003 探偵は勇ましい

 事情聴取からようやく解放され、警察署を出たのは夕方の五時を過ぎていた。

「あのさ、君が店に乗り込んで行かなくても、初めから警察に連絡すればよかったんじゃないのかな?」

 まさかあんな行動に出るとは。犯人を挑発するようなことばかり言っていたし、いくらなんでも無鉄砲すぎる。

「何を言うです。美味しいところだけ警察に持ってかれるなんてずるいです。探偵には見せ場ってものが必要ですから」

「そんな子供みたいな」

「ハッカーというのは純粋な心を持った子供なんです」

 大人と子供の間を自由に往復するのはいいけど、探偵の見せ場作りのために殺されたんじゃこっちはたまらない。

 警察に「僕たちは子供二人ですが車で来ました」なんて言えるはずもなく、署まではパトカーに乗せられて来ていたため、車を置いた場所、つまり事件のあったカフェまで歩いて戻る必要があった。

「これで一応、その依頼は完了したってことだよね。これから依頼人に報告する感じ?」

 上機嫌で前を歩く彼女に質問を投げかける。

「いえ、さっきもう報告して、依頼料の残金も振り込んでもらったですよ。なので仕事は終わりです」

 なるほど。事情聴取の間にこっそりスマホいじってたのはそういうことか。

 と、彼女が突然立ち止まり、振り向いてぺこりと頭を下げてきた。

「手伝ってくれてどうもありがとうでした。あなたがまさかハリケーンミキサーの使い手だったとは、お見それです」

「別に一千万パワーもないけどね」

 探偵の殊勝な言葉に、カフェでの顛末を思い出す。

 突進してきたストーカー男はナイフを構えていたため、身をかわして横からタックルしたのだが、加減を間違えたらしく、五メートル近く吹き飛んで店内奥のテーブルに頭から突っ込んでいった。

 気を失っているうちに近くの男性客と協力して取り押さえたのだが、目を覚ました男は途端にしくしくと泣き始め、なんだかこちらが悪いことをしているような気になったのだった。

 前フリの割には呆気ない結末。

「それより訊きたいんだけど、そもそもどうやってあの犯人のスマホを乗っ取ったの? 最初は向こうがハッキングしてたのに」

 そう訊くと、彼女は眠たげな両目をぱちくりさせた。

「さっき警察に話した通りですよ。聞いてなかったですか」

「いや、聞いてたけどわからなくて……言葉が難しいっていうか」

 恥を忍んで正直に言ったのだが、やはり情けない兄を見る妹のような視線を向けてきた。これはこれで懐かしい感覚ではある。

「しょうがないですね。簡単に言えば、依頼人のスマホに侵入してくることがわかっていたので、トラップを仕掛けておいたです」

「トラップ?」

「罠という意味です」

「それは知ってる」

「犯人は被害者女性の個人情報なり嫌がらせが目的なわけですから、注意を引くタイトルの圧縮ファイルなりを置いておけば必ず開くです。そのファイルにマルウェアを仕込むなりエクスプロイトを仕込んだサイトに誘導するなりすれば、あとは煮るなり焼くなり生食なりです」

「……ほおん?」

 よくわからないが、どうやら敵がスマホに侵入してくるという状況を逆手に取ったということらしい。

「つまり、君もその、コンピュータウィルスを使ったってこと?」

「ウィルスじゃなくトロイの木馬、いわゆるRATですが……その辺の話はやめとくですかね。おっしゃる通りですよ。目には目をというやつです」

「それってでも、いいのかな。銃を向けられたから銃で撃ち返すみたいなことだと思うのだけど」

「向けられたでなく、撃ってきてるのですよ。サイバー空間では攻めるより守る方が圧倒的に難しいのです。攻撃は最大の防御、それが私のサイバーセキュリティです」

 そういうものなのか……どうやら思っていた以上に剣呑な世界のようだ。

「凄いんだな、ハッカーって」

「サイバー探偵とお呼びください」

 そう言って誇らしげに胸を張る。猫背なのでそれでようやく普通の姿勢だ。

 彼女はどうやら“サイバー探偵”という肩書にこだわりがあるらしいが、普通に“ハッカー”の方がカッコいい、とは言わぬが花だろう。

「そういえばここに来る前、すごい剣幕で事務所から出てきた男がいたけど、あれはなんだったの?」

 そのすぐ後に彼女が出てきたのだ。タイミングからして、彼女とあの乱暴な男は一緒に事務所にいたということになる。

「ただの逆恨みです。たまにいるですよ。自分の浮気を暴かれて、わざわざ文句を言いに押しかけてくる奇矯な人が。こちらがいたいけな少女と見るや皆強気になるですが、ちょいと脅してやったらしっぽ巻いて逃げ帰るです」

「脅すって……かなり危険じゃないか」

「平気です。サイバー探偵はヤワじゃないですから」

 ようやくローバーミニまでたどり着き、助手席に乗り込む。

「もうこんな時間だから、俺の依頼はまた明日ってことになるのかな」

 そう言うと、運転席の彼女は不思議そうな顔をした。

「何か用事でもおありですか?」

「俺はないけど、そちらがさ。営業時間とかあるでしょ?」

「エイギョウジカン……?」と首を傾げる。

 嘘つけ。知らないわけあるか。

「うちは二十四時間営業です。サイバー犯罪には昼も夜もないですから」

 優しく微笑み、勇ましく車を発進させる彼女は、経験豊富な歴戦の勇者のように、見えないこともなかった。

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