第30話 マシェスタの男たち

ミコルの森 南東部―

コヨーテに言われたとおり、歩き続けると小さな村があった。すぐに見えてきた宿屋を訪ねると、この小さな村では唯一の宿だったらしく、個室はすでに埋まっていた。


相部屋なら空いているという事で4人分のベットが並ぶ大部屋へ通された。今夜は、俺たちのほかに1名その部屋に宿泊するという。何とか、泊まれて良かった。

「ここか…」

案内された部屋は、思っていたよりも奥深くて広い一室だった。ベットも二段ベットではなく、横一列に並んでいる。

赤地の厚手の布に、金色の刺繍が細かく施された布が簡易的なカーテンのように足元まで吊るされ、ベットごとに空間が仕切られている。意外なことに、空調設備が各部屋ごとに完備され、この大部屋にも低音の稼働音が響いていた。


「すでに宿泊している客は一番奥みたい…私たちは…手前の二つを使用しようか。」

「あ、はい。そうですね。」


ダニールに促され、手前のベットへようやく腰を下ろす。

ほっとして、ぱたりとそのまま後ろに倒れて一息つく。


(一番奥に他の宿泊客ね…)


ふと気になって、赤いカーテン(名称はよく分からない)から顔を出した。各ベッド脇に備え付けられた照明の淡い光が漏れていて、たしかに人の気配がある。自分達以外にも宿泊客がいる様だった。ここだと声が響いてしまう。

着替えているダニールに声をかけた。


「なんか…聞こえちゃいそうですね。」

「そうだね、入浴を済ませたら地下に食堂があるらしいから行ってみようよ。」

「あー早くお湯につかりてー!」


ダニールに笑われた。


「この国も浴槽につかって体を流す形式みたいだよ。支度できた?」

「はい!OKです、行きましょう!」


こうして、ようやく俺たちは共同浴場で温まることができた。あついお湯に浸かっていると、今までのことが夢みたいに思えた。自分がなんでこの土地に来ているのか、一瞬忘れそうになる。

完全に忘れてたけど富岡さんは今頃何をしてるんだろうか。


「ま、いっか…」



***


宿『マシェスタ』地下食堂―思っていた以上に賑わっている。地元民は少数で、旅芸人らしき集団がいくつか既に酒を飲んで騒いでいた。

4人以上のテーブル席はすべて埋まっている。壁際の空いている2人席が目に入った。


「…賑やかですね。あの2人席しか空いてないし…あそこで話しましょうか」

「そうだね。ちょうど良いかも…あ、ラフをふたつ。」


通りかかった店員にダニールが注文した。ラフとは、この地方においてホットコーヒーのことをそう呼ぶ。ダニールからさっき教わった。

店内を流れる弦楽器の音とピアノの音で構成された独特の民族音楽が流れるなか、酔っ払いたちの騒がしい声を背中越しに聞きながら、向き合って話し合う。


「えっと、まず…僕が出会ったキバAの構成メンバーは4人です。コヨーテと、それ以外に男2人、女の子1人。みんな少年少女って感じでした。10代なんじゃないかな…」

「なるほど。4人で…男2、女2ね。」


ダニールは日本語でメモを取っている。


「そうです。あと…名前もいくつか言ってたかも…正確ではないけど…」

「素晴らしい。キバ以外のメンバーだったら何かしら関係が掴めるかもしれないし、何より整理しやすい。」


運ばれてきたラフが目の前に置かれるのを眺めながら、答える。


「えっと…確か"キース""エレナ""ミカ"…えーそれと……"キリル"!その4人です。"エレナ"はコヨーテじゃないほうの女性メンバーの名前だと思います。あと…"キリル"もキバのメンバーっぽいです。」

「なるほど。コヨーテ、エレナ、キリル…か。」

「彼らって…」


あの時の記憶を辿る。ダニールは急かさずに黙って、辛抱強く自分の言葉を待ってくれている。


「あの…意外…って言ったら失礼だけど……」

「ハルキは何か気になったんだね?」


そうだ。気になった。

ダニールの言葉に頷きながら続ける。


「流暢な英語を話してました。とても。特にコヨーテは…クセのない綺麗な英語だった。ほかのメンバーは英語じゃなかったけど、こちらが話している内容が分かってた…と思います。なんか…それが意外で…」


ダニールは頷きながら、メモしている。


「それこそ貴重な情報だよ、ハルキ。彼らは、学校に通っているか…何らかの教育を受けているんだ。イストーラに戻ってリョウと合流したら、それも聞き込みの時に活かそう。」


ダニールが生き生きとメモしている姿を見て、少し嬉しかった。


「それぞれの外見も教えて。これも後でリョウと共有しよう。」


ダニールがメモを見せながら言ったとき、背後にある食堂の入り口から男性客が1人入って来るのが見えた。


「そうですね、えっと…」


話し出そうと正面のダニールを見ると、ダニールの表情がとても険しくなっている事に気がついた。


「あの…ダニ…」

「やつらだ」


(え…)


やつらって…キバ…?

