010 探偵は強引に迫る
警察署までと伝えると、運転手は場所を心得ているようですぐに発進した。
「お客さん、何か被害にでも遭われたんですか?」
自分の子供くらいの年齢のはずだが、敬語で話しかけてきた。賞賛すべき職業意識というか、接客業だしそれが当たり前なのだろうけど、どうにも違和感を感じてしまう。
「ええ、この人がお金を盗まれたので、これから取り返そうと思ってるですよ」
「ありゃ、そりゃ災難ですね。どれくらいやられたんです?」
「五千万円です」
つばめちゃんの言葉に驚いたのか、運転手はしばし絶句していた。
「それはまた……どうやって盗まれたんです」
「フィッシング詐欺ですよ。取引所のフォーリーブスの偽サイトを使った昔ながらのしょっぱい手口です」
赤信号でタクシーが停車する。
「こんなのに引っ掛かる方にも問題はあるですが、それでも騙す方が悪いに決まっているですから、犯人には罰を与えなければなりません。それにこれは不思議なのですが、どうも犯人はこの人だけを狙ったみたいなのですよ」
つばめちゃんは俺をちらりと見た。
「ただ、この人を騙せて味をしめたのでしょう。また同じ手口で他の人をターゲットにしているようなのです。五千万円で満足しておけば足がつくこともなかったかもしれないのに、いえ、どのみち私が捕まえるのですが、まったく愚かなことです。そうは思わないですか、運転手さん」
信号が青に変わり、車が発進する。
と、なぜか交差点を左折した。警察署は今の道をまっすぐのはずだ。
「あの運転手さん、今のところは直進ですよ」
「いえ、ちょっと急に体調が悪くなってしまったもので。誠に申し訳ないのですが、ここで降りていただけますか。お代は結構ですので」
運転手は慇懃無礼にそう言うとハザードランプを点け、路肩に停車した。
「降りてもいいですが、お金は返していただきたいですね、フィッシング詐欺犯のチョロ太郎こと、波多野哲夫さん」
波多野がバックミラー越しにつばめちゃんを睨みつける。
「言っている意味がわかりませんね。早く降りないと……」
凄もうとする波多野の言葉が終わらないうちに、車が急発進した。
「えっ……あれっ!?」
波多野は慌てて足下に目を向けるが、彼の足はブレーキにしっかり置いたままだ。
車はぐるりと旋回してUターンすると、今来た道を戻り始めた。
「言うことを素直に聞かない悪い子はケーサツでお仕置きしてもらうですかねえ」
車の制御システムを乗っ取ったスマホでタクシーを淀みなく走らせる。波多野はいまだ何が起きているのか理解できていない様子だ。
つばめちゃんが突き止めた犯人のスマホには、持ち主のありとあらゆる情報が詰まっていた。本名や職場、家族に交友関係、誰とどのようなやり取りをしているか、そして勤怠スケジュールに現在位置まで。何より大きかったのは、波多野が個人で動いており、犯罪組織の一員ではなかったことだ。
ただ、盗んだジットをどこに移したのかはわからなかった。別の端末を使ったのだろう。だからこうして直接取り返しに来たのだが……。
「つばめちゃん、危ないって!」
昨日もそうだったが、犯罪者と直接対峙するなんて常識的に考えて危ない橋に違いないのだ。もっと安全で確実なやり方があるはずだ。なのに彼女は俺の心配なんて歯牙にもかけず、朽ち果てた吊り橋を全速力で駆け抜けようとする。
単純にサイバー探偵として見せ場を作りたいというヒロイックな理由なのかもしれないが(それはそれで問題だけど)、どうも自らを渦中に置きたがっているような、自傷癖じみた危うさを感じてしまう。
「まさか、お前が!? おい、やめろ!」
波多野はようやく車の暴走の原因を悟ったようで、後部座席のつばめちゃんに怒声を浴びせる。が、皮肉なことにタクシーには運転手を守るため全部と後部を隔てる仕切りがあり、直接向こうから手を出すことはできない。
「波多野さん、あなたが日本に住んでいて助かったです。これがもし中国やロシアだったら、面倒どころの話ではないですから」
「何してんだおい! 早く停めろ!」
「停めてほしかったら観念してお金を返すですよ。ほら、早くしないとこのままケーサツの正面玄関に突っ込んじゃいますよ。ほれほれ」
車を蛇行気味に動かして運転手を煽るつばめちゃんと、打開策が見つからずあたふたとする波多野。俺は俺で、動悸と手汗が大変なことになっていた。ただでさえ車が苦手なのに、これでは地獄だ。
「つばめちゃん、これ、こっちも犯罪になっちゃうんじゃないの!?」
と今更感のある指摘をしてみるが、つばめちゃんは「それを言ったらウルトラマンは建造物等損壊罪および往来妨害罪で最大七年以下の懲役ですよ」と、聞く耳を持ってくれない。
しかし、日本の一般道をノンストップで走り続けるというのも難しい。信号というものがあるからだ。案の定、すぐに赤信号に捕まった。
タクシーが停車すると、波多野はチャンスとばかりに車を降りようとした。
ロックを解除してバーを引く。が、開かない。ロックがかかっている。
ロックを解除して再びドアを開けようとする。しかし開かない——ロックがかかっている。
つばめちゃんは、ロックシステムのコントロールをも奪っているのだった。
波多野がロックを解除した瞬間に彼女が再びロックをかけてしまうため、哀れな運転手は半永久的に車から出ることができない。
「うふ、無駄ですよ。あなたがどんなに速く動こうと私の高速連打には叶わない。ここはあなたの監獄、私の許可なく出ることはもはや叶いません。これぞ秘技、エターナル・ジェイル」
途方に暮れている波多野に好き勝手なことを宣って悦に浸るつばめちゃん。これが彼女にとってのご褒美タイムなのだろう。
そして青信号。動き出すタクシー。
波多野はいよいよ観念したようだった。
「わ、わかった、認めるよ! 確かに俺は金を盗もうとした!」
ついに白状した。
よかった。刃傷沙汰にもならずに無事解決に至りそうだ。
しかし次に波多野が口にした言葉は、こちらのそんな期待を裏切るものだった。
「でも、盗んじゃいない! 口座に金は入ってなかったんだから!」
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