第29話 紅葉の日の帰宅
…夏になりました。
お義母さんはがんセンターで抗がん剤治療を受け、本格的な意味で闘病生活を送っていました。
私とマキが病室を訪れると、笑顔は見せながらも、やはりやつれてきた感じは否めませんでした。
…それでもお義母さんと3人で談話室に歩いて行って、ソファーに腰を降ろすと他愛のない話をしました。
「…う~ちゃんは?連れて来てるの?」
お義母さんに訊かれたのでマキが、
「車の中に居るわよ…暑いから窓を少し開けてガラスに日除けして足元に板氷パックを置いてあるの!…玄関のところに連れて来ようか?」
と言いましたが、
「いや、…今日はいいわ」
お義母さんはそう言って、話を続けました。
「…私も本当は猫を飼いたかったの…でもお父さんと結婚してからずうっとアパートや団地住まいだったでしょう !? …う~ちゃんが来てくれたから本当に嬉しかったわ…猫との暮らしなんて全く諦めてたから…」
「いや、僕らも借家暮らしなんで、猫は飼えないはずだったんですよ!…みーちゃんは本当にたまたま特別な成り行きで飼うことになったので…でもみんなが可愛がってくれたんで良かったです」
そう私が言うとお義母さんは笑って、
「そうよね!…奇跡的な巡り合わせだったのよねぇ… ! 」
と言いました。すると、
「そうよ!みーちゃんは奇跡の猫なんだから !! …あと1日ウチに来るのが遅かったら、私がちゃんと世話しなかったら、きっとあの兄弟猫みたいに死んじゃってたんだからね!」
とマキが主張しながら言いました。
(…要するにみんな猫バカだなぁ ! )
私は心の中で呟きました。
…談話室から入院病室に戻る際に、お義母さんは廊下の壁の手すりに何度か掴まって帰りました。
(だいぶ身体が辛い状況になっているのか…?)
私はそう思いましたが、だからと言って自分に何が出来る訳でもなく、ただ心がちょっと切なくなるだけでした。
…秋になると、お義母さんは明らかに体力が落ちてきて、辛そうな表情を時おり見せるようになりました。
病院内での歩行もきつくなったので、看護師や私たちに車椅子を押してもらうようになりました。
マキはそれでも特に変わらず気丈な態度でお母さんに接していました。
(お母さんに私たちが哀しそうな顔を見せてはいけない !! )
…マキと打ち合わせた訳でもなく、それは暗黙に2人が心に決めたことだったのです。
…秋が深まり、お義母さんの体重が落ちてきて、さすがにしんどい様子がその表情に現れるようになると、マキはたまりかねたようにお母さんに言いました。
「お母さん、今してほしいことは何かある?」
するとお義母さんは静かに答えました。
「冬になる前にもう一度うちに帰りたい…」
「…わかった !! 」
マキは冷静に、力強く応えました。
…晩秋、団地の周りの街路樹もすっかり色づいて赤や黄色に変わりました。
マキは病院に頼んで1日だけ外出許可をもらい、週末にお母さんを再び団地の自宅に連れて帰りました。
自宅は三階ですが、エレベーターの無い棟なので私がお義母さんをおぶって階段を上がりました。
もともと小柄で細身の人なのに、闘病生活でさらに痩せてしまったお義母さんの身体は切ないくらい軽くて、私は何ともやるせない気持ちになったのでした。
あらためて言うと、お義母さんは主婦として、母親として実に立派な人でした。
部屋に入ると、お義母さんは家族に、自分が病気になって苦労をかけたとお詫びの言葉を話しました。
そして娘とお義父さんに自分の貯金や保険のこと、さらにその後のことの話をして、最後に私には小さい封筒にお金を入れてお小遣いだと言って差し出しました。
「いえ、お義母さん、いいですよ僕受け取れないです…!」
私は恐縮してそう言いましたが、
「あなたには感謝の気持ちをちょっと包んでみただけだから…私の思い残しの無いようにさせてちょうだい…!」
とお義母さんは言いました。
…夕方、がんセンターに戻る車の窓から外を流れる並木や林の景色を見ながらお義母さんは微笑んで、
「紅葉して綺麗ねぇ… ! 」
と呟いていました。
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