007 探偵は舌鼓を打つ

 一宿一飯の礼というわけではないが、夕食は俺が作ることにした。

 オフィス用のテナントのためキッチンといえるような設備は無く、洗い場とコンロが一口だけ。調理道具もミルクパンと囲炉裏鍋、おたまと小ぶりの包丁があるくらいだった。どれも真新しいのは、ほとんど使っていないからだろう。

 何かリクエストはあるかという俺の言葉に、つばめちゃんは「すき焼きが食べたい」とリクエストしてきたので、俺は情けなくも彼女から一万円札を拝借して近くのマーケットで食材を調達し、真心を込めてすき焼きを作った。といっても、肉と野菜の下ごしらえをするだけなのだが。

「おお……これがすき焼き」

 炬燵の上で湯気を昇らせている鍋を見て、どうやらすき焼きを食べたことがないらしい彼女は目を輝かせた。割り下の甘く芳ばしい香りが食欲をそそる。

「いただきます」

 律儀に手を合わせて挨拶をする。が早いか、ものすごい勢いで肉を取り始めた。

 きっと肉が好きなんだな。

 お、また肉か。次は野菜。と見せて肉。からの肉。野菜を避けて肉。

 あれ、肉しか食わねえぞこの子。

「つばめちゃん、普段の食事はどうしてるの?」

「ふあんわあいあいはっふえんはほんひひえんほーえふ」

「一回飲み込もうか」

「んぐ。普段はだいたい、カップ麺かコンビニ弁当ですね」

 やはりまともな食生活ではないらしい。

 一人で暮らすことがどれだけ難しいかは俺もよく知っている。規則正しい生活、バランスの良い食事、健康な身体。そういう世間的な美徳はどうしても二の次になってしまう。

 ただ彼女の場合、そういう切実な理由だけでなく、“健康的な普通の生活”というものに頓着していないようにも見える。

「柊さんはいつも自炊を?」

 肉を取りながら訊いてくる。

「うん。じゃないと栄養偏るし、食費も抑えられるからね。でも今は半分趣味みたいなもんだよ。他にやりたいこともないから料理ばっかり凝ってたら、自然に生活の一部になってた」

 鍋に肉を追加しながら答える。

 ほーほーと頷きながら、つばめちゃんの視線は肉に釘付けである……俺も一枚くらい食べていいものだろうか。

「ところで、どうしてウチに来たですか? 同業は他にもいるですけど」

「ん、ああ。知り合いに紹介されたんだよ」

「紹介?」

「オンラインゲームのフレンドの人にね。俺、たまにネットカフェでオンラインゲームをやるんだけどさ」

 そう言うと、彼女は露骨に嫌そうな顔をした。

「回線もマシンも他人と共有するなんて怖ろしいこと、よくできるですね。パケットモニタリングにキーロガー、やりたい放題ですよ。ぜんぶ丸見えです」

 パカッとモニカ陰部虹色がヤリたい放題……? 丸見え……?

「な、何を言ってるかよくわからないけど、俺はそんないかがわしいことはしてないから大丈夫だよ?」

「あなたこそ何を言ってるですか?」

 わかりません。自分でも。

 彼女との会話は刺激的なのだが、どうにも難しい言葉が多くて困る。

「それで、たまたま最近はまってたゲームでフレンドになった人がいてさ。別のSNSでも話したりして仲良くなったんだけど、その人に今回の件のこと話したら、いい所を紹介するって言われたんだよ。それがこの事務所だったんだ。前に世話になったことがあるって言ってたけど」

 実際、そのフレンドから聞くまではサイバー犯罪を専門にしている探偵事務所なんてあること自体知らなかった。つばめちゃんが言うように、都内だけで他に数ヵ所そういう事務所はあるらしいのだが、教えてもらわなければ、今頃は図書館で食べられる野草でも調べている最中だったろう。

「……その方は、どこのどなたですか?」

 炬燵の脇で寝そべってるパピコを拾い上げてこちらに向けてくる。

「いや、こんなことで嘘はつかないよ。ただ誰と言われても、ゲームの中でしか話さないし、女の人ってこと以外は正直わからない。『ハミングバード』ってハンドルネームで、ゲームの腕は達人級だった」

「ハミングバード……」

 つばめちゃんは難しい顔で何事か考えているようだ。口コミでの来客がそんなに不自然なのだろうか?

「まあまあつばめちゃん、ほら、お肉がもう食べ頃だよ」

 彼女のお椀に肉と一緒に野菜をよそって渡すと、興味がそちらに移ったのか、それ以上考えるのはやめたようだった。

 空調の音と、鍋のぐつぐつと煮える音が室内を充たす。

「俺からも訊いていいかな?」

「ふぁい?」

 口いっぱいに肉を頬張ったつばめちゃんに、俺は再びこの質問を投げた。

「本当はいくつなの?」

「ほへいひほひおひふほあひっへいへうえ」

「一回飲み込んで。あと野菜を戻さないで」

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