聞き返したくても、ダニールは無言で佇み、様子を伺っている。このダニールの様子なら、コヨーテ達では無いらしい。


「ハルキ、表情変えないで。いま入って来た人物。」


だめだ、緊張する。ダニールの指示はいつも急だし、絶対遂行しなければならないから辛い。

ひとまず、ダニールの言う通りに表情や視線は変えずに頷いて見せた。笑顔をのまま表情を崩さずに言う。

「やっぱり…Bのほうですか?」

ダニールは黙々と頷いた。彼の肩越しに見える入り口から入ってきた男は、こちらに向かってゆっくりと歩き出した。

(え、こっちに来る…!)

ダニールが察して、身動きしないまま尋ねてきた。


「どうした」

「こっちに…来ます…」

「落ち着いて。ゆっくり呼吸するんだ、いいね。大丈夫、ここで何かをするとは思えない。ハルキ、私を見て。」


だめだ、心臓がはち切れそう。"何か"って殺人行為ってこと…?冗談だろ。ダニールの目を見ながら、あぶら汗が背中を伝う。彼は続けた。


「ハルキ、こっちを見ながらもっと笑うんだ。自然に。あぁいう人間達は周囲の"違和感"を見るんだ。たとえ対象を見ても平気さ、怖くはない。堂々として。当たり前の様に。」

「は、はい…」


ダニールの言葉を頭のなかで復唱しながら、努めて自然な雰囲気で男のほうに視線を向ける。男は、異質な空気を纏っていた。

キバだと分かって見ているからそう見えるのか、醸し出す空気が元々極めて異質なのか。こちらへ向かってきた男は長身で、上下黒の服装、金色にちかい茶色の髪の毛は割と長く、肩まで無造作に伸びている。

顔立ちは淡白で、この地方独特の白皙の肌が目を引いた。


しかし、それ以上に目を引くのが首元に見える横一線の傷だ。ミミズ腫れのように隆起している。場所が場所だけに、自然にできた傷とは考えにくい。


(何者…なんだ…)


それ以上は、直視できなかった。ダニールに視線を戻し、口角を上げる。男は、俺たちの横をゆっくりと通り過ぎて行く。通り過ぎざま、右手の中指に文字の刺青が入っていたのが見えた。

俺たちがこの場で殺される訳ではなさそうだ。ようやく一息つけた。


「やっぱり…"匂い"ですか?」

「うん…間違いないよ。」


これだけ感覚が鋭いと生きにくいだろうな。ダニールは、いかにも自然に、キバBの男の様子に目を配っていた。


「別の男と接触してる…さっきから端の席で1人で飲んでいた男だ。」

「仲間…なんですかね…?」

「どうだろう…雰囲気が少し違うみたいだけど…」


誰かと会うってことは、仲間でなくとも関係者であることには違いない。ダニールも注意深く観察している。


「尾行しようか」

「へ…?」

「ここは思っていたより人が多い…たぶん、2人とも長居はしないんじゃないかな…」

「いや…そうじゃなくって、その…尾行って…俺した事ないし…」

「あ、やっぱり…!2人とも立ち上がった…ハルキ、準備して。2人が横を通ったら1分後に出よう。」


おい、嘘だろ…。


また心臓が高鳴り始めた。人生で初の尾行を、それもマジで危険な奴らの尾行を、今することになるとは思わなかった。


(けど…)


なんだか、すごく…日本を出てから毎日が良い意味で新鮮だ。考え込む余裕も時間もない。


(親の存在が関係ないっていいな。)


日本にいる時よりも、確実に危険な世界にいるのかもしれないのに、だ。この国の人は、誰も父親の姿を俺に重ねたりしないし、そもそも俺の存在すら興味もない。

先ほどのキバの男と、その連れの男が自分たちの横を通り過ぎて行く。


遠ざかっていく2つの背中を見送る。キバじゃないほうの男は、そこまで長身ではなく、後ろ姿は華奢に見えた。


「ハルキ、行こう。」


だから、頑張ろう。こんな自分が、どこまで出来るか分からないけど。 


「はい…!」












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