012 探偵にも限界はある
オンボロミニを停めた場所まではそれほど離れていなかったので、歩いて戻ることにした。
灰色の空の下、猫背でふらふらと歩くつばめちゃんと、現実感のない出来事の連続でふわふわとした足取りの俺。外からは兄妹のように見えているだろうか。
「あわっ」
突然——本当に突然、つばめちゃんが何もないところで転んだ。
べちゃ、という擬音が聞こえてきそうな、全身で地球を感じられそうな転び方だった。
「大丈夫!?」
「……大丈夫、わざとです」
意味が分からない強がりを言ってよろよろと立ち上がるが、痛そうにしていた。足をくじいたらしい。
普通、中学生にもなれば道端で転ぶということはほとんど無くなるものだが、彼女は歩き方からして不安定で危なっかしいところがあったし、それに昨日からずっと寝ていない。肉体の疲労も限界のはずだ。
彼女の肩と膝に手を回してひょいと持ち上げる。
「ちょっ! 何するですか!」
「車まで運ぶよ」
「だいじょぶです! 下ろすです!」
腕の中でじたばたと暴れる。
「怪我してるんだから遠慮しないでいいって。俺、体力だけは無駄にあるから」
何を言っても無駄だと思ったのか、彼女は諦めたように言った。
「……せめてお姫さま抱っこはやめるです」
結局背中におぶって車まで歩くことになった。彼女はとても軽く、リュックを背負ってるくらいの重みしか感じない。
「柊さん、チョロ太郎をそそのかした女とあなたにうちを紹介した女は、恐らく同一人物です。コンタクトを取れるですか?」
背中越しに訊いてくる。
「うーん、どうだろう。彼女がゲームにログインしてたらメッセージを送れるけど、さすがにもういないだろうし……あれ?」
そこで俺はある矛盾に思い当たった。
「なんで彼女は、わざわざ俺に君の事務所を紹介したんだろう? あの時もうお金は奪われてたんだから、向こうからしたらもう俺に関わる理由は無いはずなのに」
俺の疑問に対して、つばめちゃんは彼女が考え事をする時のクセである、身体を左右に振るという動きをした。
「ちょ、危ないって」
「そう、そこが謎なのです。あなた個人を狙ったことに何か別の意味があるのか……」
それからしばらくメトロノームのように身体を振っていたが、やがて考えるのは諦めたようで、「とにかく調査を続けるです。このままじゃ報酬ももらえないですからね」と開き直るように言った。
「そう言ってくれると助かるよ。俺の方でも、一応コンタクトを取れないか試してみる。望み薄だとは思うけど」
「お願いします。私もその女を特定できないか試してみますので」
「どうやって?」
「定石通り、トラップを仕掛けてみるです。別の取引所の偽サイトを用意して、このスマホからログインして柊さんの口座が他にもあると思わせる。まだ犯人が柊さんのスマホのキー入力を盗み見ていて、うまく釣れれば波多野と同じやり方でクラッキングできるです。ここまで慎重な犯人が引っ掛かる可能性は低いですが……あとは一応、キーロガーをアセンブリで読んでみるですかね」
「汗ブラ「アセンブリというのは機械語と対応する低水準プログラミング言語です」
慣れてきたのか、俺の聞き間違いを先回りして解説してくれた。しかし残念ながら解説の内容がわからない。さすがのつばめちゃんにも疲れが見える。
「AV女優風呂「低水準プログラミング言語とは人間よりマシンに近い言語のことです。アセンブリは機械語をニーモニックで置き換えたものでアセンブリをアセンブラでアセンブルすると機械語になり機械語を逆アセンブラで逆アセンブルするとアセンブリになるです。機械語はバイナリです。二進数です。美しいです。みんなで読もうアセンブリ」
ついにつばめちゃんが壊れた。
「……うん、それで?」
「逆アセで静的解析とVMエミュレートで通信先C2サーバのFQDNとIP抜いて他のサンプルコードとクラスタリングでFTPかSMTPの埋め込み認証情報が」
「ありがとう、もういいよ」
呪文の詠唱にしか聞こえない。
俺の頭をぽかぽかと叩きながら呪文を唱え続けるつばめちゃんを車まで運び、無事に事務所に戻った後、軽い昼食を取ってから、それぞれのやり方で真犯人の調査にチャレンジすることになった。
一度休んだ方がいいと勧めたのだが、彼女は「大丈夫」の一点張りでパソコンにかじりつく。その姿はどこか焦燥に駆られているようにも見えた。
結論から言うと、いずれの方法も上手くはいかず、犯人を特定することはできなかった。
俺がフレンドだと思っていた人物は二度とコミュニティに姿を見せることはなかったし、つばめちゃんの方も収穫は無かった——
しかしただ一つ、まったく別の手がかりを、彼女は見つけた。
それは犯人ではなく、俺の正体に関わるある事実だった。
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