出す気配はない。
「つばめちゃん、そろそろ夕飯にしない? 昼から何も食べてないでしょ」
「いえ、先ほど海苔を食べたですから」
「海苔って……」
「ちゃんと刻んであったです」
「刻み海苔……」
彼女が食に興味を失うとは、よほどの事態ではなかろうか。
いずれにせよこのままでは埒が明かないので、こちらから直球を投げてみることにした。
「つばめちゃん、さっき何かに気付いたようだったけど」
わかりやすくぴくっと反応する。
「いえ、別に何も。このキーロガーの作者はチョロ太郎と違ってかなり慎重ですね。追跡は厳しそうです」
「そっか。そうすると、やっぱりお金を取り返すのは厳しそうだね」
彼女の敗北宣言は、イコール犯人への道筋が途絶えたことを意味する。
「ま、それならそれで仕方ない。依頼に来たのもダメ元だったし、お金は諦めるよ」
つばめちゃんは黙っている。
「どうせ使うつもりのないお金だったんだ。それより、ここまでやってくれたのに報酬が払えなくて申し訳ない。ああ、もちろん着手金と経費は払うけど、給料日まで待ってもらえると嬉しいな」
嘘ではない。その証拠に、俺が喋るたびに顔をこちらに向けてくるパピコが黙ったままだ。
そう、俺は決して嘘はついていない。
「逃げようったってつばめちゃんからは逃げられないわけだし、そこは信用してよ。じゃあ俺、荷物取ってくるから」
「柊さん」
三階に向かおうとした俺の足を、彼女の声が止めた。
「あなた、目が見えないのじゃないですか?」
……空気が凍ったような感覚。
背中を向けているので、彼女がどんな顔をしているのかはわからない。振り向いて確認するべきなのかもしれなかった。
それが、機械の目に映ったモノクロの映像でしかないとしても。
沈黙が場を支配する。空調の音が急によそよそしく思えてくる。
「正確には“目が見えない”ではなく、“その目はあなた自身のものではない”ですか。あなたは二年前、交通事故で両目を失った。その目は人工視覚の義眼ですね、柊さん——いえ、下村翼斗さん。あなたはAWBの開発者、下村拓海の一人息子です」
ようやく振り向くと、彼女と目が合った。感情を押し殺すようにじっと俺を見つめている。
「ごめん」
何と返せばいいかわからず、ただ謝る。
予感はあった。しかし、できれば知られたくない事実だった。
「謝るのはこちらです。本来、依頼人のバックボーンを勝手に調べたりはしないのです。この世界で詮索はご法度ですし、他人の個人情報を盗み見るなんてブラックハッカーのやることですから」
疑った者と暴かれた者。気まずい空気が二人の間に流れる。
「どうしてわかったの?」
「何かを隠していると感じたのは最初からです。でも少なくとも、柊さんが私に話した内容に嘘はなかった。本当はそれで充分だったのですよ。けれど、この事件は不可解すぎる。あなた個人が狙われている理由がどうしてもわからなかった。不可解の裏にも必ず解は隠されているものです」
「ああ……」
あの時。
つばめちゃんが何かに気付いて驚愕の表情を浮かべた時、彼女はマルウェアの解析でもトラップの監視でもなく、俺の正体を調べていたのだ。
「この目のことも、俺のことを調べてわかったの?」
「それに関しては別の理由からです。覚えてるですか、私が通信機器について『ペースメーカーか?』と質問した時、あなたは微妙にはぐらかし、『身体に取り付ける医療機器』だと答えた。ペースメーカーじゃないとすればなんでしょう? 私が人工視覚ではないかと思ったきっかけは“色”でした」
やはりそうか。
「決定的だったのはパピコのカラーリングについての会話です。私が『タンジェリンとはオレンジのことだ』と言うと、あなたは『オレンジ色のトカゲなんて珍しい』と応えたですね。おかしいです。パピコの体色は、誰がどう見たって“淡いイエロー”なのですから」
まったく、こういう落とし穴があるから言葉というのはややこしい。オレンジの名前を冠するならオレンジ色であるべきだろうに。
そんなことは関係なく、彼女には遅かれ早かれ見抜かれていたのだろうけど。
「あなたが下村翼斗さんであるとわかり、辻褄が合いました。その……あなたが事故で両目を失ったことも、当然わかってしまうですから」
つばめちゃんは苦しそうに話す。
なるほど、そういう違和感が積み重なって、彼女は俺のことを調べようと考えたのだろう。
俺の脳に取り付けられた人工視覚は世界的に見ても珍しいものだ。
一般的な人工視覚というと、人工網膜だったり、眼球の奥にある視神経を刺激するものが多いのだが、俺の場合は網膜でも視神経でもなく、脳に直接情報を入力するタイプのものだ。義眼のカメラ映像を外部システムで変換、脳に埋め込んだ装置に送信し、電極アレイで視覚野を刺激する。
映像としてはそれなりに鮮明に見えるが、“色の再現ができない”という弱点がある。だから俺の視界は昔のフィルムのように常にモノクロだ。
言うまでもなく、リスクの高い脳外科手術と高額な費用が必要になるので、視神経を損傷したのでなければこの方法に頼る必要はない。
俺の失言を敏感に察知し、色盲でなく人工視覚と結びつけられたのは、注意深い観察力はもちろん、彼女がこの人工視覚の“色が識別できない”という特徴を知っていたからだろう。
「博識だなあ、つばめちゃんは」
別に騙そうとしたわけではない。ただ言いたくなかっただけだ。
俺は彼女に嘘はついていない。現在の名前や身分はすべて本物だし、公的証明もできる正式なものだ。
だが彼女は、今の俺でなく、秘匿していた過去の俺を見破ったのだ。
「君の言う通り、俺の目は作り物だよ。ヤモリの色も車の色も、天気がいいのかどうかだってわからない。そして“あの下村拓海”は確かに俺の父親だ。でも、それが今回の事件と何か関係が?」
つばめちゃんは首を振った。そして、
「それはまだわかりません……ただ」
今にも泣きそうな表情をしてこう言った。
「二年前、拓海さんを逃がしたのは、私なのです」
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