009 探偵はクイズを出す
ニュースは次のトピックスへ移り、先ほどまで真剣な顔をしていたアナウンサーは満面の笑みでアイドル歌手と俳優の電撃結婚について騒ぎ立てていた。つばめちゃんはその手の話題には興味が無いらしく、上の空で画面を見つめている。
そろそろ本題に入ってもいい頃合いだろう。
「それでつばめちゃん、犯人がわかったって話だけど」
「ハンニン?」と首を傾げる。
忘れちゃった!?
「いやほら、調べてくれたんでしょ? 夜遅くまで」
すると、ああそういえばといった感じで、「ええ、簡単に掛かってくれたです」と事もなげに言った。
「すごいな、こんなに早く。どうやって?」
「さて問題です。どうやって犯人を見つけたでしょう?」
まさかのクイズ形式……!
俺の知識レベルからすると、鼻タレ小学生が東大入試問題にチャレンジするようなもので、問題用紙で鼻をかむくらいが関の山だと思うのだけど。
答えがわからない時は、問題文中のヒントを頼りに解答を類推するしかない。先ほど彼女は「掛かった」という言い方をした。
「昨日みたいに、何かトラップを仕掛けた?」
「ピンポンです。具体的には?」
う。答えだけでなく解答プロセスも求められる問題だったか。
「ええと、罠にかけるためには犯人にエサを見せる必要があって。でも昨日の事件と違って犯人との接点はないわけだから……つまり……ええと……」
ダメだ、鼻かむしかねえ。
「いいセンいってるですよ。ではヒントを。今回はメールしか残ってないですから、こちらから追跡することはできなかった。犯行現場に痕跡を残していない泥棒を捕まえようと思ったら、柊さんならどうするですか?」
「追いかけることができないなら……またどこかの家に入るかもしれないから、そこを捕まえるとか?」
思い付くままに言ったのがどうやら正鵠を得ていたらしく、つばめちゃんはニヤリと笑った。常に眠そうな顔の彼女がそんな風に笑うと、主人公の力量不足を嘲笑う敵キャラのようにも見える。
「柊さんもわかってきたですね。他にも、たとえば仮想通貨のアドレスを辿るとか、犯人が分散させた先の取引所をクラックするなどの方法もあるにはあるですが、盗まれてからもうだいぶ時間も経ってしまってますし、なるべく面倒は避けたいところです」
人差し指をくるくる回しながら得意げに話す。これも彼女が大事にしている“探偵の見せ場”というやつなのかもしれない。
「では解答編です。まず、テンプレートな手口からして、犯人は恐らくフィッシングのツールキットを使っている可能性が高い。そして柊さんの件で味をしめたとしたら、似たような手口で別の人にフィッシングを仕掛けている可能性がある。そう考えて、私が作ったウェブスキャニングツールで探してみたら、非常に類似した条件において一件だけヒットしたですよ」
なるほど、考え方についてはなんとなくわかった。泥棒に入られた家と同じ条件の家を探したというようなことだろう。
が、途中聞き捨てならないことを言っていた。
「ツールキットって、もしかしてフィッシングが簡単にできる道具ってこと? そんなものがあるの?」
「はい。釣り竿と針とエサのセット販売です。簡単なものなら探せばいくらでも見つかるし、ダークウェブにはもっと高度なツールも売ってるですよ」
「ダークウェブ?」
「インターネットの深層にある魔窟です。匿名性が高いために犯罪の温床になっていて、ブラックマーケットではサイバー攻撃用のツールの他、銃や麻薬や殺人代行、果ては人間まで取引されているですよ」
なかなかにショッキングな話だった。
ある程度の知識と環境さえあれば、誰にも知られず“安全に”犯罪者になれる。そういうことか。
「そこではサイバー犯罪のサプライチェーンも確立されている。たとえば、東欧や中東の腕のいい技術者が作ったマルウェアを中国やインドの組織が買い、アフリカや東南アジアの貧困層、いわゆるスラム街クラッカーが糊口をしのぐために下請けとして日本を攻撃する。そんなことが日々当たり前のように行われているのです。サイバー空間は良くも悪くもノー・ボーダーですから、犯罪者たちは自由自在に繋がり、手を組むのです」
そんな連中を捕まえることなどできるのだろうか。そもそも一人二人を捕まえたところで「終わり」にはならないだろう。
「光の当たらない場所に闇が広がっているのは現実世界もサイバー空間も同じです。当たり前の話ですが、目に見えない分、警戒することは難しいのですよ」
……彼女は、そんな世界で生きているのか。
この若さで。この小さな身体で。
「つばめちゃんみたいな正義のハッカーに会えた俺は、まだ幸運だったのかな」
そう言うと、つばめちゃんはどこか陰りのある表情を見せた。
「確かに、今はまだ悪の方が強いです。でも最近は正義側も負けてないですよ。日本にもACTがあるですしね。ま、私に言わせれば彼らもまだまだですが」
ACT——Anti Cyber Threat office、『サイバー脅威対策室』。
東京オリンピックの前年に新設された警察の内部組織で、サイバー犯罪への対策や取り締まりに特化し、優秀な技術者を多く抱えているという。
ちなみにどうしてそんなに詳しいかというと、この事務所に来る前に相談に行って、無慈悲な門前払いを受けたからだ。
「話を戻しましょう。同じ犯人と思われる偽サイトを運よく発見した。だからサイトを逆にクラッキングしてやったのです。低品質な自動生成ツールを使ったんでしょう、穴ぼこだらけでしたよ」
つばめちゃんが言うといかにも簡単そうに聞こえてしまうが、その穴に気付かず嵌まってしまったのが俺なのだ。
「サイトにアクセスしたらトロイの木馬に感染するよう改ざんしておいて、適当にIDパスワードを入力したらすぐに引っ掛かったですよ。チョロい犯人です。チョロ太郎です」
ドヤ顔のつばめちゃんには申し訳ないが、またしても何を言ってるのかわからなかった。
「ごめんつばめちゃん、桃色動画って何?」エッチだ。
「トロイの木馬です! マルウェアの一つです」
「木馬?」それはそれでけしからん。
「……はぁ」
露骨に溜息をつかれてしまった。まずい、そろそろ俺の沽券が底をつく。
「ごめん、あとで自分で調べるから!」
「いいですよ。顧客の啓蒙も探偵の仕事のうちです。まずマルウェアというのは、悪さをするために作られたソフトウェアの総称です。トロイの木馬以外にも、コンピュータウィルスやワームとかあるですが、聞いたことは?」
「あ、コンピュータウィルスは知ってる。何が違うの?」
「ウィルスはその名の通り、細胞に取り付くインフルエンザウィルスのごとく、他のプログラムに取り付いて次々と感染していくマルウェアです。女の庇護欲を刺激して寄生するヒモみたいなやつです。でも女は意外とそういう男に弱いので要注意です。次にワームは、ウィルスと違って独立して動くマルウェアで、勝手に自己増殖する厄介なやつです。こいつはシンプルに性欲モンスターのようなタイプの男で、自分をモテると勘違いしていることが多いです。そしてトロイの木馬ですが、トロイア戦争で兵隊を中に隠した大きな木馬を敵陣地に運び込ませたという逸話の通り、自分の存在を正常なプログラムに偽装してひっそりと悪さをするタイプのマルウェアです。こいつは外面だけ良くて裏では平気で女を裏切るような卑怯者です。今回は、その卑怯者の木馬さんにバックドア、つまり裏口を開けてもらったですよ」
「へえー、そんなに種類があるんだ」
何故いちいち女性関係にだらしのない男に例えたのか、そして余計にわかり辛くなった感も否めないが、どれもろくでもない奴だということはよくわかった。
「ええと、犯人のパソコンにそのバックドア?を仕掛けたってことは、もういつでも侵入できるってこと?」
「ええ、パソコンでなくスマホですが。色々と覗かせてもらったですが、柊さんへのメールにあったURLへのアクセスログやレンタルサーバの利用履歴が残ってたですよ。つまり」
「ビンゴってことか」
他人事のように感心してしまう。
仮説を立て、様々なアプローチを試し、相手の心理を読んで裏をかき、隙を突いて丸裸にする。しかもこの短時間で。
この子は本当にホンモノだ。
「じゃあ、あとは犯人にどう接触するかだね……って、あれ? 犯人のスマホを乗っ取ったってことは」
つばめちゃんはまたニヒルな敵キャラスマイルを浮かべて言った。
「チョロ太郎の居場所もわかるということです」
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